戦国ジジイ・りりのブログ

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2012年10月06日
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カテゴリ: 旅日記(中国)
たこつぼのある古浜入川には、公園が隣接する。

公園へ入ろうとして、小さな建物の前を通り過ぎようとした。


三原・古浜入川5・三原新四国



漁業組合の建物か何かかと思ったら、
「三原新四国 第一番」「三原新四国 第二番」って書いてあった。

おっと!
三原新四国はここからスタートなのか。

ガラス越しに見ることは見れたんだけど、写真がないから閉まってたのかな。



で、フラフラしながら公園にある碑まで歩いていったが、
どうも郷土のナントカさんを称える碑ばっかりみたいだった。
公園の隅にはベンチがあったので、ここで一休み・・・


もうすぐ11時。
ここへ来るまでに、三原城の遺構に寄ってたのもあるけど、
まだ寺町に入ってもいないのにこんなに疲れてて、
今日は予定をこなせるんだろうか・・・


三原・古浜入川・古浜北公園3



向こうには、これから行く米田山が見える。
結構、大きい山だよな・・・


しばし休んだ後で立ち上がったら、公園の隅に何かあるのが目に入った。


三原・古浜入川・古浜北公園5



そういえば、この辺に灯籠がぽつんと立ってるって
「城下町みはら散策マップ」に書いてあったっけ・・・
これがそうかな?

後から地図を見たら、これじゃなくて古浜入川沿いにあるのが
正解らしかったんだけど(笑)、こんな公園の奥にひっそり

大きくて立派な灯籠だったけどね。


ベンチの近くにあった遊具のひとつは、こんなのだった。


三原・古浜入川・古浜北公園6



なんだろ、これ・・・
タコの足?
でもこの4つのプツプツは、タコの吸盤っていうより
ナウシカに出てくるオームの目みたいだ(笑)。


さて、浮城東通りに戻って新幹線のガードをくぐると、
そこが西国街道(山陽道)。


三原・西国街道から南側



奥が南。奥からず~っと来て、


三原・西国街道から北側


この道をしばらく辿っていくと、東大手門を経て
三原城内へ入る。
これからその道を行くんだけど、まずは寺を巡ってからね。


して、西国街道沿いに建つのが、太神宮(場所は こちら )。


三原・太神宮


おお、小さいとは聞いてたけど、ホントに小さい(笑)。
しかし、見かけに騙されちゃいけない。
ここは歴史のあるお社なのだ。



太神宮が祀るのは、伊勢神宮。
小早川家では元々、伊勢神宮を信仰しており、
伊勢から村山大夫という御師が来ていたそうな。

そして、上の写真の西国街道の先では、
現在も神明祭というお祭りがおこなわれている。


 【「神明祭」とは、伊勢神宮を祀る祭りのことを言います。
  この信仰が全国にひろまったのは、室町末期で、三原もその頃、
  この地方の港町として栄えつつあり、当時、九つの町組が寄り合って始めたのが
  祭りの起こりと言われております。

  毎年2月の第2日曜日を含む前3日間、東町、館町、本町一帯で行われる
  神明祭りは、往時には旧暦1月14日に、とんどをまき、神棚を飾り、
  伊勢神宮の弊を観請し、あちらこちらの店先に翁人形やだるまを飾りつけ、
  東町、館町一帯に数百の露店が立って、身動きならない程の人出で賑わいました。

   三原城を築いた小早川隆景は、この祭りを大切なものとし、瓶子一対を寄進し、
  近郷より繰り出す景気人出の模様を見て、その年の豊凶を考量されたと
  言われています。
  備後地域の春祭りのさきがけとして、その遺風は現在まで受け継がれています。】
  (三原観光協会「海・山・空 夢ひらくまち」より)


小早川家の伊勢信仰は、三原だけにとどまらず、
実は山口県の柳井市にも飛び火している。


 【阿月神明祭は「左義長」という宮中の行事が民間に伝えられた俗称「とんど」と、
  神明信仰の習合した神明祭に、小早川家の軍神祭が習合した祭事といわれています。

  旧阿月領主の祖浦宗勝とその子景継は小早川隆景に従って文禄元年(1592)
  朝鮮半島へ出陣の折、伊勢神宮へ祈願をして大勝を得た事により、
  以後小早川家の軍神祭として執り行なわれることになりました。

  その後、正保元年(1644)浦就昌が阿月に移封され、阿月の東西両地区の
  砂浜2ヶ所に、天照皇大神宮(東神明宮)並びに豊受神宮(西神明宮)を
  奉祀しました。この時より神明祭は始まったとされています。

  この祭りは、松・竹・椎・裏白・梅・橙・皇大神宮の大麻並びに扇等を以って、
  天照皇大神をまつる御神体を作ることからはじまります。この御神体を阿月では、
  神明或いは神明様と言って、浦氏の時代から今日まで連綿と守り継がれています。
  (保存会資料による)】
  (柳井市のホームページより)


浦宗勝は、乃美宗勝のことね。
隆景個人としては、厳島大明神も信仰してたみたいだけど、
いずれにせよ、水主の家だなあ~って感じがするな。


三原・西国街道は西へ



この先で、西国街道は大きく西へカーブを描く。
ついつい誘いこまれそうになるけど、まずはこちらへ。


三原・籠恕神社


奥の石段を上がっていると、近くの民家から
フルートの音が聞こえてきた。

ドレドレミソラソドシレドシレドラソソラソドラソミレ~

・・・あ、ユモレスクだ。

大人になってから覚えた歌詞だとかって、
ちょっと歌わないとすぐ忘れるのに、
子供の頃に覚えたモノって何十年たっても忘れないもんだよな~。

脳ミソの不思議さにニヤニヤしながら上がったところで、
あまり広くない道に出た。


三原・籠恕神社4



三原・籠恕神社5



イマイチ確信が持てないんだけど、たぶんこれが旧西国街道。
三原城ができてから、西国街道を山腹から下に付け替えたみたいなんだよね。

それまでは恐らく、山際近くまで海が迫ってたでしょうから。
なので、米田山の山腹に沿ってぐるりと北に回り込む道だったみたい。
陸路と海路を結ぶ重要な街道として、この辺りは古くから開けていたという。

また、朝鮮の役に出陣する徳川家康がこの道を通っていったんだとか。
大軍が通るような道じゃないんだけど、昔はみんな
こんなもんだったのかな・・・

ここを通って、家康は 宗光寺 に泊まったってことだな。
て事は、文禄・慶長時代には、まだ西国街道は米田山腹にあったのか~。


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最終更新日  2012年10月06日 17時08分43秒
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