戦国ジジイ・りりのブログ

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2012年05月06日
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カテゴリ: 旅日記(中国)
※「備中松山城(15)」の続きです。

ここからは、お目当てまで歩く。

通っていくのは、「石火矢町ふるさと村」。(現在地は こちら )

 【高梁市は今から約300年前に、水谷勝宗が小松山に城を築いて以来、明治維新まで
  城下町としてこの地方の政治、経済、文化の中心地として栄えてきました。
  現在の街並でも石火矢町一帯は城下町の町割りや土べいをめぐらした武家屋敷が 
  残っています。”ふるさと”を、いつまでも保存し、伝えてゆくために岡山県では
  ”ふるさと村”として指定しています。】


備中高梁・石火矢町


城下町・高梁はこんな感じだったらしい。

備中高梁城下絵図
        (現地解説板より)



武家屋敷ロードに入って少ししたら公衆トイレがあったので、
汗くさいTシャツを脱いでここで着替え

あまりゆっくりしてる時間もないんだけど、
せっかく通り沿いに観光スポットがあるから、ちょっとだけ寄って行こうかな。

この通りは、解説の通り石垣やら土塀やら抱えた、古い家が並ぶ。

ふいご峠まで運んでくれたタクシーのおじちゃんは、
確か現存する武家屋敷に今も普通に住んでる人がいると言ってた。



まずは、旧折井家。


備中高梁・武家屋敷・折井家2


 【(前略)この建物は、今から180年前天保年間に建てられたもので、200石前後の
  武士が住んでいたものです。
  母屋と長屋門からなり、母屋は書院造り、また中庭の池や庭石、踏み石などは、

  (「武家屋敷 旧折井家」リーフレットより)


玄関を入ると、この人が礼儀正しく迎えてくれる。
家族は部屋の中にいたから、下男さんかな?

備中高梁・武家屋敷・折井家3


この人は休館の日も休まず、365日ずーっとこうしている。
さぞ、肩も腰も痛かろう・・・(笑)
そんで、不審者が来たら、上に並べてある槍を手に応戦するんだ。きっと。

この人じゃなくて、生きてる受付の人に
「どうぞ上がってください」
と勧められたけど、何しろがっちり足ごしらえしてるもので、
靴を脱ぎ履きするのがめんどくさい・・・

て事で、ここでは外から見るだけにした。


備中高梁・武家屋敷・折井家4


ここは桟瓦なんだ・・・
やっぱり、本瓦葺ってのは高級なんだな。

庭にたたずんで隣との境を眺めてるうち、

「昔はご近所さんが皆同僚だもんな~。
家柄とかも色々あるし、一軒家って言っても社宅街みたいなもんだし、
窮屈だったろうな~」

とか生活感にあふれた想像があれこれ湧いてくる。

敷地の一角は資料館になってて、さらりと見てから次の旧埴原(はいばら)家へ。



備中高梁・武家屋敷・埴原家

こちらは、

 【江戸時代中期から後期にかけて、120石から150石取りで、近習役や番頭役などを
  務めた武士の住宅である。(長いので以下略)】
  (「武家屋敷 旧埴原家」リーフレットより) 

だそうな。
せっかくだから、こちらには上がらせていただいた。

人もほとんど来なかったし、実に静か。
かつて人んちだったところをこうして見て回るってのも、
何だか変な気分・・・


武家屋敷内



さて、武家屋敷を見せていただいてから、通りを南へ。

まず最初のお目当てが「天柱寺 安国頼久禅寺」(場所は こちら )。


備中高梁・頼久寺3

う~ん、美しい・・・
この写真は寺の外から撮影したもの。
普通はさ、石段を上がった正面に山門があるよね・・・ムニャムニャ


こちらは観光スポットとしても紹介されている。
これがあるから。

備中高梁・頼久寺2

 【名勝 頼久寺庭園

  頼久寺は、臨済宗永源寺派に属し、その草創は明らかではありませんが、足利尊氏の
  発案で各地に建てられた安国寺の一つとして再興されました。永正年間(1504~
  1520)に備中松山城主であった上野頼久の庇護によって大いに伽藍が整備され、
  頼久の死後、寺号を今の呼び名に改めています。

  頼久寺庭園は、小堀遠州(政一)の若いころの作庭として伝えられています。
  慶長5年(1600)、関ヶ原合戦の直後、小堀遠州(政一)の父正次は備中国奉行として
  政一(遠州)を伴って松山に赴きました。

  天正乱後の城は荒廃しており、頼久寺を仮の居館として政務を執っていたことがあり、
  庭園はその時に作庭されたと言われています。しかし遠州が作庭に携わったという
  明確な記録が残存しておらず、詳細は不明です。

  本庭園は書院東南面の庭園であって、蓬莱式枯山水庭園です。白砂敷の中央に
  二つの低い築山状の島を置いて石を組み(鶴島・亀島)、書院左手の山畔に沿って
  サツキの大刈込が植えられ、大海を表しています。

  また二島の間には簡素な地割の池があり、正面遠景の愛宕山を借景にした平庭です。
  この庭園の石組及び地割の主要部には江戸時代初期の手法がみられ、保存管理状態は
  良好で、全体としてすぐれた意匠を残しています。

  平成21年7月には、本堂や書院などが指定地に追加され、頼久寺全体が名勝に
  指定されています。】
  (現地解説板より)


門の内側の意匠はこんな。


備中高梁・頼久寺9

う~ん、美しい・・・(←こればっか)

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最終更新日  2012年05月06日 15時04分08秒
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