戦国ジジイ・りりのブログ

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2012年09月29日
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カテゴリ: 旅日記(中国)
さ~て、休憩もしたし、ぼちぼち墓地の方へ行くかな~。


三原・宗光寺44・福島正之の墓


 【三原市史跡 福島正之の墓 一基

  室町時代後期の様式を完全に備えている貴重な石造宝篋印塔で、
  高さは1.77mである。
  正之(1579~1601)は、福島正則の養子で、刑部小輔ともいう。
  正則は、幼少の頃から秀吉に仕えて大名になった一人で、加藤清正とともに
  武将派の重鎮である。

  慶長5年(1600)関が原の戦後、功によって毛利氏のあとをうけて

  三原城に置き備後支配の要とした。

  宗光寺過去帳によると、慶長6年5月5日に没し、法号「宗光寺殿天英光公大居士」
  とある。】
  (現地解説板より原文のまま。漢数字は戦国ジジイが変換)


前回の記事で、山号と隆景の戒名の関係について途中まで書いたけど、
改宗=改称かと思ったら、改宗してしばらく後になってから、
隆景の戒名から山号を「泰雲山」とし、
正之の戒名から寺号を「宗光寺」としたんだそうな。



芸備に入封した福島正則は、厳島神社の平家納経を修復させるなど、
寺社の保護に熱心だったといわれる。

が、三原では寺領の没収などが相次ぎ、どこも存続に苦慮したらしい。


宗光寺では、小早川時代には寺領1000石で塔頭も7つあったのが、
福島時代には、寺領100石、扶持米100石の支給となり、
浅野時代の元禄頃には塔頭は3つになったという。



さて、この墓の主・正之さんは、悲劇の人。

正則の嫡男が夭折したため、正則の姉の子である正之を


慶長4年(1599年)に徳川家康の養女・満天姫(まてひめ。家康の姪)と結婚。
正之15歳、満天姫10歳。
この時は、まだ清州城。

秀吉は大名同士の勝手な縁組を禁じていたから、
この婚姻も石田三成の非難の対象になった訳だよね。

正之は関ヶ原にも出陣し、竹ヶ鼻や岐阜城で戦功を挙げる。

三原城に入った若殿・正之の評判はよかったらしい。
正則はキリシタンに対して寛容だったといわれるが、
修道士も正之に対して好意的な評価を残しているので、
養父の宗教政策ラインを引き継いでいたのかもしれない。

ただ、ご存知の通り、イエズス会の評価ってのは結局、
自分達に対する扱いで人物評がガラリと変わるから、
もちろんその辺りを割り引いて考える必要はあるんだけど。


正之の人生が暗転するのは、三原入城の数年後。
慶長12年(1607)、なんと養父である正則から、
正之の乱行について幕府への訴えがなされ、幽閉の身となる。

これについては色々と説があり、
まず、正之を養子とした後に正則に実子が生まれていたため、
実子に跡を継がせるために正之がジャマになった正則が
ウソの申し立てをしたとする説。

いやいや、ウソじゃなく「慶長見聞録」に道行く人や人家に向けて
訳もなく鉄砲を撃ちかけたって書いてあるよ~、とする説。

はたまた、正之にキリシタンの嫌疑がかけられたので、
正則はやむなく正之を幽閉したとする説もある。


そして幽閉の翌年、24歳の若さで死亡。
飢死したとも、こっそり家臣が差し入れをしていたものの
割腹して果てたともいわれる。

一般的にいわれる正之の死亡した年は、慶長13年。
ところが、上の解説の通り宗光寺では慶長6年の死亡と伝える。
都合のよろしくない部分をごっそりカットしたような印象が、
なきにしもあらず・・・



一方の正室・満天姫。
こちらの人生もなかなかすごい。

正之が亡くなった時点で、満天姫は身籠っていたが、
関宿城に出戻りの身となる。

正之にしろ、満天姫にしろ、色んな説があるんだけど、
満天姫が実家に帰るまでのひとつの話として、こんなのもある。


徳川家から迎えた満天姫を正室とした正之を、
正則は簡単に廃嫡する訳にもいかず、
正則の実子・忠勝の成長を待ってから正之を殺して、
徳川家との大切なつなぎ・満天姫をまだ9歳の忠勝の妻とした。

下手に介入して福島家が再び豊臣家とよりを戻すことを恐れた幕府は
とりあえず見逃したが、時が進むにつれ豊臣恩雇の大名家の世代交代が
進んでくると、次第に幕府も強硬政策を取るようになり、
満天姫を離縁させて子とともに福島家から引き離した・・・

でもね、正則自身だって家康の養女を継室に迎えてるんだから、
満天姫をキープする必要があったかな~って気もするけどね。


何にせよ、実家に戻った満天姫は今度は津軽信枚(のぶひら)に再嫁。
弘前藩2代藩主・信枚は、江戸に伺候した際にあの南光坊天海に
弟子入りしたといわれ、江戸初期の津軽家での様々な出来事に、
天海の姿が見え隠れする。
満天姫の嫁入りについても、天海の進言があったといわれる。

満天姫が嫁入りする前、信枚にはすでに正室がいた。
それが、石田三成の娘・辰姫。

この辰姫を側室に降格して津軽家の飛び領である上州へ移し、
満天姫は正室として迎えられた。
正之との間に生まれた子も一緒に。

子供だけじゃなく、正之の姿が描かれた「関ヶ原合戦図屏風」も
一緒に嫁入りした。
これは家康が土佐派に描かせたもので、駿府城に飾られていたが、
満天姫がおねだりして右隻をゲットしたものだそうで、
現在は国の重要文化財となっている。


辰姫は側室に格下げされて遠くに移されたものの、
参勤交代のたびに信枚がマメに通ったため、長男を生み、
これが後の第3代藩主となる。



さて、正之と満天姫の間に生まれた男の子は、弘前藩家老の家に
養子に出され、大道寺直秀と名乗った。

大道寺?と思った方もおられるでしょうが、はい、
後北条家家臣の大道寺政繁の養子の、そのまた養子になった訳です。

直秀は津軽信枚の弟分として、準一門の扱いを受けた。

いくら母の再婚相手が藩主だとはいえ、
信枚には辰姫との間に長男が生まれていたし、満天姫との間に儲けた次男もいる。
他にも沢山の男子がいた。

直秀が津軽家の跡目を継ぐにはだいぶ分が悪いよな~と思うんだけど、
長男が家督相続した件については、どうも不満があったらしい。

「自分は家康の義理の孫」というプライドもあったのかもしれない。

そして、寛永元年(1624)に既に改易されていた
福島家の再興を次第に考えるようになっていった。


母である満天姫はそんな直秀を諌めていたが、とうとう直秀は



ってとこまで盛りあがってしまった。

そして寛永13年(1636)、江戸への出立に先立って
母の元へ挨拶に来た直秀は、杯を飲み干した途端に苦しみ出し、
そのまま絶命したという。

満天姫、あるいは養父の大道寺直英に毒を盛られたというウワサがある。
もし満天姫の犯行だったとしたら、婚家を守るために
実の子を殺したってことになる。

なんて壮絶なんだ・・・


正之の死も、直秀の死も、真相は歴史の闇の中。

満天姫に関連しては、もうひとつこんな話が残る。


元和5年(1619)、幕府はとある転封の内示を出した。
すなわち、

 福島正則 : 広島⇒津軽
 津軽信枚 : 津軽⇒越後

というもので、福島家は広島城無断修復問題に絡む国替だから、
津軽への移封は確定していたようだけど、
代わりに出ていかなきゃならない津軽家としては、
引っ越し費用だってバカにならないし、
父祖の地を取り上げられる訳だから、嬉しい話じゃない。

けど、信枚は家臣とその家族、陪臣、有力な寺社など、百姓以外の希望者は
すべて越後への同行を許すと発表したところ、83人の下級武士が
すぐさまこれに希望した。

そして家中に引っ越しについての詳細な指示を出しつつ、
隣人の佐竹義宣に判金100枚(金10両に相当)の
引っ越し費用を借りるなど、粛々と準備を進めていた。

佐竹義宣は義宣で、津軽の人々が自領を通過する際には便宜を図るよう
手配してやってもいたが、内心、借金が踏み倒されないか、
また津軽領内で国替に反対して一揆などが起こらないか、
ちょっとビクビクしていたらしい(笑)。


しかし、内示から1ヵ月もたたないうちに津軽家の移封は取り消され、
福島正則は川中島へ減封となった。

取り消しの理由としては、津軽家家臣の反対運動が功を奏したとか、
満天姫が尽力したとか、津軽信枚が天海のコネを頼ったとか、
正則自身が津軽行きを拒否したとか、色んな説がある。


どの話にしても結局真相はわからないけど、
あちこちに満天姫が顔を出すあたり、
ただ手をこまねいて傍観する深窓の姫君というよりは、
婚家の危機に積極的に対処したという話が生まれるような
なかなか強い意志を持った女性だったのかな~と思う。

もしも正之が生きながらえて満天姫も三原城にいたとしたら、
あるいは婚家である福島家のその後も、
もしかしたらちょっと変わっていたのかも・・・
なんて想像が頭をかすめた。


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最終更新日  2012年09月29日 17時57分49秒
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