戦国ジジイ・りりのブログ

戦国ジジイ・りりのブログ

2012年08月04日
XML
カテゴリ: 城(中国)
資料館のクーラーは、最初は快適だったけど、


元々クーラーが苦手な体質に加え、先程の豪雨で
下半身がほぼびしょ濡れ状態だったので、体が冷え切ってしまったのだ。

クーラー除けに羽織る物も持ってるので引っかけたけど、
とにかく下半身が乾かないとどうにもならない。

途中、ちょこちょこと外に出て冷え切った体を
外気で温めながら雨がおさまるのを待った。

雨が小降りになるまでに1時間もかからなかったと思うけど、

夜はA様が、大内文化に詳しい人を集めて食事でも・・・
って誘ってくれたんだけど、なんかもう、それどころじゃ・・・



龍福寺の本堂は現在修復工事中(2011年8月時点)。
正面よりは資料館の脇からの方がよく見えた


山口・龍福寺10


おお~、素木が美しいな
雨がどしゃ降りの時はさすがに工事の人達も作業を中断してたけど、
もう始めてるわ・・・
この暑い中、土木・建設関係者様ってホント大変だよね~。

資料館の入り口には、こんなものも置いてあった。


山口・龍福寺16


お・お・大内菱の瓦じゃん・・・!
こっそり懐に入れて持って帰りたくなっちゃうから、
こんなとこにこんなモノを無造作に地べたに置かないでほしい・・・

大内菱の瓦の誘惑と必死に戦っている間に、雨がやんだ。
早くも薄日が差して、こうなってくると蒸し暑い。



山口・龍福寺18


弘治3年(1557)に毛利隆元が建てた龍福寺は、
禅堂と山門を残して明治14年に火災で焼失した。

再建にあたり、大内氏の氏寺であった興隆寺の釈迦堂を移築したのが、
現在の本堂。こちらも室町後期の建築といわれる。
ちなみに重要文化財。

ちょっと前までの龍福寺本堂の写真を見ると、
桟瓦葺で戸は引き違いの障子戸。

これを、今回の工事で可能な限り元の状態に復元するという趣旨のもと、
写真の通り屋根は檜皮葺、障子戸は蔀(しとみ)戸に替えられるなど、
かなり古風なものへとイメチェン中。

でも、瓦葺より絶対こっちの方がいいよな・・・(←檜皮好き)



本堂の正面には、山門がある。


山口・龍福寺20


うっわ~、さっきまでの大雨で、門前が完全に水没しとるわ・・・
どないしょ・・・

とりあえず、まだ境内は全然見てないので、
まずは色々見てから考えよう


山門に向かって右側には、こんなエリアが。


山口・龍福寺・大内義隆公の墓

 【平成12年は龍福寺の開基大内義隆卿の450回大遠忌に当たります。
  この勝縁にちなみ、大内義隆卿主従の供養塔を建立しました。正面の宝篋印塔は
  長門市大寧寺にある義隆卿のお墓を原寸大に複製したものです。

  また、左奥の十三重の塔は義隆卿に従って戦死した冷泉隆豊などの忠臣や
  公家の諸精霊(しょしょうれい)の供養のために建立いたしました。】
  (現地解説板より)

で、こちらが義隆公のお墓、のレプリカ。

山口・龍福寺・大内義隆公の墓2


 【天文20年(1551)重臣陶晴賢の謀反により大内氏31代義隆卿は
  大内御殿から長門の大寧寺に逃れました。この時大寧寺住職異雪慶殊
  (いせつけいしゅ)和尚の弟子となり金剛教の経文を引用した

  「討つ人も 討たるゝ人も 諸ともに 如露亦如電応作如是観」

  の辞世をよんで自刃されました。
  その意味は、敵も味方も人の命は露のようにはかないという佛教の無常観を
  うたったものです。
  時に45歳の生涯でした。】


義隆の辞世は、その悲劇的な最期と相まって、大変有名です。
後世の作だとする説もあるけど、それにしても
あまりにマッチしすぎている・・・

龍福寺に義隆の供養塔があるなんて、知らなかったな。
でも明日はその本墓に詣でる予定だから、
ここでは手を合わせなくてもいいかな・・・


で、義隆に殉死、あるいは変の巻き添えを食って
亡くなった方達の供養の塔がこちら。


山口・龍福寺22

義隆と行動を共にした家臣たちは、当然主とともに大寧寺で討死してるので
その時に書こうかと思ってます。

公家も准三宮関白左大臣とか結構なメンツが揃っておりますが、
大寧寺に墓がある方が多いです。

その中の一人が、三条公頼(さんじょう・きんより)さん。
名前を聞いてすぐわかる方も多いでしょうが、
武田信玄正室・三条夫人のパパですよ。
こんなとこであえない御最期を遂げておられたんですね・・・

公家の中には自害をした方もおられますが、大体は殺されてます。
中には、相当むごい殺され方をした方もいます。
お気の毒に・・・



ところで、家臣でも公家でもないですが、この大寧寺の変から
ギリ逃れたチョ~有名人がいます。

その名は、フランシスコ・サビエル。


教科書では普通 「ザビエル」 と濁って習うけどね、
山口では濁らず 「サビエル」 というんだよな。

サビエルさんと山口との関わりについては、ゆかりのスポットへ
行った時に書こうかと思ってますが、名前についてだけ書きますと、

 【「Xavier」の発音の表記は十数種類ある。サビエルが生まれ育った、
  スペイン・ナバラ州にある城は「ハビエル」、ポルトガル語では
  「シャビエル」である。日本では現在、全国的には「ザビエル」であるが、
  山口市では「サビエル」で通っている。(中略)

  そして、現在の「サビエル」となったのは、サビエル来山四百年を記念して
  山口市亀山に聖堂が建立された昭和二十七年からである。これは当時の
  ドメンザイン神父が「サビエル」の方が言語の発音に近いとして決められた
  ものである。】
  (『栄光と挫折の賦』 山本一成著/大内文化探訪会より)

だそうな。


サビエルさんが後事をトルレス神父とフェルナンデス修道士に託して
豊後へ向かったのは、大寧寺の変のわずか10数日前。
義隆の訃報を豊後で聞いたサビエルさんは、天に祈ったという。

ちなみに残されたトルレス・フェルナンデスたちは、
異教徒に対して好意的だった内藤家にかくまわれて難を逃れた。
いや、危ないところだったね~。

まあ、サビエルさんはその翌年、中国本土への上陸を目指したが果たせず、
中国の島で亡くなったそうですが。
享年46歳。
義隆と同年代の人だったんだね。

にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ
にほんブログ村





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2012年08月05日 11時55分01秒


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

りりじい

りりじい

カレンダー

コメント新着

王島将春@ Re:浅草&寛永寺法要編(8) 東国の成熟(01/08) はじめまして。福井市在住の王島将春(お…
よー子@ 墓参り2014(2) 慈眼寺~芥川龍之介と小林平八郎の墓(08/02) 前略 初めてお便りします。 質問ですが、…
伊藤友己@ Re:上野第三編(12) 寛永寺105/清水観音堂~越智松平の灯篭(06/20) 越智松平家が気になって詳しく拝見しまし…

サイド自由欄

よみがえる江戸城 [ 平井聖 ] 価格:2916円(税込、送料無料)






PVアクセスランキング にほんブログ村

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: