戦国ジジイ・りりのブログ

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2012年10月11日
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カテゴリ: 旅日記(中国)
三重塔から戻ると、自販機があるのを見つけた。
境内に自販機なんて、珍しい・・・
で、本堂の縁側に腰かけて缶コーヒーで一休み。
今日、何回座り込んだだろ

極楽寺の山門を出ると、目の前にはこんな光景が広がる。


三原・松寿寺36



外枡形・・・
だめだ、自分が一体何を見てるのかわからなくなってくる

山門の外側の塀にも、ハトがいた。


三原・松寿寺37



なんでこんなにハトが多いんだろう?
三原以外でハトなんて見たことないんだけど。
どの位のエリアに分布してるのかな~。


石段を下りてく途中の石垣には、銘が彫ってあった。


三原・松寿寺38



よく読めないんだけど、明治27年に補修か何かしたみたいだな。

ここから先は、どうも旧西国街道沿いには行けなさそうなので、
一旦石段を下りきる。
一番下からあらためて松寿寺を見上げると、長い石段が立派だった。


三原・松寿寺52



下りたところの道は、またも細い。


三原・松寿寺51下の道



ここから少し北へ向かうと、観音寺がある(場所は こちら )。


三原・観音寺



三原・観音寺3



この山門の軒丸瓦は、


三原・観音寺4


折敷(おしき)に三角字。蟇股も。


三原・観音寺5


もうひとつの蟇股はこんなのだった。


三原・観音寺6


周りの部分はかなり華奢だから、ほとんど飾りだよな。
真ん中の束(つか)で支えてるカンジ。
あまり見ないタイプ・・・

でも、上下の柱はかなり新しいみたいだから、
蟇股の部分だけ古いものを転用してるのかもしれない。

木鼻はゾウかと思ったら、違ったわ・・・(笑)。


三原・観音寺7



三原・観音寺8


こちら↓が本堂。


三原・観音寺10


三原・観音寺13



緑が多くていいんだけど、本堂の真ん前とかはホント勘弁してほしい・・・
いい建物なのに。


 【海南山道場院観音寺の本尊は、行基菩薩の作といわれる十一面観世音で、
  この仏像は康平の頃(1058年頃)豊田郡高崎沖に出現したといわれるもので
  その後沼田に移し安置されていました。この仏像が弘安の頃
  (1278年-1287年)諸国遊行をしていた一遍上人の目にとまり、
  小坂町水無谷に道場を建立しこの仏像を本尊にして祀られ、
  上人が開祖となりました。

  慶長3年(1598年)城下のこの地に移されました。】
  (三原観光協会「海・山・空 夢ひらくまち」より)


慶長3年なら、隆景の死の翌年だな。
隆景ちゃんの生前に移転は決まってたけど、
実際のお引っ越しがずれ込んだとかかなあ・・・



↓本堂正面の蟇股。


三原・観音寺14



「はらわた」がはみ出してるというより、
「はらわた」のみで構成されているようです(笑)。
これは唐獅子かな?金目じゃん。


向拝の木鼻は、躍動感がある。


三原・観音寺16



三原・観音寺17


↓こちらが本堂の内部。
最初から戸が開いてたので、遠慮なく見させて頂きました(笑)。


三原・観音寺20


本堂の軒下。


三原・観音寺23



先っぽだけ板が張ってあるのは、何なんだろう。
それに、この写真の中で、「この補修ってアリかな~」って部分があるんだけど、
シロートだから下手なつっこみはやめておこう

境内を出て石段を下りる途中で振り返ると、ここにも石垣があった。
ただし、ここのは新しそうだけど。


三原・観音寺26



さて、極楽寺以降、松寿寺・観音寺と山腹の城を3つ見てきました。
この辺りは、割に早くからお寺だとかがあったようだけど、
隆景が三原城下を整備した際にも、もちろん手が入ってる。

重要な街道沿いでもある訳だから、恐らくそれなりの構えをした
構成になってたとは思うんだけど、極楽寺と松寿寺の寺歴を見るに、
現在残る造りは浅野忠真さんがかなり手入れをした後のものって事になると思う。

正保元年(1644)に幕府が提出させた城絵図によると、
すでにその時点で西国街道は山腹から降りてるのがわかるので、
もう街道沿いを固めるという意図ではないだろうな。

とすると、城や砦の新築ができない状況下で、
やっぱり砦の役目を持たせて寺町の強化を図ったのかな~って思った。



観音寺の境内は、寺域がちょっとゆるいというか、
山とかとの境界がぼんやりしてるというか、
あんまりかっちりした感じじゃない。

三原編でこれまでに、三原の寺を丁寧に巡っている先人の事を
引き合いに出してきたけど、実はこの方はかっちりしてガードの固い寺よりも
地元の住民などが気軽に出入りできるようなオープンな造りの方が
好きならしく、3つの寺の中では観音寺が一番好印象だと書いておられた。

実際、自分の足で歩いてみると、ある意味西町エリアよりも
近代的な固さみたいのを感じたし、歩いた後でこの方の観音寺の記録を
読み返した時、思わず笑ってしまった。


城の防御機能の一つだもん!ガード固いはずだって!!」


・・・あ、笑うって言っても、別にバカにした訳じゃなくてね。

この方は、お寺は好きだけど城の知識はないらしく、
城とか城下町の機能とかってものを念頭に置かずに
あくまで「寺」として見てるから、城を中心に考える自分の印象との対比が、
すごく面白かった。

城の知識がない方でも、何とはなしに違和感を感じるような町の造り。
それこそが、本来の意味での城下町なんだよ~って声を大にして言いたくなった。

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最終更新日  2012年10月11日 21時14分42秒
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