戦国ジジイ・りりのブログ

戦国ジジイ・りりのブログ

2012年08月05日
XML
カテゴリ: 城(中国)
大内義隆主従の供養塔の向かいには、鐘楼がある。


山口・龍福寺23


 【しあわせのかね

  この梵鐘は大内義隆卿が享録5年(1533)に九州芦屋の名工大江宣秀に作らせた
  国の重要文化財「興隆寺梵鐘」を縮小、複製したものです。鐘楼堂は総欅造り
  入母屋本瓦葺きで、現代の名建築です。

  平成5年春完成後は、毎日、「暁鐘」「日中鐘」「昏鐘」1日3回大内文化の

  しあわせを願って自由に撞いて下さい。】
  (現地解説板より)

前月の三井寺 以降、完全にトラウマとなっていた私は、
ここでも撞きました。もちろん(笑)。

鐘楼堂の瓦は、軒丸瓦も鬼板も、大内菱~
一部、巴紋の瓦が混ざってるのがちょい気に入らないけど・・・


山口・龍福寺25


「しあわせのかね」の斜め向かいには、こんな看板があった。

 【豊後岩の由来

  大内氏は歴代政庁をこの地に置き、西日本に覇をはっていたが、後には防・長・
  芸・備・后豊・筑の7か国の守護を兼ね、その富と権力は天下に並ぶべきものが


  当時世の中は兵乱にあけくれていたが、山口の町は平和を保っていたので、
  戦乱の都をさけて、この山口に来る公卿・文人が多くあり、いわゆる西の都の
  繁栄があった。

  大内氏はこれら来訪の客をもてなすため、邸前に宏大壮麗な築庭をした。
  そこには流水があり、また当時珍しい蘇鉄が植えられたりしたが、使用した岩は

  しかしこれらの岩は、豊後の国を恋しがって雨の夜は「豊後に帰りたい」といって
  泣いたという。

  そのような立派な庭も大内氏の滅亡後は荒廃して、わずか豊後岩だけがここに残って、
  往時の栄の跡をしのばせている。】


どんな岩かって~?
見てよ、この写真!

山口・龍福寺26


さっきまでの大雨で、完全に水没してこのエリアには立ち入れなかったんだよ~

手前の豊後岩の看板の後ろには、「宝現霊社」について説明があるけど、
これもおかげで見られなかった。

しっかし、何で雨の夜に泣くんだろう・・・
豊後はロンドンみたいに雨が多いのか?
まさか、豊後恋しさにさっきの大雨を降らせたんじゃなかろーな・・・


これで山門から本堂にかけてのところは全部見た。
水没箇所は見られなかったけど、これはもう仕方ない
よし、次は開園したての池泉庭園を見に行こう。


まずは井戸。


山口・龍福寺28


 【石組井戸

  石を組んでつくられた井戸で、内法(うちのり)の直径は約1.2m、深さは約4m
  あります。この井戸は池泉庭園と同時期につくられ、1500年代前半に
  埋め戻されました。この井戸からは、外面に金箔をはった土師器皿が3枚出土
  しました。】
  (現地解説板より)


井戸は埋められちゃってるけどね。
そもそも、今回の整備は

 【発掘された遺構を埋め戻した後に嵩上げをし、水をたたえた池として復元整備
  しました。整備対象としたのは、1500年代前半~中頃の様子です。】

と式典でもらった資料に書いてある。
できれば遺構の実物を見たかったけど、保存の面とかで色々あるんでしょうから、
仕方ないよな・・・


井戸の先、南東の角っこにはこれがある。


山口・龍福寺29

これは「建物基壇」とある。

 【南東岸で発見された石基礎建物は、池泉庭園の改修時に建てられており、
  庭を観賞する施設のひとつだった可能性があります。】
  (式典資料より) 

ここから見るひょうたん池はこんな感じ。


山口・龍福寺31


確か、「ここで月見の宴など催したのかもしれません」みたいな
解説だったと思うけど・・・ 
基壇の写真の奥と右側には、かつて板塀がめぐらされていた。

↓これは導水路。


山口・龍福寺32



池の周囲は、ぐるっと歩いて巡れるようになっている。
↓こちらは北側からの眺め。


山口・龍福寺33


 【池泉庭園の意義

  館跡は水はけの良いところに立地するため、邸外から水を引いて来るには
  多くの労力が必要です。さらに、発掘調査の結果から、本庭園を作庭するために、
  居館の敷地が約20m東に拡幅されたことがわかっています。これらのことから、
  この庭園は大内氏の権力の大きさを示すものと言えます。大内氏館で行われた
  儀礼や宴会、芸能、文芸等の中には、この庭園を背景に催されたものも
  あったことでしょう。(中略)

  中世につくられた現存する庭園は、作庭されてから今日まで庭を管理する人の
  手が加わっているため、当初の姿を留めている例は少ないと言えます。よって、
  これら(大内氏館)の庭園は室町時代の庭園様式を今に伝える貴重な文化遺産と
  言えます。】
  (式典資料より。カッコは戦国ジジイが追加)

館が焼失しないでそのまま現存してたら、池泉庭園の本来の姿も
わからなかったかもしれないなんて運命の皮肉だけど、
大内氏華やかなりし頃に私が生きてたとしても、
パンピーには到底入れない場所だったからな・・・

いや、感慨深い・・・てな事を池の北のこの場所で
TVカメラに向かって言ったような気がする・・・


にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ
にほんブログ村





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2012年08月05日 21時23分19秒


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

りりじい

りりじい

カレンダー

コメント新着

王島将春@ Re:浅草&寛永寺法要編(8) 東国の成熟(01/08) はじめまして。福井市在住の王島将春(お…
よー子@ 墓参り2014(2) 慈眼寺~芥川龍之介と小林平八郎の墓(08/02) 前略 初めてお便りします。 質問ですが、…
伊藤友己@ Re:上野第三編(12) 寛永寺105/清水観音堂~越智松平の灯篭(06/20) 越智松平家が気になって詳しく拝見しまし…

サイド自由欄

よみがえる江戸城 [ 平井聖 ] 価格:2916円(税込、送料無料)






PVアクセスランキング にほんブログ村

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: