戦国ジジイ・りりのブログ

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2012年07月10日
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カテゴリ: 城(中国)
山口城 <山口県山口市滝町>
(住所をクリックするとMapfanにリンクします)


※「長山城」からの続きです。

亀山公園に入ったのと同じところから出て、お向かいの
山口博物館に入ってみる。
ここは、尼子経久・晴久の絹本著色画像を所蔵してるって事だったので、
ちょっとだけでも戦国関連の展示があるのかな~と思って。

でも、夏休み中のせいか、子供向けの展示になってて、
期待したようなものは今回はなかった。

ので、すぐに博物館を後にして、再びパークロードを北へ。

堀が少しだけ残ってる。


山口城の堀3



山口城の堀4



写真を撮ってたら、堀にいる白鳥さんたちが近寄ってきた。

山口城の堀


ヤ~ン、類は友を呼ぶのかしら・・・

って喜んでたら、白鳥の他にコイさんたちも集まってることに気がついて、

な~んだ、エサ目当てか・・・

って急にがっかりした


気を取り直して進むと、奥にはこれ。

山口城・藩庁門

 【県指定有形文化財 旧山口藩庁門 一棟

  この門は、元治元年(1864)時の藩主、毛利敬親が、藩政の本拠地を萩から山口へ

  築造当時は、幕末の動乱期にあたり、高杉晋作、桂小五郎、伊藤博文等の藩士が
  足早にこの門を往来したことと思われます。

  門の構造は、切妻造・本瓦葺の薬医門であり、主材はけやきと松を用い、木割は太く
  豪快で、いかにも城門らしい風格を残しています。

  明治4年(1871)の廃藩置県までは、藩庁門として使用され、その後は山口県庁正門

  (1916)からは、西口の門として利用され、現在に至っています。】
  (現地解説板より。漢数字は戦国ジジイが変換)


関ヶ原後に、萩に本拠を構える段については 「大津編(19)」
書いた通りですが、それまで長らく大内氏の本拠として
西国の大都市だった山口の町は、この後山陽道と萩とを結ぶ中継点としての
不遇の時代を送ることになる。

萩から江戸へ向かうには、一旦山口へ出て、そこから三田尻(現在の防府)へ
向かうルートを通った。これが「萩往還」。

また、石見から山陽道へ出る「石州街道」も山口を通ったので、
山口には藩主の泊まる「御茶屋」があり、他に津和野藩主などが使う
山口本陣があった。

でも、あくまで通過点。
かつての華やかさは見る影もなく、わびしい田舎町に成り下がった。


私、色んな本とか資料を読んでて思ったんだけど、山口の民ってたぶん、
プライドが高かったんじゃないかな~。
あ、別に悪い意味じゃなくてね。

山口が「西の京」と呼ばれたのは、
なにも町並が京のまねっこをしてたからってだけじゃない。

貿易で巨大な富を築き、応仁の乱で京が荒廃してからは特に
著名な文化人が山口に集まり、高度な文化の華開いた町だった。

長らく西国の大大名・大内氏のお膝元として栄えた山口の民衆にとっては、
藩の本拠地が萩へ移り、次第に山口の町がすたれていく現実は、
受け入れがたいほどの屈辱さえ味わったんじゃないかと思うのだ。 



なが~い江戸時代を田舎町として保ってきた山口にひとすじの光明が差し込んだのは、
文化12年(1815)。

萩藩士の子として現在の山口市大内氷上に生まれた上田鳳陽(ほうよう)が、
山口に学問所を建てることを藩に願い出た。

藩主・毛利斉煕(なりひろ)は鳳陽の志に感じ、
資材や工事費などを援助し、山口講堂(のちに山口講習堂と改称)ができた。
山口講堂には次第に学生も増え、近在の若者たちが多くここで学んだ。

これにより、上田鳳陽は「学都山口の父」と呼ばれる。



続く大きな転機が、文久3年(1863)4月16日。

「ちょっと、日帰りで温泉行ってくるね~」

と萩を出立した藩主・毛利敬親(たかちか)が向かった先は、山口。

ペルリさん来航から10年、にわかに慌ただしくなった世情を背景に、
山口へ着いた敬親は、まず御茶屋に住んでその一部を政庁とし、
当面の政治をここで行った。

幕末にあっても城の新築や修築には相変わらず幕府の目も厳しかったし、
これまで長く萩を本拠としてきた歴史もある。
政庁の移転ともなれば、当然藩内への動揺も大きいが、
敬親はまず既成事実を作っちゃえ~てな実力行使に出た。

藩主自ら動いたとなれば、藩士も動かないわけにいかない。

日に日に人は増え、役所の機能も次第に移され、
山口の町は久々に活気を取り戻していった。

そして5月。

「萩は交通も不便だし~、

そうなったら、せっかく徳川様が決めた攘夷も果たせないじゃ~ん。
その点、山口は指令が出しやすいんだよね

移転っていっても、大きな城は造らないし、
簡単な防塁だけにするから!
家臣も、とりあえず手近に必要な分しか置かないから!
だから、山口に引っ越してもいいでしょ。ね

って正式な移転の申請書を幕府に提出した。

6月には、萩の民衆へ、移転を正式に布告。
萩城の警備は、参勤交代で藩主が留守にしている時と同じとする事を定めた。

7月、まだ移転に反対する家臣を山口に集めて事情を説明し、
協力を要請。

12月、萩の政事堂を廃止して、藩の機能を完全に山口に移す。

これをもって、山口の町は実に260年ぶりに藩の中心の座に返り咲いた。


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最終更新日  2012年07月10日 21時27分32秒


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