戦国ジジイ・りりのブログ

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2012年10月06日
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カテゴリ: 旅日記(中国)
3日目<2012/8/27(月)引き続き晴れ>


昨日、思いもかけず頑張りすぎたせいか、
ゆんべはなかなか寝付けなかった。

涼しいうちから行動を開始しておくと体がラクだから、
今日も早起きするつもりだったのが、なぜかケータイのアラームが鳴らなくて
予定より1時間ほど起きるのが遅くなった。

最初から予定が狂ったもので、支度するのもなんだか億劫になり、
だらだらと準備してたら、宿を出発するのがかなり遅くなった。

まあ、昨日頑張ったから、今日は気持ち的にも




今日も朝からクソ暑い。
でも九州にいる台風の影響か、昨日より風があるのでまだマシかな。

ただ、宿を出てすぐの時点から腰が痛い。
やっぱり昨日、騙しだましで行動してたから、
疲れが抜けてないんだな


まず向かったのは、城町公園にある三原城の東舟入櫓跡。
これについては、三原城のところで一括して書きますので、
ここでは割愛します。

・・・しますが、ちょいとここで失敗談を・・・


三原・東船入櫓11


↑これが東船入櫓の石垣。

カメラを構えたまま後ろへ下がった。

そしたら、通路と植え込みの間にある数センチの段差のところを
変な風に踏んでしまって、バランスを崩してそのまま仰向けに植え込みに
倒れこんじゃってさ~

あれ、何の木だろう?

しっかり枝先がそろってたので、ウン十キロの私の体重も
余裕で支えてくれたんだけどね。

つまりは、地面にまで落ちずに済んだんだけど、
ちょうどバアちゃんが通りかかったのに、完全に無視された。
ババアに手を貸してもらおうなんて思わないけど、
普通、高齢者って 「大丈夫?」 くらい言わないか?

って、恥ずかしさのあまり、通りすがりのバアちゃんにまで
ケチをつけたくなるほどだったけど、とにかく大きなケガは
なかったみたいだしな・・・

植え込みがなくて、そのまんま仰向いて倒れて、
その場に運悪く石でもあったりしたら、ヘタしたら死んじゃうかもしれない。

昨日の疲れが残ってて、いつも以上に頭がボケ~っとしてるみたいだから、
これは今日は充分に気をつけた方がいいな。
とちょっとフンドシを引き締めた。


それで、足元に注意をしながら再度写真を撮って
公園を出たところに、この像があった(場所は こちら )。


三原・聖トマス小崎像


 【聖トマス小崎少年について

  「私のこともミゲル父上のこともご心配下さいますな。天国の全き幸福を
  失わぬよう努力なさいますよう。人からいかなることを受けようと耐え、
  すべての人に、大いなる慈悲をかけられますよう。
  陰暦十二の月二日 安芸の国、三原城にて」

  1597年、豊臣秀吉のキリシタン弾圧において長崎西坂の丘で処刑された殉教者
  26人の中に、14才のトマス小崎がいた。京都から長崎へ護送される途中
  三原にて伊勢の母マルタに書いた別れの手紙の一部である。

  処刑後父ミゲルの襟元から発見され、その訳はローマに保管され日本26聖人の
  1人として、世界の人々にあがめられている。
  このけなげな少年の心を末永く伝えるために、城址に近いこの地に碑を建立した。
  1993年1月17日 三原カトリック教会】


秀吉のバテレン追放令の原因については色々と説があるけど、
基本的に一神教ってのは、他の宗教との共存は無理だからな。
まして昔の事だし。

もしタイムマシンで戦国時代へトリップして、
とりあえず信長様を本能寺の変から救うことができたなら、
私だったらやっぱりキリシタンの排除を信長様に助言すると思うけどね。

長い鎖国の時代に入って、日本は文明的に遅れたともいうけど、
世界の情勢を見れば、キリスト教の受け入れはかなりのリスクを伴うもん。

とはいっても、わずか14歳の少年がどんな思いで
この手紙を書いたのかって事とは、また別の問題だけどね。



駅前に通じる大通りへ出て、東へ。
昨日は西町エリアを攻めたけど、今日は東町エリアの制覇を目指す。
でも西町ほど寺社は多くないので、昼すぎ位までには東町の寺社めぐりは
終わるハズ・・・

駅周辺のお店で涼みながらちゃんとしたご飯を食べて、
午後は移動して糸碕神社へ行くんだ。
と、今日は軽めのプランの予定。


三原・東浮城通り


ここは「浮城東通り」。
浮城というと、どうも忍城(おしじょう)が頭に浮かんじゃって、
三原城=浮城ってのにまだ馴染めないんだけど(笑)。


三原・東浮城通り2



前方に見えてるのが、米田山かな。
今日はあの山麓に建つ寺を回るんだ
左側に見えてるのは、新幹線のガード。
三原は新幹線停車駅だからね。いちおうね。


ちんたら歩いて、出たのが和久原川(場所は こちら )。


三原・和久原川


あらら、ずいぶんと水量が・・・

沼田川でもところどころ干からびてるような所があったので、
雨が少ないのか聞いてみたけど、特にそんなこともないって話だったんだけど・・・

慶応の「備後國三原城繪圖」では、写真の右手には曲輪があり、
「網打場」と描かれている。
そして川沿いには多門長屋が、その内側には「御船手多門」があった。

地図にリンクしてもらえばわかるけど、和久原川は大きく蛇行する川。
ちょうど、岡山城の旭川みたいだよね。
ここも、川筋を付け替えたんだと思うけど。

そしてこの和久原川が三原城の一番東の外堀にあたる。
つまり、今私がいるのは、城内最後の地点てこと。
して、三原城域の一番東に現在建つのは・・・


三原・和久原川2・これより城内


また、やっさだ(笑)。
和久原川より東の地域は「古浜」といい、
かつては塩田だったという。


さて、城外へと歩き出すが、寺町へ向かう前にちょっと寄り道(場所は こちら )。


三原・古浜入川


古浜入川沿いにある旭町は、江戸時代から続く漁師町。
三原名物・タコに関連するモノが見られるらしいので、
まだタコ料理を食っていないにも関わらず、痛む腰をおして
わざわざ寄ってみたんだけど・・・

あれ・・・なんだか、見当たらない・・・?
すぐわかるかと思ってたんだけど、ないなあ。
せっかくここまで来たのに・・・
と思って、未練がましく川沿いを歩き始めたら、あった!!


三原・古浜入川2・たこつぼ



あっ、船の中にも!!
ああやって漁場まで積んでいくのかあ~。


三原・古浜入川3・たこつぼ



三原・古浜入川4・たこつぼ



しゃがみこんでつぼの中を覗いてみたけど、何か特別な作りって訳でもない。
へ~え、これでタコを獲るのかあ。

ところで私、帰るまでにタコ料理にありつけるんじゃろうか?


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最終更新日  2012年10月06日 11時28分49秒
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