戦国ジジイ・りりのブログ

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2012年06月22日
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カテゴリ: 旅日記(近畿)
大津・三井寺・一切経堂3


 【重要文化財 建造物 園城寺一切経蔵 一棟

  一切経蔵は、仏教のすべての経典、つまり一切経(大蔵経ともいう)を納める
  施設のことで、この経蔵には版木の一切経が収められています。

  この経蔵は、桁行一間、梁間一間、一重、宝形(ほうぎょう)造、檜皮葺の
  禅宗形式をもった建物ですが、裳階(もこし)を付けているため柱間が三間三間、
  屋根が二重に見えます。

  内部には一切経を納めた八角形の輪蔵(回転書架)を据えています。全体におだやかな
  感じをもち、禅宗様経蔵の古い例として貴重なもので、室町時代中期を降らぬ


  なお、この経蔵は、もと山口県の国清寺にあったものを毛利輝元によって慶長7年
  (1602)に移されたものといわれています。
  明治39年(1906)4月に国の重要文化財になりました。】
  (現地解説板より)


はい・・・これこそ、私がこの三井寺で一番見たかったものなんです。

輝元が移築したから?
違いますよ~、


「山口県の国清寺」とは、現・山口市の洞春寺の場所にあったお寺。   

一般的にマイナーといわれる大内さんちの中でも、
それなりに知られてるのは、応仁の乱で活躍した大内政弘、
政弘の子で足利義尹(よしただ)を将軍に返り咲かせて管領代となった大内義興、

このくらいでしょうかね。

史実としての最後の当主は義長だけど、
長門深川大寧寺で義隆が自刃した時点をもって、
私の中では大内さんは終わってるからな・・・

義長には悪いけど。



敗れた大内義弘もご存知かな。

この義弘さんは、大内家を飛躍的に発展させた人です。
そしてその弟が、国清寺を建てた大内盛見(もりみ。もりはる、とも)。


義弘さんが自刃した後、盛見ともう一人の弟の間で家督争いが起こった。
室町幕府もちょっかい出してきて厄介だったが、
最終的に盛見が弟2人を殺して、家督を相続した。

家督争いを制し、国人衆も押さえたところで盛見は山口の町に帰還。
父母と非業の死を遂げた兄・義弘の菩提を弔うために、
また祈願所として建てたのが香山国清寺。
盛見が筑前で討死した後は、盛見の菩提寺として葬られた。

その国清寺に、一切経蔵は建ってた。


三井寺のホームページに、

 「国清寺:山口市内にあった禅宗寺院。毛利氏との縁の深いお寺でした。」

って書いてあるけど、ちょいと違うと思う。

毛利家が関ヶ原後に所領を大幅に削られて防長に引っ越してきた際、
国清寺に別の寺を移して、さらに現在の洞春寺になった訳だから、
縁がないとは言えないけど、縁が深いというなら、ここは大内氏と
書くべきところでしょう
(三井寺からクレーム付けられちゃうかな)


大体、大内さんちに関する現地の解説ってのは、
マイナーなゆえなのか、ちょっとイマイチな時がある。

とある教育委員会が設置した解説板にも、

「これって、どの大内さんのことよ~!!」

てのを見たことがあるし。
何でそうなるんだろうな・・・
西国一の大々名だったのに


余談だけど、 「大津編(14)」 で出てきた天台智者大師様、
この方は現在の中国浙江省に、「天台山国清寺」ってお寺を開いたらしいんだよね。

お寺の名称には色々由緒があるんでしょうけど、
なんか関係があるのかな~ってちょっと思った。

まあ、国清寺って名前のお寺はここだけじゃないけどね。
ホレ、 「吉備路編(10)」 と 「吉備路編(11)」 で書いた
池田家ドロドロのお寺、あれも国清寺だったし。

ただ、読み方は違う。
岡山のは「こくせいじ」、盛見のは「こくしょうじ」。



さて、大内さんちってのはちょっと変わったところがあって、
たいがいの大名はそのルーツを源平藤橘などの国内の名門に求めたのに対し、
義弘さんは百済の王の子孫であるとした。

当時の朝鮮を悩ませていた倭寇の鎮圧に貢献した義弘さんは、
その見返りに(自称)先祖伝来の土地である朝鮮に土地が欲しいと要求したりも
している。

結果的にこの話はおじゃんになったんだけど、
それでも朝鮮王朝からの信頼を得た大内氏は、
その後の貿易においても優遇され続けた。


そこで、大蔵経。
当時の日本には大蔵経の版木はなく、朝鮮王国からの最大の輸入品が
大蔵経だった。

なんでも、韓国文化遺産研究院長の朴相国さんによると、
『14~16世紀の韓日両国の関係は、善隣外交にして「大蔵経交流の歴史」だった』
という。


倭寇に連れてこられた朝鮮人を母国に送還してあげた時、
そのお礼として大蔵経をもらった今川了俊は大層感激したそうな。

その貴重な高麗版大蔵経を、大内氏は計20回近くも求め、
足利将軍家に次いで2番目に多い輸入を成功させている。

応永14年(1407)に盛見が大蔵経を求めた時には、
 「環刀20把、関王刀10支、長鉾10支、扇子100柄、胡椒50斤、白檀50斤、
 丹木500斤、屏風2張、泥金研函1、硯50枚、筆100?、果盆50口」
を送ったと記録に残る。(「大内氏実録」より)

品目の中には、 え、これって、Made in Japan!? ってのもあるけど、
現在の金額に換算したら相当なものなんだろうな~ってのは
何となくわかる。

そうして大枚はたいてゲットした大蔵経を、
歴代当主は氏寺・興隆寺をはじめとする寺へ寄進した。


盛見は禅などへの関心も高く、応永33年(1426)には
大般若経理趣分千巻を刊行し、1巻ごとに100銭つけて諸国の貧僧に施与したとの
記録もある。

貧僧って・・・(笑)。


ただ、国清寺を建立したのは盛見だけど、
この一切経蔵の建築年代は残念ながらわかっていない。

国清寺の創建から三井寺に一切経蔵が移されるまでが約200年。
毛利氏の防長計略から一切経蔵の移築までが40年ちょっと。

毛利時代に建てられた可能性もなくはないけど、
建物のスタイルからしても、やっぱりかなり古い時代のものだと思う。



それでは大変お待たせいたしました(笑)。
その大蔵経を収めているのが、経蔵の中にあるこの八角形の輪蔵でございます。

大津・三井寺・一切経堂12

いやもう、この美しさ・・・
言葉もなく、ただ見上げるばかり。


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最終更新日  2012年06月22日 22時56分57秒


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