戦国ジジイ・りりのブログ

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2012年05月31日
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カテゴリ: 旅日記(近畿)
関蝉丸神社の境内はそう広くはないけど、


こちらが拝殿。

大津・関蝉丸神社3



拝殿の正面には板絵が飾ってあって、その上には・・・


大津・関蝉丸神社2


なんだろう、くちばしが長いけど、カモ?(笑)
ちょっと変わってる。



多少ボケてるけど、拝殿から見る本殿。

大津・関蝉丸神社5



拝殿を取り囲んで、回廊が巡らされてる。
ちゃんとした神社の形式の知識がないけど、これも一種の玉垣かな?

神社は無人で、あまり人も来ないらしく、
回廊にはクモの巣がかかったりしてた。


境内には、謡曲の解説が。

 【謡曲「蝉丸」と関蝉丸神社

  幼少から盲目の延喜帝第四皇子蝉丸の宮を帝は侍臣に頼み、僧形にして逢坂山に
  お捨てになった。此の世で前世の罪業の償いをする事が未来への扶けになると
  あきらめた宮も、孤独の身の上を琵琶で慰めていた。


  狂人となって逢坂山まで来てしまった。美しい琵琶の音に引かれて偶然にも弟の宮
  蝉丸と再会し、二人は互いの定めなき運命を宿縁の因果と嘆き合い、姉宮は心を
  残しながら別れていく。という今昔物語を出典とした名曲が謡曲「蝉丸」である。

  蝉丸宮と関明神祠と合祀のことは定かではないが、冷泉天皇の頃、日本国中の
  音曲諸芸道の神と勅し、当神社の免許を受けることとされていたと伝えられる。】


謡曲の中では皇子サマって設定になってるけど、
実際の蝉丸さんの人物についてはわかっていません。
乞食だったなんて説もある。


ここへ来たのは、宿から近かったのもあるし、
逢坂関のところまでは行く時間的余裕はないけど、
ちょっと逢坂山の雰囲気を味わいたかったから。

あと、この暑い中同行してくれてる友達は音楽家なので、
ちょうどいいかな~と思ったんだよね。

けど・・・天気は良かったから、写真は割と明るく写ってるけど、
実際は鬱蒼とした木々に囲まれて、境内は暗かった。

その暗い日陰に、いかにも古そうな石碑とかがいくつもあって
何か明るい雰囲気じゃなかったので、あまり写真は撮ってない。
一人だったらちょっと怖かったかもしれないな・・・

正直、私の体質にはあんまり合わない場所だった。

「それって、ナントカスポットじゃないの~?」
とかツッコミ入れないでね。

関は色んな人が往来して様々な思いが交錯した場所でもあるし、
それでなくてもここは王城鎮護の祭祀とかが行われてきたところだから、
そうしたプラスやマイナスのパワーは秘めてたかもしれないな~とか、
後から思った。

それはともかく、友達の益々の芸の発展を二人で祈念して、
境内をつらつら見てから次のスポットへ。


途中にあった大津のふたはこんなの。

大津のふた

大津絵の柄。
下にあるのは、瀬田の唐橋かな?

大津市内にあるふたは、もっと地味な柄のがほとんどだったんだけど、
これは琵琶湖の波をモチーフにしたものなんだよ~と、
ふたマニアの友達が教えてくれた。

・・・が、地味な方の写真がない
撮ったかと思ってたんだけど、たぶん地味すぎてやめたんだろーな(笑)。


大津駅前の大通りを琵琶湖方面に向かって降りていく途中、
道路の真ん中に大きなイチョウの木があった。

 【華階寺(けかいじ)のいちょう 二株

  このいちょう二株は華階寺旧境内に位置していましたが、大津駅前大通りができるのに
  伴って、中央分離帯の緑地として保存されました。南北に並ぶ二株はともに雌木です。
  いちょうは、中世代のジュラ紀(約2億4千万年前)から現在にまで遺っている
  生きた化石です。

  華階寺のいちょうは、同寺の開基(1532年)にあたって植えられたものと伝えられて
  います。いずれにしても樹齢400年を超えると考えられる巨木です。
  大津市街地において稀にみる大樹で湖上・陸上からの景観としても貴重なものです。
  昭和50年1月に大津市の指定文化財になりました。

  (北樹) 根まわり 3.80m  目通し 3.46m
  (南樹) 根まわり 3.60m  目通し 3.28m】
  (現地解説板より)

おお~、戦国時代からあったかもしれないイチョウかあ~。
しかし、これも写真がない

大きすぎて収まらなかったから、断念したような気がする・・・
とにかくホントに暑くて、収まる場所まで移動して撮ろうって
根性はなかったし。


ここからもう少し歩いたところが、大津別院(場所は こちら )。


大津・大津別院2


ここは、石山合戦で有名な本願寺顕如の長男・教如が慶長5年に創建したお寺。

一旦は教如が顕如の跡を継ぐものの、秀吉の横槍が入って
教如は引退させられ、三男の准如が跡を継ぐ。

天下人となった家康は教如を完全復帰させようかと考えたものの、
本願寺の勢力を二分させたままの方が都合が良いとした
本多正信の献策をいれて、准如との対立構図は残したままの状態で
教如を支援。

教如は東本願寺を設立し、現在にまで至る東西本願寺の分裂が始まる。


大津別院の創建や再建の際には、大津の有力な豪商たちが
上地や金銀を寄進したといわれている。
教如と家康とこの大津の米商人たちの親交はかなり深かったらしい。

上の写真の本堂と、その奥にある書院は国の重要文化財。
本堂は予約すれば拝観できるけど、今回は外から見るだけ~。


ここの木鼻も、ゾウ。

大津・大津別院3


大津・大津別院4

象の初来日は応永年間だから( 「赤間ヶ関編(47)」 をご覧下さい)、
創建の時にはすでに日本人は象を経験してるはずだけど、
ほとんど想像上の外見になってるな。

妙になまめかしいと思うのは、私だけ?(笑)


※「大津城Part1」に続きます。 

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最終更新日  2012年05月31日 23時14分05秒


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