戦国ジジイ・りりのブログ

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2012年06月02日
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カテゴリ: 城(近畿)
大津城 大津市浜大津 >
(住所をクリックするとMapfanにリンクします)

※「大津編(2)」からの続きです。


大津別院からさらに北上して、着いたのは大津祭曳山展示館(場所は こちら )。

何かパンフレットとかあるかもしれないし、
まずは建物の中へ入ってみた。

狭い展示館を入るとすぐ、曳山が展示されてて


細長い建物の中にはやたら観光客がいて、暑苦しい(笑)。
奥まで行ってみたけど、目ぼしいものはなかったので、

「じゃあ次へ行こっか」

って友達に声をかけたら、

「まだお目当てを見てないじゃん・・・」

と突っ込まれて、

「あ・・・ごめん、忘れてたわ」

ってボケたら、友達は男泣きに泣いた(←ウソ泣き)。

だって、もう人は多いしホントに暑くて、
この場から早く逃れたかったんだもん・・・


ここへ来たのは、これがあるからなんでした。


大津・曳山展示館5(大津城外堀)

大津城外堀のものといわれている、石垣です。
・・・何か、上にブロック塀とかあるし、疑わしい・・・



大津・曳山展示館3(大津城外堀)

良い子はマネをしないでね。
いるんだよね~、登りたがる人(笑)。
足利市にある足利学校でも、一人で黙々と登ってる人見たことある

まあ、もちろん友達は登る真似をしただけだけどね。




  豊臣秀吉は、坂本城を廃し大津城を築いた。
  これは、秀吉の近江支配が安定したこと、京都や大阪が拠点となり、物資の中継港
  としての大津の重要性が増したためとされている。

  しかしながら、築城年代は明確でなく、京都の吉田神社の神官・吉田兼見の日記から、
  遅くとも天正14年(1586)頃には城の機能が移されていたと考えられる。

  初代藩主は坂本城であった浅野長吉(長政)、その後、増田長盛、新庄直頼を経て、
  文禄4年(1595)京極高次が就任している。
  高次の妻は、浅井三姉妹の次女「お初」で、慶長5年(1600)の天下分け目の関ヶ原の
  戦いのときは、東軍についたため、西軍の大軍が押し寄せ、関ヶ原の合戦の当日、
  開城した。高次は、その後、西軍の大軍を引き付け、関ヶ原の勝敗を左右したとして
  小浜藩主に栄転している。

  大津城は、合戦の翌年に解体、新たに膳所城が築かれている。なお、大津城の天主は、
  彦根城に移された。
  城が膳所に移された大津は、その後、東海道と北国海道の分岐点として商業都市と
  しての性格を強め、東海道五十三次の宿場町の中では屈指の人口を有する町として
  繁栄する。】
  (現地解説板より原文のまま)

そんで、これが大津城の推定復元図(これも案内板より)。

大津・大津城解説


大津城については、色々な面でわかっていない事が多い。
そもそも築城の時期もはっきりしていない。

一般的にはマイナーだけど、歴史ファンには有名なこの城が
世に存在した時期は約15年と短かった。


吉田兼見の「兼見卿記」によると、秀吉は天正14年(1586)2月に
大津に頻繁に下向していたという記述があるので、この頃の築城だろうと
推測されている。

存在した期間が短かったせいなのか、あるいは時期的な関係なのか、
当時の縄張図は残っていないため、正確な復元は困難とのこと。

現在大津城の推定復元図として世間で見られるものは、
ほとんどが明治以降に考証された3点の図を元に作成されている。
上の写真の復元図もそうだわね。

それによると、本丸はぽっかりと琵琶湖に突き出た形になっているが、
現在では本丸のあった部分はまるっと埋め立てられている。

で、ここ大津曳山展示館のある丸屋町アーケードは、
おおむね三の丸の外側にあたり、もう少し西に行くと、
外堀となる。

大津・丸屋町商店街(大津城外堀)2
        (丸屋町アーケード)

て事は、この石垣は外堀の内側の石垣ってことか・・・?
今ひとつ、しっくり来ないんだけど


ただ、大津城の遺構ってほとんどないからね~。

ホントは、大津にはもっと以前に来るはずだったんだ~。
なんだけど、戦国ファンにはあまりにも有名な城なのに、
遺構が皆無に近い事を知って衝撃を受けたので、
一旦見送りにしたんだよな。

普段なら、遺構がなくても全然オッケーなんだけど、
あれだけの大きな役割を果たしたのに遺構がまるでないって事が
ちょっと許せなくて・・・(笑)。


まあ、ないと言っても今見られるものが、ってだけの話で、
地中には埋まってる。

過去の発掘調査では、本丸東側の石垣だとか礎石建物跡などが
出土して、ほぼその範囲も復元できるらしい。
ただ、調査は本丸周辺に限られているので、それ以外については
まだまだわかっていない事だらけ。


丸屋町から、浜大津駅へ。
駅から琵琶湖方面の辺りに、かつては大津城の本丸があった。

大津・浜大津駅前(大津城本丸)

この辺りに、大津城跡の石碑があるはずなんだけど・・・
琵琶湖側の駅前は、再開発の途中なのか変にだだっ広くて、
石碑が見つからない。

碑のありそうな所を二人で目を凝らしながら歩くけど、
結局わからないままだった。

・・・まあ、いいや。
石碑を見なければ登城した事にならないとは私は考えないし。
どのみち、ここが琵琶湖に浮んだ本丸の跡地だった事に変わりはない。

大津・浜大津駅前(大津城本丸)2

大津城の名を上げた大津城の戦いについては、
ここで書くつもりはありませんので、あしからず。
有名だしね~。

書きはしないけど、ここに立花宗茂が・・小早川秀包が・・・!

あ、西軍は本丸には入ってませんけどね(笑)。
も~、大津城なんかほっとけば良かったんだよ~!!
と現地では思ってたけど、約1年経ってこの記事を書きながら、
もしここで足止めをくらった西軍が本戦に間に合ってたら、
どうなっただろう?
って考えると、ちょっと複雑。

もちろん、勝敗の行方も変わってたかもしれないけど、
それでも東軍が勝ってたとしたら、毛利家の処遇はあんなものじゃ
済まなかったハズ。

1年前(この旅の2011年7月)までは、大坂城を動かなかった輝元と、
本戦で味方の足止めをした弁当宰相殿(吉川広家)を恨んでたけど、
毛利家に惹かれ始めた今(2012年6月現在)では考え方が全く変わってしまった。

そんな自分に苦笑しつつ、一旦大津城に関しては
ここで終わりとしますが、旅日記の方でも少し大津城萌え~の記述が
出てくるかと思いますので、以後の旅日記もよろしく

※「大津編(3)」へと続きます。

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最終更新日  2012年06月02日 21時35分10秒
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