戦国ジジイ・りりのブログ

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2012年07月03日
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カテゴリ: 旅日記(近畿)
平等院のミュージアム・鳳翔館は、内部の展示もかなり現代風。

しかし、平等院所蔵の国宝の数々がここにあるので、
通常だったら近くで見られない貴重な品々を近くで見ることができる。

「鳳凰堂」の名称の由来になったともいわれる、鳳凰堂中堂の屋根にいる、
一対の鳳凰もそのひとつ。

それから、私が気に入ったのは、「雲中供養菩薩像」。
これは鳳凰堂の内部に飛んでる52体の菩薩像のうち、26体のオリジナルを
常時展示しているというもの。

宙に浮いてるような展示方法も良かったけど、


残念ながら今回はもう時間がないので、一体ずつゆっくり見ることは
できなかったんだけど、さらりと見る中で26人の中からお気に入りを探すってのも
なかなか楽しい作業で・・・(笑)。

ちなみに、この52体の菩薩様は、みんなそれぞれ楽器を持ってます。
52人いたら立派なオーケストラだし、実際にジャンジャカ演奏しながら
現れたら、荘厳っていうよりかなり賑やかだよな~とか
リアルな想像をしてみたり



鳳翔館を出て、近くのお堂をちらっと見てから、
南門から出たんだったかな(←覚えてない)。

いんや~、歴史だけでも十分楽しめるけど、
ビジュアルも相当楽しめる。


ここに連れてきてくれてありがとう、頼政

ただ、私には時間が足りなすぎた。
満足するまで見るには、まる1日あっても足りるかどうか・・・(マジな話)。
今度はぜひ、たっぷり時間を取って、また来たいところ。



そして平等院のすぐ東を流れる、宇治川へ。

宇治・橘橋


橘橋から、宇治川の中州にある宇治公園へ渡る。
こちら↓が上流。
途中で宇治川は瀬田川へと名を変えるので、これをずーっとずーっと行けば
瀬田の唐橋に着く(笑)。


宇治・宇治公園



こちら↓が下流。
あれが宇治橋だな。
あの橋の近くにある、「通圓」ってお茶屋さんに行きたかったんだけど、
もう無理・・・

宇治・宇治公園2


通圓(つうえん)さんの創業は、なんと永暦元年(1160)。
初代は頼政の家臣であり、隠居してから「通圓政久」と名乗った。
そして頼政と共にここで討死を遂げて・・・

アレ?
確か、頼政の墓の近くに通圓政久の墓もあるってことだったけど、
わからなかったな~。
今度はよく探してみよう。



さてと・・・
宇治は瀬田と並び、京へ入る重要な場所。
様々な戦いがありましたが、今日は平安モードに時間軸を合わせているので、
2つの戦いをご紹介しましょう。

まずは治承4年(1180)、頼政の戦いから。
( 「大津編(26)」 と若干時間が前後します。)



平等院で休息を取ることにした頼政は、宇治川にかかる宇治橋の
橋板三間分を外して、敵の来襲に備えた。

追手の平家の顔ぶれは、平知盛(清盛の4男)、平重衡(しげひら・清盛5男)、
平行盛(清盛の孫)、平忠度(ただのり・清盛の弟)など錚々たるメンバー。
ほかに、「景清の錣(しころ)引き」で有名な藤原景清も、
追討軍に含まれておりました。


平等院で追いついたものの、橋が渡れないので平家方の先頭はストップしたが、
後陣勢が我先にとぐいぐい押したので、先陣200騎ばかりが川に落とされて
流されてしまった。
お気の毒に・・・(笑)。

そして両軍とも橋のあちらとこちらで、まず矢合わせ。

頼政はこの時、わざと兜を着けなかったと平家物語は語る。
また、頼政の嫡男・仲綱も弓を強く引こうとする意図があり、
父と同じく兜を着けなかったという。



ここで登場するのが、三井寺の僧兵、五智院の但馬。
このままでは埒があかないと、大長刀を構えて単身橋の上に躍り出た。

平家方では、もちろん但馬を討ち取ろうと弓の上手が
バシバシ矢を射かける。

但馬は平然と、ある時は矢をくぐり、またある時は矢を飛び越え、
正面からの矢は長刀で切って落とした。
その見事さに、敵も味方もただほれぼれと見入るばかり。
この活躍により、以後は「矢切りの但馬」と呼ばれるようになったという。



但馬に続いたのが、同じく三井寺の僧兵、筒井の浄妙明秀(めいしゅう)。

箙(えびら)に24本の矢を差し、太刀と大長刀を装備して
橋の上に進み出た。そして自ら

「一人当千の僧兵だぞ~!かかってこ~い!!」

と名乗っちゃった上で連射を始めたが、その名乗りはダテじゃなかった。

すぐさま、敵に死者12人、負傷者11人が出た。
で、なんでか弓を1本残したままで箙と弓を捨てて、
今度は裸足になって橋の桁をひょいひょい渡り、まず長刀で5人。

長刀が折れたので、太刀に持ちかえてまた8人。
この時の「平家物語」での描写が、

 【くもで、かくなは、十文字、とんばうがへり、水車、八方すかさず
  きつたりけり】

となっていて、「くもで」~「水車」までは、いずれも
太刀の技の名前なんだと。どんな妙技なのか知りたい方は、
脚注つきの「平家物語」で調べてくださいね

長刀も折れちゃって、討死を覚悟した明秀は、最後の武器、腰刀で必死に戦った。



明秀のピンチに登場したのが、これまた三井寺は乗円坊の一来(いちらい)法師。

一来は明秀のすぐ後ろで戦っていたが、

「浄妙坊、あぶな~い!!」

と思っても、通る道は桁しかないので、追い越せない。
そこで、明秀の兜の吹返(ほっぺたの横にある、矢よけのためのでっぱり)に
手をかけて、なんと宙返りで明秀の頭上を飛び越え(重いってば・・・)
前に出た。

宇治の橋合戦を描いた絵では、たいがいこの宙返りする一来の場面が
描かれてます。
なのに、その後は「一来法師打死してんげり」としか書かれないの。
ひどくない、この扱い・・・


一来のおかげで死地を免れた明秀は、平等院の門前まで戻って
鎧兜を脱いで、激戦を振り返った。
鎧に付いた矢傷はなんと63ヵ所、うち5ヵ所が鎧の裏まで通っていた。

幸い重傷ではなかったので、自分で灸をすえて傷の治療をした後で
僧衣に着替え、弓を切って杖に仕立てて「南無阿弥陀仏」と唱えた後で
戦場を去ったという・・・・・

も~、この話、面白すぎるんだけど

三井寺の境内に、浄妙坊を祀る祠があるって読んだけど、
木津川市にも明秀の墓と伝えられてるものがあるらしい。
なんでも、以仁王の陵墓とされているもののすぐ近くだっていうんだけど・・・
ホンマかいな

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最終更新日  2012年07月03日 21時09分16秒


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