戦国ジジイ・りりのブログ

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2012年10月08日
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カテゴリ: 旅日記(中国)
こちらが本堂。


三原・極楽寺26



 【広島県重要文化財 極楽寺本堂 

  極楽寺本堂は、江戸時代中期の建造物で、向拝を設けない簡素な造りであり、
  素朴な構成で統一されている。

  浄土宗の本堂は内陣を結界で仕切るのが一般的であるが、その様式が残って
  いるものは少なく、極楽寺本堂は結界と建具が残っており、他に例を見ない
  ものである。この本堂は、古来の素朴な仏堂形式を受け継いだ可能性が高く、
  県内の仏教建築史上注目される建造物である。


  特徴の一つである。】
  (現地解説板より)


 【日照山無量寿院 極楽寺-浄土宗-

  創建:嘉禎3年(1237)、開祖良忠上人(記主禅師)

  縁起:浄土宗第三祖良忠上人が九州よりの帰途、豊田郡舟木村川西の極楽谷
     (現本郷町)に開寺。(中略)城主浅野忠真公によって、寛文年中(1661
     ~72)現在地に移寺された。

  本尊:阿弥陀如来立像(お念仏を一心に唱えると尊体に汗をかかれると言うことから
     ”汗かきの弥陀”と申して江戸時代人々の信仰を得た。)

  建立:平成元年、当山開寺750年を記念して、境内に鐘楼及び梵鐘、観音菩薩尊像、
     法然旅立ち像、詩人坂村真民の石碑2つ等を建立する。


     モデルのマツ婆さんらの墓がある。

  寺宝:開祖良忠上人著書、浄土宗関係古書、福山藩主阿部家秘蔵の結び雛形4箱等
     多数を蔵する。】
  (現地解説板より。他の解説と重複する部分は一部省略。)



本堂の建築年次は元文2年(1737)とある。


山門以外にもいくつかある。


まず、本堂の浄土宗の完全な結界ってどんなだ!?
って興味はあるけど、これは結界という性格上、見られないだろうなと
思っていた。

ただ、三原観光協会様のサイトに

 【本堂内陣正面に、京都の彫刻師中村頼祐作の「龍と波に遊ぶ兎」の
  素晴らしい欄間があります。 】

ってあったので、これは是非とも見てみたかった。
けど、写真の通り本堂から少し離れた位置に柵があるので、
近づくこともできない。

拝観できるか聞いてみてもいいんだけど、
内陣にあるんだったら、やっぱり見られないだろうな・・・
と思って、諦めた


柵の中にある灯籠は、


三原・極楽寺23


三原・極楽寺24



アハハ、2つ合わせて「極楽」だあ~!
(笠の下の部分を見てね)
この灯籠の隣には、法然様がおわす。



三原・極楽寺21



ん~っ、大善寺の 「旅立ちの法然さま」 とよく似てるなあ~。
顔がビミョーに違う気もするけど、材質のせいかもしれない。


そしてこちら↓が、本堂に続く玄関。


三原・極楽寺16



気をつけてるのに、何でいっつも写真が曲がってるんだろう
心が曲がってるから?(笑)

そしてこちら↓が、極楽寺の法然さまと同世代だという鐘楼。


三原・極楽寺27


境内には、小さなお堂もあった。


三原・極楽寺28



おっと!
これは「三原新四国 第五十四番」だって。

この隣のお堂の屋根には、こんなのが載ってた。


三原・極楽寺29


これも宝珠だろうな・・・
また下に鏡餅みたいの敷いてるし(笑)。 



さて、ここから墓地へ入って湯浅甚介さんの墓を探しに行った。
ここも山肌に沿うように墓が並んでて、朝の失敗があったので、
足元に十分注意しながら墓地をウロウロ・・・

しかし、案内板のようなものはなく、残念ながら墓は見つけられなかった。


湯浅甚介というのは通称で、湯浅直宗さんは紀伊で最大の武士団を率いた
湯浅宗重の一族とされ、信長様の馬廻衆。

本能寺の変の時には町中の宿に泊まっていたが、
急報に接し、本能寺に駆けつけて討死した。
直宗の子は織田信雄(信長次男)に仕えて、現在の愛知県一宮市に
所領を得たという。

本能寺で亡くなったのなら、まずここのは本墓ではないと思うけどね。
本能寺とか阿弥陀寺にある合祀の供養塔にも、
甚介さんの名前が刻まれてるのかな・・・

三原行きが決定するまでは甚介さんの事は知らなかったものの、
是非手を合わせていきたいと思ってたけど、
見つからないものはしょうがないよな。


さて、これで極楽寺はおしまい。
あの鼻血モンのアプローチを下りて、次の寺へ旧西国街道を歩きだす。


三原・極楽寺3



と、すぐに石垣の継ぎ目が目に入った。


三原・極楽寺31



う~ん?何でこんなところ・・・?
と思って見上げると、ちょうど山門の部分だった。


三原・極楽寺32


アプローチを付け替えたのかな?
昔はもっと狭い石段だったとか。
あるいは、山門のリフォームと何か関係があるのかな・・・

このすぐ先にも、継ぎ目があった。


三原・極楽寺33-2


継いだ部分を取っ払うと、そのまんま「櫓台で~す」で
通りそうな構造だよな。
継ぎ目の先の土塀の造りもちょっと変だし。
昔はもっと横矢がかかってたって事なのかな?

元の石垣がいつ造られたものかはわからないけど、
昨日の西町エリアに続き、やっぱりここもただ者じゃない・・・

だって、寺の石垣を見てるだけなのに、
自然と城郭を見る目にさせられちゃうような造りをしてるんだもん。


あ、角のところの石は石塔か何かの転用だ。


三原・極楽寺34-2



石垣といえば当然刻印を探すけど、その他にも
石塔・石仏の転用されたものとか、矢穴を探すのが好き。
極楽寺の石垣にもそんなのをいくつか見つけた。


三原・極楽寺からの道2-2


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最終更新日  2012年10月08日 14時57分24秒
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