戦国ジジイ・りりのブログ

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2012年08月15日
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カテゴリ: 旅日記(中国)
世間では琳聖(りんしょう)太子の実在が危ぶまれていようとも、
興隆寺の貴重な寺宝の中には、琳聖太子のものと伝えられる宝剣と拵がある。


 【大内氏が琳聖太子後胤説を創出した理由としては、大内氏が朝鮮国に対し
  同族意識や墓参などを口実に渡海し、貿易活動を有利に展開しようとした、とされる。

  一方、朝鮮国との密接な関係を日本国内に喧伝することによって、
  国内において朝鮮貿易を主導する立場を確立する目的による、といわれる。

  そして琳聖太子後胤説が発展する画期は大内盛見と大内政弘の時である。
  両者に共通するのは、いずれも大内氏権力が分裂・動揺した後に、
  当主が領国支配を再整備するべく、家臣団の集結点として興隆寺が活用された。


  そして日本国内を意識して創出されたものであった。】
  (『大内文化と北九州』/北九州市立自然史・歴史博物館より)


ふ~む、なるほどね・・・

琳聖太子の実在うんぬんについてはまあ置いておいても、
百済滅亡の際にはかなりの数の朝鮮人が日本に来たっていうから、
地理的な関係で周防に移住した人もそれなりにいたかもしれないし、
大内氏がその帰化人の血をひいているというのは、
あながち無い話でもないみたいなんだけどね。

妙見社の入り口にある解説板にも、

 【この地域は古くから大陸系の文化を持った人々が住んでいたことが、
  古墳の発掘調査でも明らかで】





琳聖太子には、妙見社に関連する伝説がもうひとつある。

 【妙見社は、興隆寺の鎮守として、古くから興隆寺の境内に祀られていた。
  大内氏の始祖琳聖太子が日本に来訪される二年前、周防都濃郡の青柳浦
  (現在の下松市)の大松樹に大星が降り、七昼夜にわたって輝いたので、
  里人は占ってもらったところ、異邦の太子が来朝するので、その星を


  この氷上山妙見社は、興隆寺が大内氏の氏寺であったため、
  妙見社は後には国中の総妙見の如く栄えたといわれる。】
  (妙見社で頂いた資料より)


推古5年(597)、来日した琳聖太子はなんと聖徳太子にお目見え。
自分が来ることを予言した不思議な星の話を聞いた琳聖太子は青柳浦に寄って、
北辰尊星妙見大菩薩を祀る社を桂木山に建立し、日本で初めての星祭りを行った。
以後、青柳浦は星が松に下った聖地として下松と呼ばれるようになった、という。

現在の山口県下松市では、この伝説から 「星ふるまち星」 のキャッチフレーズで
売り込みちう・・・(笑)。


ただし、「下松」の名の由来には別の説もあって、
百済の国への風待ちの港だったことから「百済待」、
あるいは「百済津」と呼ばれていたのがなまって「くだまつ」となり、
「下松」の字をあてたともいう。

いずれにせよ、どちらも百済とゆかりのあるエピソードなので、
古くから大陸と深い関わりのあるお土地柄ではあったということか。


この星の伝説は、大内政弘が 「興隆寺を勅願寺に!」 運動をした時に書かれた
「大内譜牒」という書物の中にある話で、琳聖太子の来日からは
900年も経ってる・・・(笑)。

政弘が応仁の乱から戻って以降、「大内譜牒」ができるちょっと前までの間には
政弘自ら九州退治に出かけたりなど、確かに色々あった。

しかし、琳聖太子を祖とする系図も完成して「大内譜牒」の中に収められ、
今まで以上に百済の皇子の子孫を世間様に大々的にアッピールした
その年(文明18年、1486年)は、興隆寺が勅願寺の栄誉を賜り、
大内家の繁栄を象徴するめでたい出来事が重なった年でもあった。

そして、同じ年、山口にいた雪舟は政弘から製作の依頼を受けた。
齢67の雪舟が仕上げた作品が、現在国宝となっている大作「四季山水図」。
そ~、あの絵には、大内氏繁栄への雪舟の祝いが塗りこめられておるのです。

そんな訳ですので、皆様、「四季山水図」を観賞する際には、
かつての大内氏の繁栄を思い描きながらご覧くださいね



さて、琳聖太子の話はこれくらいにして・・・

妙見社の境内はそう広くはないので、色んなものが目について
早く見たいけど、まずは入り口にある碑に刻まれたこの漢詩から。


   「氷上滌暑(氷上に暑を滌く)」

   光凝山罅銀千疊
   (光は山罅-さんか-に凝れり、銀千畳)
   寒色清人絶欝蒸
   (寒色は人を清やかにして、欝蒸-うつじょう-を絶つ)
   異國更無河朔飮
   (異国には、更に無し、河朔-かさく-の飲-いん-)
   煩襟毎憶玉稜層
   (煩襟-はんきん-には、毎-つね-に憶ふ、玉稜層-ぎょくりょうそう- )

  ≪夏の陽光は山ありの氷上の地に差して動かず、
   見るまにあたりの千畳敷の広さが銀色に輝く。
   この寒さすら感じさせる光景は
   人に清涼感を与えて蒸し暑さを絶つ。

   しかしここは日本なので、中国の河北地方で行われる
   暑気払いの酒を酌む風習などまったくない。
   わたしの胸のうちには、ふるさと中国の
   山々の姿が去来するばかりである。≫
   (訳は現地解説板より)


これは、明の人・趙秩(ちょうちつ)の作・「山口十境」の中で
氷上の地を詠んだものだそうな。


趙秩さんは、

ちょっと、おたくの倭寇、なんとかしてよ!!

って依頼に来た明からの使者。 

異国人の創った元を倒し、あらたに明を建国した洪武帝(朱元璋)は、
建国当初から国家レベルの問題となっていた倭寇対策として、
何度か使者を日本によこしている。

趙秩さんもどうやら2回来日したらしく、1回目は色よい返事をもらって帰国して
洪武帝に褒められた。

しかし、日本では南北朝時代。
趙秩さんが交渉に行ったのは、博多にいる南朝だった。
とは言っても、趙秩さんの前任者が南朝の宮将軍に会った際には
けんもほろろに追い返されちゃったので、今度は北朝へ頼みに行こうとしてたところを
とっ捕まって博多へ連行されたという話もあるけど。

いやいや、使者も命がけじゃ・・・

ともかく、なんとか話をまとめて初回は無事任務終了。
ただし、南朝の方では倭寇を取り締まる気なんかさらさらなかったみたい


そして2回目の来日。この時期が悪かった。

趙秩の帰国後、大内義弘を従えた九州探題・今川了俊が九州入りして
南朝方は熊本へ撤退してしまってたのだ~。

そうとは知らなかったのか、また博多へやって来た趙秩は
北朝方に抑留されてしまう。
いや、ホントに使者も大変だわ~。


捕われの身の趙秩さんを山口に招いたのが、時の当主・ひろよん(大内弘世)。
ただ、ひろよんは博多には出陣してなかったんじゃないかと思うので、
子の義弘が応安5年(1372)、全軍四千の兵を引き上げて帰る際に、
ひろよんの命を受けて義弘が連れ帰ったのかもしれない。

山口に引っ越していたひろよんは、その衛門を長春城、西庁を日新軒と称しており、
日新軒の方に趙秩を招いたといわれる。


約9ヵ月の山口滞在中に、趙秩は山口の10箇所の景勝を詠んだ
「山口十境」を遺したとされ、山口市では現在、各スポットに石碑を建てて
大内文化のひとつとして紹介している。

守護大名となって山口で新しい町づくりをして意気揚々とするひろよんと、
明の官吏・趙秩。
確かに、一見華やかな大内文化の一端のようにも思えるけど、
現実はそう綺麗なものでもないのカモ・・・


そもそも、「山口十境」の成立についてははっきりわかってはいないらしい。

ひとまず、そのことは置いておくとしても、
趙秩さんが山口に来たのは、「山口古図」から推定される
ひろよんの山口への引っ越しからまだ10年くらいしか経っていない頃。

繁栄してる都市へ来たとは、ちょっと言い難い。
単に文化的交流のためだけに、ひろよんは趙秩を招いたのか?

これについて、金本利雄氏は『山口十境詩余話 鰐渓の詩』の中で

 【折角倭寇の鎮圧を頼みに来た相手の南朝方は太宰府を退却して
  頼みの綱は切れたので、この上は、北朝側の足利幕府へ頼もうと、
  大内氏を頼ったのであろうが、しかし、大内弘世はそれに応じなかった。
  少くとも、趙秩らを京都に送ることはしなかった。(中略)

  趙秩、朱本を山口に留め置いたには、それなりの政治的打算がなかったとは
  云えない。(例えば対明貿易への野心とか……。)】

と述べておられる。
同文の中では、同時代の高僧・春屋妙葩(しゅんおくみょうは)が
弟子を趙秩の元に遣わして交流を持ったことを紹介し、

 【趙秩は、これにも(使者の役目を果たすための)望みをかけていたと
  思われるが、妙葩の一時政界引退というこの時期は彼にチャンスを與えなかった
  ということであろう。】(カッコ内は戦国ジジイが追加)

と続ける。

そういう背景を思ってあらためて上の漢詩を見てみると、
やたら古郷を恋しがる趙秩さんの鬱屈した思いが伝わるようにも感じられる。


しっかし、昔の中国では暑気払いに酒をあおったのか・・・
暑い時に酒なんか飲んだら、体温上がって余計暑くなるんじゃ?(笑)

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最終更新日  2012年08月15日 21時11分59秒
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