戦国ジジイ・りりのブログ

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2012年03月20日
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カテゴリ: 城(中国)
廊下門をくぐると、石段が現れる。

岡山城・廊下門をくぐり・・

一般の観光客は、そのまままっすぐ奥へ進んで行くけど、
私は観光に来たんじゃないんだから、右手に広がる中の段を当然見る。

上がってすぐ、通路からさして離れてない場所に早速何やらあるし。

 【発掘調査で発見された石垣の実物を展示しています。

<岡山城の歴史を体感し、先人に思いを>
  岡山城は、岡山のまちの発展の直接の礎となった城です。豊臣秀吉のもとで
  大大名となった宇喜多秀家が、天正19年(1591)から慶長2年(1597)まで


  その姿は中国地方の従来の城には見られなかった高石垣で囲まれ、
  金箔おしの瓦を揚げた高層の天守が聳えたものでした。
  これは空前の大建造物の出現であり、天下の名城でした。

  やがて、江戸時代になると、城主達が進歩した城普請の技法で増改築を行い、
  城構えが大幅に変貌しました。石垣は、そうした時代の変化の中で役割を終え、
  城の改造工事によって埋め込まれたものです。

  この施設は、石垣をまぢかに見据え、そうした城普請の時代的な発展の実感を
  体感していただくために、立入ができるようにしています。

  石垣に触れると、先人の偉大な知恵と技が伝わってきます。
  この場で語り合い、国民共有の文化遺産であるこの城跡への理解を深め、
  岡山のまちと人の成り立ちに思いをはせてみてください。】(現地解説板より)



史跡の管理って、管轄の自治体の姿勢で相当差が出るんだよね。
どことは言わないけど、過去に管理の姿勢にすごくがっかりした所があってさ、
復元された天守はあったけど、もう見る気もなくなっちゃって、
中の視聴覚コーナーでえんえん備え付けのDVD観てたことがある。

そしてさらに解説板。



<なぜ、ここに石垣が>
  江戸時代の初めに城を改造する時に、この石垣を埋め込んで「中の段」を北に大きく
  広げたからです。平成5年度の発掘調査で見つかりました。石垣は展示施設の壁を
  越えて続き、本来の裾は床下に埋もれています。拡張後の中の段には「表書院」の
  御殿が建てられ、この場所の真上は台所になりました。

<いつ築かれたか>
  今から400年あまり前、宇喜多秀家が岡山城を築いた時の石垣です。自然の石を
  ほとんど加工せずに用いるのが特徴で、30年ほど後に積まれた中の段北側の
  現役の石垣が新式の割り石を使っているのと異なります。

<角が尖った珍しい石垣>
  石垣の辺と辺がなす角度は70度です、これほど角が尖った石垣は全国的にみて
  非常に珍しいものです。石垣の東は当時の「下の段」から「中の段」に上がる
  道筋となり、廊下門の前身となる城門がありました。南西からの石垣は
  裏に埋め込まれている自然の丘の形に沿って延びているのに対し、門前をきっちり
  南北方向に切り通したため、特異な石垣の隅が生じたのでしょう。】
  (現地解説板より)

え~と、江戸時代の始めに中の段の敷地が増えて、表書院が建てられたのなら、
つまりひでくんは廊下門は通らなかったワケね(笑)。

その平面図がこちら。
赤く「展示部分」て書いてあるところからもうちょっと上の緑の枠外に、
私が入ってきた廊下門がある。

岡山城・ひでくん石垣平面図


発掘調査時の写真がこちら。

岡山城・ひでくん石垣解説発掘時の写真

んで、その実物がこちら。

岡山城・ひでくんの石垣

おお~、これがひでくんも目にしたかもしれない石垣かあ~!
この石垣は当時見つかった時のまま展示保存されてるので、
階段を数段降りて拝む形になる。
地中に埋め込まれてた訳だからね。
この配慮も心憎い。
やるなあ、おきゃやま。グッジョブ!

広い中の段にはあちこちに案内板とかある。
ひとまず、外郭に沿って順に見ていこうかな。


『岡山城本丸図』の「9」、小納戸櫓のある場所にはこれが建つ。

岡山城廊下門 (2)

でもこれは、小納戸櫓じゃない。
廊下門の出口にあたるところなのかな~。

かつては、廊下門の脇を固める小納戸櫓がこれの奥にあり、
ここと多門櫓で連結されていたらしい。

この左側にあるのはこれ。

岡山城穴蔵

 【穴蔵

  香川県豊島産の凝灰岩(豊島石)の切石で造られており、幅3.8m、奥行2.9m、
  深さ2.3mあります。もとは屋根があり、非常用の食料を保存していたのではないかと
  考えられています。】
  (現地解説板より)

この解説板に載ってる写真では、中が覗けるようになってるけど、
私が見たのは埋め戻されたものだった。
あと、近くには井戸。

岡山城・井戸

ここの銃眼はこんなの。

岡山城月見櫓石垣の銃眼

岡山城のリーフレットには、

 【この付近にある塀の土台石には、全国的にも珍しい、当時の最新式装置の銃眼石
  (石狭間、狭間石ともいう)を並べている。】

とある。
確かに、こーゆースタイルの銃眼って、私は見たことないような
気がするけど・・・
珍しいんだ、これ。

月見櫓下とか小納戸櫓下の石垣を築いたのは池田の時代。
池田忠雄が造営工事に動員された徳川の大坂城にも同様の銃眼石があるらしい。
豊臣じゃなくてね、徳川のね。

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最終更新日  2012年03月20日 21時39分48秒


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