戦国ジジイ・りりのブログ

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2012年04月08日
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カテゴリ: 城(中国)
それでは、永禄10年(1567)、明善寺合戦をほんのちょっとだけ。
1567年っつったら、アレですよ。
信長様が稲葉山城を落とした年じゃありませんか(笑)。

まずは三村軍が明善寺城へ対して夜襲をかけ、明善寺城は落ちた。
三村元親は、兵150人を預けて根矢与七郎と薬師寺弥七郎にこれを守らせる。

宇喜多直家は得意の謀計で、三村方である
  岡山城主・金光宗高
  中島城主・中島元行
  舟山城主・須々木豊前守


直家は使者を明善寺城に送り降伏勧告をするが、三村方はこれを拒否。
三村方では本国に救援要請の使者を送ることにする。
そこで直家が考えたのが、三村軍本隊を自領に引きこんでの殲滅作戦。


明善寺城を奪われた直家は、全軍で城を奪還すると表明。
一方で寝返った金光宗高から
「後詰めの本隊と明善寺城とで、宇喜多っちを挟撃しちゃうってのはどお?」
と備中に使者を出させ、三村元親の出陣を誘った。

三村方では、金光らの寝返りを信じておらず、
また明善寺城からの使者も同様に後詰めを要請する内容を伝えたため出陣を決意した。

三村元親の軍は、前軍に庄元祐(元親の兄)率いる7,000、
中軍に石川久智5,000、そしてみずからは8,000の総勢20,000。
迎える宇喜多軍は5,000。


ただ、心強いのが寝返り陣の存在。
実際、三村軍の作戦は筒抜けで、あれやこれやで数の上では
圧倒的優位にあった三村軍は大敗。

復讐に燃える三村元親も奮戦し、討ち死に覚悟で突撃しようとするが、
これはさすがに周囲に諌められて撤退となった。



かつ最も華々しい勝利を収めた戦いであるといわれているんだと

寝返り工作もあった訳だし、どこからどこまでを戦いとするかは
議論の分かれるところかもしれないけど、ともかくもこの戦いにおいて、
直家は最大のライバル・三村氏を備前西部から追い出し、
鉄砲の鍛冶場として有数の福岡(岡山県瀬戸内市長船町福岡)を手にした事により、
浦上家中での存在感を増した。

対する三村氏は、これ以降失速していくことになる。



何て言うかね~、この日記の冒頭で、同じ年に信長様が岐阜を手にしたって
書いたけど、その翌年には皆さまご存じの通り、「足」の付くトラブルメーカーが
転がり込んできて、上洛戦が始まるんだよね~。

この時期は、備中や美濃だけじゃなく全国的に実に様々な武将達が
戦いに明け暮れて国盗り合戦をしてた訳だから、敗者は静かに埋もれて
忘れられていく・・・

三村氏の興亡を見てると、世のはかなさを思ってついあれこれ想像しちゃうのだよ。

例えば、信長様が美濃攻めの最中に落命してたら、

「今川義元を破った小せがれが調子に乗って美濃を攻めたが、やはり無謀であった」

としか後世に紹介されなかったかもしれないし、
それどころか桶狭間で負けてたら

「けなげにも少数の兵を率いて迎撃に出たが、多勢に無勢、”大うつけ”と呼んだ
  周囲の評価は正しかった」

なんて言われてたのかもしれない
知略とか武力とかも大事だけど、一瞬の判断と、それから運。
これで命をやり取りしていく。

「何やってんの、あなたたち~!?」
とか裏返った声で叫びたくなるくらい、戦、戦、また戦。
過酷な時代だのう・・・


ちなみに岡山市の田中神社には、明善寺合戦で亡くなった将兵の首塚が祀られている。
三村元親の兄・元資はこの戦いで命を落としたと言われ、
田中神社の縁起には元資とのゆかりが書かれているというが、
後に毛利に仕えて転戦したという記録もあるので、
本当に元資が明善寺合戦で討ち死にしたのかはわからない。




さて、明禅寺合戦に勝利した宇喜多軍は、その勢いで備中へ侵攻、
三村配下の撫川城攻めを家臣の戸川平右衛門に命じた。

しかし、勢いで出たものの敵領にある城のためやっぱり慎重を期すことにし、
宇喜多家の家臣・花房職秀を戸川平右衛門の元に派遣して、
攻撃中止と撤退の命を伝えさせようとした。

が、現地に到着した花房君が目にしたのは、宇喜多軍の圧倒的優位な戦況。
このため独断で攻撃を続行させ、撫川城を陥落させた後に城を焼き払ったという。



ここで一旦、2011年に戻りましょう。
現在の撫川城址は、公園になっている。

岡山・撫川城9


入口だけじゃなく、奥の方にも土塁が残る。
(決してポールを撮った訳じゃないからね。奥を見てね)

岡山・撫川城11


入って正面に神社が建つが、その手前に井戸跡がある。

撫川城・井戸


井戸の奥にあるのが、三神社。

岡山・撫川城12

実は撫川城のちょっと手前から足に違和感を感じてた。
数週間前から足の小指の爪が剥がれかけてて、できれば旅行前に
取ってしまいたかったんだけど、無理してまた化膿すると大変なので、
自然に取れるまで待つことにしてた経緯がある。

なので、三神社に参拝してから、神様の前で失礼だけど
靴を脱いで確認してみた。
そしたら、めでたく古い爪が取れてた~!!

あ~よかった、これでスッキリした
痛みもないし、化膿もしてないし、もう大丈夫だな。

安心してたらハチが飛んできたので、あわてて靴を履いて
もう一度神様にお礼を言ってから撫川城を後にする。

ここにいる間は、犬の散歩のおじさんが一人来ただけだった。
かつてはここで激戦が交わされたなんて思えないほどに、実に静かだった・・・

※「吉備路編(2)」へと続きます。

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最終更新日  2012年04月08日 17時15分04秒


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