戦国ジジイ・りりのブログ

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2012年06月16日
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カテゴリ: 旅日記(近畿)
今回、三井寺に来ようと思ったのは、
古くて有名だから一度は行ってみたいと思ってたのもあるけど、
直接の動機は私の好きな頼政がここに来たから。


源頼政(みなもとの・よりまさ/1104-1180)。

大抵の人は、好きな歴史上の人物について
「義に厚いから」とかちゃんとした理由があるもんだと思うけど、
私は本能の人なので(笑)、気が付いたらいつの間にか好きになってたって
ケースの方が多い。
ってゆーか、ほとんどそんな感じ。


頼政の場合は全く記憶にない。

未だに、頼政に関するものとかを読んでいても、
「何で私、こんなに頼政のことが好きなんだろう?」
って自問自答するほど、理由が見当たらない。

でも、好き。
だからここに来た。
そして明日も、行く。


三井寺に行くと決めてから色々調べてみたら、
ここも実に多くの歴史を秘めてることがわかった。
戦国武将とのゆかりも深い。

で、少しその歴史をかいつまんで書こうかと思います。



頼政は、摂津源氏の出。
「源頼光」の名は、大江山の酒呑童子退治で有名だと思うけど、
この頼光の子孫にあたります。

歌道に秀でながらも武人としても活躍し、ことに2度のヌエ退治で名を挙げた。
ヌエなんてフィクションみたいな話以外にも、


・・・なのに、可哀想になかなか出世できなかった。
「平家物語」によると、我が身を嘆いた頼政が

のぼるべきたよりなき身は木の下に
         権(四位)をひろいて世をわたるかな

と歌でボヤいたところ、それを聞きつけた清盛さんが

「うっわ~、ごめん!
思いっきり忘れてたよ~!!」

って頼政が正四位に留まっていたことを初めて知って、
従三位に昇進させたとなっている。

が、現実としてはこの昇進はかなり破格の扱いだったらしく、
頼政に同情した清盛さんが推薦したものだともいう。


何であれ念願の昇進を果たして、晴れて公卿の仲間入り
この時、頼政74歳。

公卿の位階は従三位以上であり、武家で初の公卿となったのは、平忠盛(清盛の父)。
頼政は武家としては2番目で、源氏の中では初の快挙を成し遂げた。
以後は「源三位(げんざんみ)頼政」と呼ばれるようになる。

翌、治承3年(1179)に病気のため官位を辞して出家。
ここまではいいんだけど、さらにその翌年、以仁王(もちひとおう。高倉宮とも)
と謀って、平氏に反旗を翻す。


以仁王は、後白河院の子。
同母姉に、

玉の緒よ絶えなば絶えねながらえば 
          忍ぶることのよわりもぞする

の百人一首で名の知られる、式子内親王がいます。


以仁王も頭のいい人だったみたいだけど、親王宣下も受けられず、
それでも三十路を迎えるまで皇位継承に望みをつないで頑張っていた。

が、平滋子(清盛の妻の姉妹)の生んだ子が即位し(=高倉天皇)、
さらに高倉天皇の子が立太子すると(=安徳天皇)、
その願いも絶望的となった。


その失意の以仁王の元に、夜這い・・・じゃなくて
夜にこっそりやって来たのが、頼政。

頼政は、宮こそが皇位を継ぐべきだとこんこんと諭して、
初めは乗り気じゃなかった以仁王をその気にさせることに成功する。

頼政の挙兵の理由としては、
馬をめぐって頼政の子と平宗盛(清盛の三男)の間でトラブルがあり、
それがきっかけとなって日頃の不満を爆発させたんだとされる。

・・・ただし、これは「平家物語」の記述。
現在では以仁王が頼政をそそのかしたという見方の方が
有力らしい。

「以仁王の令旨」はまあ有名だと思うけど、令旨を持ってお使いに出た源行家は
精力的に各地を回り、これが後の頼朝の挙兵までつながっていく。



治承4年(1180)4月9日、平家打倒の令旨を発行した以仁王だったが、
その1ヵ月後には早くも敵方にバレた。

5月15日、怒った平氏は以仁王を臣籍降下させ、名を「源以光」とさせた。
さらに土佐への配流を決め、平時忠(清盛の義兄弟。 「赤間ヶ関編(43)」 も
ご参照ください)が300余騎を率いて以仁王邸へ逮捕に向かった。
この時、時忠の隊に頼政の次男も加わっていたという。

逮捕のニュースを聞いた以仁王は、女装して園城寺へ逃げた。
「平家物語」では、この逃走中、女装してるのについ大きな溝を軽々と飛び越えて、

「なんだあの女・・・みっともない!」

って周囲に怪しがられたなんてエピソードがある


ここで私のお気に入りなのが、以仁王の家臣・長谷部信連(はせべ・のぶつら)。

御所に残った信連は、女性陣を避難させ、邸内のお掃除をしてる時に
以仁王の忘れ物を見つけ、わざわざ届けてあげる。

この忘れ物ってのが、王愛用の「小枝(こえだ)」という笛。

「こえだ?敦盛の小枝(さえだ)と同じモノ?」

と疑問に思ってちょっと調べてみたら、恵泉女学園の佐谷眞木人先生が、
以仁王と敦盛の笛について、数ある平家物語の諸本の記述を比較検討しておられた。
(平敦盛の小枝については、 「赤間ヶ関編(16)」 で軽く触れてますので、
そちらもご覧下さい)

それによると、以仁王の笛については各本ともほぼ同じらしいが、
敦盛の方は笛の名称のブレもあるし、そもそも討たれた時の所持品も
笛じゃなかったとする本もあるらしい。

笛の由来などについても、以仁王のところに書いてあるのと
よく似ているので、その他の記述ともあわせて考察した結果、

 『笛の権威づけを図るという意図を、もとになった「平家物語」からよみとることも
  可能ではないか、そのように考えると、前述の、巻第四の高倉宮の笛の名を
  取り込んだ理由も理解し易いと思われる。「覚一本」をはじめとする当道系語り本の
  巻第九「敦盛最期」は、敦盛の笛に対する信仰の高まりに影響されつつ形成された
  可能性が高いのである。』
  (『「平家物語」と笛 -巻第九「敦盛最期」の形成をめぐって』より)

と佐谷先生は結ぶ。


私は萌え~が楽しい派なので、勉強はするけど、
自分で研究したりする気は今のところ、ない。

でも、こーゆーのを読むと、
「研究ってすごいな~。やっぱり大事なんだな~」
とため息をつきながら思った。

ともかく、このありがたい論文のおかげで、
やたら有名な敦盛の「さえだ」よりは以仁王の「こえだ」の方が
信憑性が高いことがうかがわれる。
先生に感謝



ちょっと話がそれちゃったけど、信連に戻りましょう。

小枝を届けてもらった以仁王は、

「われ死なば、此笛をば御棺にいれよ」

ととっても喜んで、信連にもそのまま同行するように申しつけるが、

「武士のくせに逃げた!って言われるのが、イヤ」

と御所に戻って捕縛隊を待ち構え、勇敢に立ち向かう。

何故か儀礼用の太刀を武器にしながら応戦し、
太刀が曲がったら手や足で直しながら戦ったそうな(笑)。

しかし太刀が折れちゃったので、自害しようと腰をさぐったら、
お腰のものがない。

仕方ないので、敵の長刀を飛び越えようとして失敗。
腿に深手を負い、結局逮捕。

なんなんだよ~、この話!!


六波羅に連行された信連は、厳しい尋問にも堂々と反論し、
その心意気に感じた清盛さんは斬首とせず、信連を伯耆へ流罪にした。
晩年になって信連は頼朝の御家人となり、能登に所領を与えられたという。

ちなみに、能登畠山氏の家臣で戦国武将の長綱連(ちょう・つなつら)は、
この信連を祖とする家系の出身。

「長」は「長谷部」の略で、「平家物語」には
「長谷部信連」ではなく「長兵衛尉信連」と書かれている。

長さんちは、信連以下、「連」を通し字にしてるみたいだね。
信連の「連」だ



5月16日、平氏は園城寺へ以仁王の引き渡しを求めるが、園城寺側はこれを拒否。
以仁王は、興福寺と延暦寺へも協力を求めた。

以仁王が寺社勢力を頼みとしたのは、これらの寺社にも前科があったからという。

安徳天皇即位の直後、園城寺が中心となって興福寺・延暦寺とともに
後白河院とその子・高倉院を誘拐して、朝廷に平家討伐やらその他の要求を
認めさせようとしたという、とんでもない過去があった。

おいおい、マジかよ・・・

って感じだけど、まだこの頃は寺社への攻撃は禁忌とされていたそうなんだよね。


実際、以仁王引き渡しの交渉決裂の後も、数日間は戦闘には至っていない。

5月21日、教経様のお父上をはじめ、平家の錚々たるメンバーをもって、
園城寺攻撃部隊が編成された。
この中に、頼政もいた。
そしてその夜、頼政は自邸に火をかけて園城寺へ向かい、以仁王と合流した。


5月23日、園城寺側では六波羅に夜討ちを仕掛けようという
作戦も出たが、平家寄りの者がいたためズルズルと決しないうちに、
平家方による叡山の調略が成功してしまう。
興福寺からの応援も、まだ来ない。


5月25日、危険を感じた以仁王と頼政は興福寺を目指し脱出・・・

この時、以仁王は信連が届けてくれた「小枝」と、あと「蝉折(せみおれ)」という
笛を所持していた。

が、それなりに覚悟を決めたのか、「蝉折」を三井寺の金堂の御本尊・
弥勒菩薩様に奉納していったと「平家物語」にある。


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最終更新日  2012年06月16日 18時12分24秒


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