戦国ジジイ・りりのブログ

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2012年02月14日
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カテゴリ: 旅日記(中国)



江戸時代を通して12回の派遣を数えた。
一般的に「朝鮮通信使」と呼ばれるのは、この江戸期のこと。

まあ、修復って一言で言うけど、色々大変だったみたいでね。
それを実現させたのが、対馬藩の涙ぐましい努力。

なんで対馬か?

立地的に、対馬藩の盛衰が朝鮮との貿易にかかっていたから。
国交が断絶したことは、対馬藩にとっては非常に困る問題で、
何が何でも朝鮮の役以前の状態に戻したかった。

ゆえに、宗義智は、朝鮮との国交回復を徳川家康に嘆願しつつ、
みずからも朝鮮の捕虜を返したり、 朝鮮に使者を送るなどの努力を重ねていった。
それがめでたく実ったのが、慶長12年。

この時の朝鮮通信使は、秀忠の将軍襲職の祝賀が目的だったが、
徳川新政権に対する初めての修好使であり、その意義は大きかった。


まだこの時点では、豊臣家は存続している。
けれど、着々と新政権を整えつつある段階で外国の使節を迎えるということは、
政権を担う幕府にとっては威厳を加えるものであり、
また朝鮮側にとっても、清国の興隆によって大陸での勢力の変化が
現れ始めた関係上、自国防衛の観点からも早期の国交回復が望まれていた時期でもあった。

そして、
 2回目・・・元和3年(1617)、徳川家の天下統一の祝賀
 3回目・・・寛永元年 (1624)、家光の将軍襲職の祝賀
と続き、4回目からは正式に朝鮮通信使として来日するようになった。

3回目まではね、上記の目的もあったんだけど、その他に
家康の書に対する回答と、朝鮮の役の際に拉致された朝鮮人の返還を兼ねていたので、
「回答兼刷還使(かいとうけんさっかんし)」という名称だったらしいんだな。


で、どんな風に使節がやって来たかというと、
まずソウルから釜山までは陸路。
釜山の永嘉台から船出し、対馬の佐須奈浦(上県町)に入港する。
その後府中(厳原町)に上り、ここで島主である宗氏と一定の儀礼を交わす。
これに10日ほどかかる。

今度は対馬から、対馬藩や各地域の藩の船とあわせた、
約800~1,000隻もの大船団となって、
要所要所の港で潮待ち・風待ちをしながら大坂へ。
大坂からは幕府が用意した御座船で淀川をのぼり、淀へ。

京から江戸までは東海道を陸路で。
ここでの行列は約3,000人にも上ったという・・・どんだけ(笑)

江戸へ到着すると、幕府上使が朝鮮通信使の客館へ訪問して、
その後将軍に拝謁したのち、ようやく慶賀の儀に入る。

すべての儀式が終了すると対馬に渡り、朝鮮への帰路に着く。
この間およそ5~6か月。

宗氏は終始、その先導をつとめる。
いってみれば、これは宗氏の晴れ舞台・・・なんて気楽なものじゃなくて、
外交の表舞台に立つ訳だから、両国のあいだにあっての気の遣いようは
一通りのものではなかったという。

しかし、対馬としては死活問題だから、両国に体面を失わせないよう、
また平和的に朝鮮貿易を持続させるために、どのような苦労もいとわなかったと。

接待には各地でも相当気を遣ったらしく、浅野藩でのもてなしは
『安芸蒲刈御馳走一番』 と言われるものだったそうな。
客館の修繕から調度品の入れ替え、さらには豪華な料理と続き、
他に例を見ない、といった意味が含まれていたと。


両国関係が安定すると、通信使は将軍の襲職のたびに派遣されるようになる。
政治的な交流はもちろんのこと、文化的な交流も深まった。
なにしろ、鎖国下にあって、李氏朝鮮は正式に国交のあった唯一の国。
海外の文化に接する数少ない貴重な機会だった。

そのため、使節団が来日すると、朝鮮通信使についての絵入りの本や
屏風などが数多く描かれ、出版されたという。
安土城総見寺にも、確かそんな絵があったのを見たな~。


てことで、上陸記念碑の話に戻りますが、
下関に着いた一行は、赤間神宮の前の海岸から上陸したとある。
そして、客館である阿弥陀寺(赤間神宮の前身)と引接寺(いんじょうじ)に
別れて滞在。
往復ともにここに立ち寄ったそうな。

通信使の中には、優れた学者や文化人が数多く含まれており、
朝鮮王朝の先進的な儒学や医学を学ぶため、防長の文士や学者が押し寄せ、
盛んに文化交流が行われた。
また、その成果も出版されたと。

江戸時代の海外の文化といえば、長崎とかをつい思い浮かべちゃうけど、
下関でもそんな花が開いてたんだね。
あまり知られてないと思うけど


ところで、1711年に来日した通信使が萩藩毛利家に贈った品が、
県立山口博物館に所蔵されておるそうな。
この時の使節は、徳川家宣の6代将軍就任を祝うためのもので、
下関での藩主自らの饗応に対する返礼として、宗氏を介して
江戸で贈られたものなんだと。

毛利宗家の藩主自らが、萩から下関へねえ・・・
ここからも、各地での接待ぶりも窺えようというもの。

で、その目録に記載された進物は、
  人参・黒麻布・黄毛筆・真墨・色紙・栢子(はくし=チョウセンゴヨウの種子)・
  硯石・扇子
とある。

人参を除いては、現在もほぼ当時のままの状態で保存されておると。
じゃ、人参は?
なんかね、 使っちゃったみたいなんだよね
当時もやはり、珍重されたらしくてね~。

目録は他のところにも残ってるみたいなんだけど、
目録とセットで現物が保存されているのは、ここだけらしい。
物持ちええのお~(笑)


正式名称は「正徳元年朝鮮通信使進物並進物目録」。
進物と目録セットで重要文化財に指定されております。
ただし、常設展示はしていない様子。

県立山口博物館さんのサイト では、進物の一部を写真で見ることができます。


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最終更新日  2012年02月14日 22時00分26秒
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