戦国ジジイ・りりのブログ

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2012年06月28日
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カテゴリ: 旅日記(近畿)
今回は鐘にまつわる話などいくつか。

乳の話が出たので、それから行こうか。

ちょっと長いので、もらった冊子「三井寺の鐘」からの全文引用はやめておきますが、
簡単に言うと「鶴の恩返し 三井寺バージョン」みたいなもの。
いわゆる、異類婚姻譚(いるいこんいんたん)です。


 いじめられてた蛇を助けた若者のところに、その晩美しい娘がやってきた。
 娘はそのまま居座り、二人は夫婦となり子ができた。
 出産の時を迎え、小屋に籠った娘が厳命したのはお決まりの

「のぞいちゃ、イヤよ


 若者の目に入ったのは、赤ん坊を取り巻く大蛇の姿。

「見~た~な~」

 と大蛇は姿を消してしまいますが、残された赤ちゃんの手には玉が握りしめられて
 おりました。
 赤ちゃんは玉をしゃぶってすくすく成長しますが、その噂を聞きつけた領主は
 いじこく玉を没収。

 琵琶湖の湖畔で若者が途方に暮れていると、湖から蛇が現れ、

 「私はあの日浜辺で助けていただいた蛇です。あの玉はわが子が無事に育つようにと
 私の眼玉を与えたものです。まだ片方の眼玉がありますから差し上げましょう。
 ただ、私は盲目となってしまいますので、わが子の姿を見ることができなくなります。

 どうか三井寺の鐘を毎日撞いて子供の無事を知らせて下さい。歳の暮れには

 幸運を授けましょう」

 と頼んだという。(最後のセリフだけは「三井寺の鐘」を引用)

そして冊子は語る。

 【以来、三井寺では除夜の鐘に際しては、龍神を慰めるため多くの灯明を献じ、

  できるだけ多く鐘を撞いてもらう特別の儀式が行われています。】


はい・・・三井寺では、除夜の鐘も一般人が撞けるんです。
しかし、お値段が違います。

通常300円のところ、特別御奉仕で2,000円

このお値段を知った時、108回全部を参拝客が撞いたとして
108×2,000円かあ~とか、世知辛い計算をしたものだけど、
これを読むと108に限定しないんだ・・・ってまたまた
電卓を叩きたくなるな(笑)。

実際、どれくらいの人が鐘撞きに訪れるのかわからないけどね。
私に撞き方を教えてくれたおじさんも、大晦日はチョー忙しかろう。
中には、私よりヘタクソな人だっているハズ・・・(←ちょっとトラウマ)


この2代目の鋳造は、慶長7年(1602)。
折しも闕所からの復興に沸くさ中、時の長吏・道澄さんによって
造られたもの。

初代君は現存してるのにあらたに鋳造したのは、
まぼろしの2代目の存在があったからかもしれない。

初代君には沢山の不思議な話が伝えられていて、
こちらも「三井寺の鐘」からの引用となります。


 【この鐘には、寺に変事があるとき、その前兆として不可思議な現象が生じたと
  いいます。

  良くないことがあるときには鐘が汗をかき、撞いても鳴らず、また良いことが
  あるときには自然に鳴るといい、『園城寺古記』という戦国時代の記録には、
  文禄5年(1592)7月に鐘が鳴らなくなってしまい寺に何か悪いことが起こるのでは
  ないかと心配した僧侶たちは、様々な祈祷をおこなったところ翌8月になって
  ようやく音が出るようになった。

  この話を聞いた太閤豊臣秀吉は、これを奇特として鐘楼を新たに造るように
  当時の大津城主であった新庄直頼に命じた話が伝えられています。
  しかしながら、この鐘楼はついに完成することなく、3年後の文禄4年には
  秀吉から当寺は闕所の憂き目にあうことになります。】

それで、現在の2代目君には道澄さんの刻銘があるっていうんだけど・・・

この冊子、後から読んだからな(笑)。
冊子には銘文の全文も載ってるから、今度行ったらよく見てみよう。


その他、

 【建武の争乱時には、略奪を恐れ鐘を地中に埋めたところ、自ら鳴り響き、
  これによって足利尊氏軍が勝利を得たといわれるなど、まさに霊鐘というに
  ふさわしい様々な不思議なことがらを今日に伝えています。】
  (「三井寺の鐘」より)

なんて伝説もある。



初代君の鋳造は奈良時代とされる。

先の大戦では、国内の実に9割の梵鐘が供出されたというから、
初代・2代目ともその時点で文化財に指定されてたのかな。

幸運にも供出を免れた梵鐘のうち、奈良時代のものはたったの16。
皆様も古い梵鐘を見かけたら、そういう時代もあったんだって事を是非
思い出してくださいね。
これも忘れてはいけない、我が国の歴史です。




さて、三井の晩鐘が有名なのは「近江八景」のひとつだからでもある。

 【近江八景は、一説には『江陽日記』の伝える明応9年(1500)8月13日に、
  近衛政家、尚通父子が佐々木高頼の招聘によって近江に滞在中、政家が八景歌を
  詠まれたのがはじまりとされていますが、現在では、近衛家17代当主、三藐院
  信尹(さんみゃくいん・のぶただ。1565-1614)が、慶長年間頃に
  中国瀟湘八景にならい琵琶湖周辺の地を撰んで近江八景を発案したとする説が
  有力です。】
  (「三井寺の鐘」より)


えええ~、信尹!!
そうなんだ、知らなかったよ~!!


近衛信尹さんは、戦国ファンなら大抵の人がご存知でしょうが、
五摂家のひとつ、近衛家の出身で公家。

信尹の「信」は信長様の偏諱を受けたもの。
この人も奔放で、面白いんだよね~。



さてと、次のお目当てへ。

金堂の脇を下りていくと、仁王門(重文)がある。
この門は現・湖南市の常楽寺にあった門を伏見城に移し、
それをさらに徳川家康が移築したというもの。

・・・なんだけど、この時は工事中で覆いがかけられていたので
全然見ることはできなかった。

次のところへ行く道がよくわからなくてしばらくウロウロした後、
金堂エリアに沿った道を金堂の裏手側へ回り込んでいく。


大津・三井寺・光浄院付近

こちらも全然人が来ない。
静かでいいとこだなあ~。
暑いけど


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最終更新日  2014年05月31日 23時37分36秒


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