戦国ジジイ・りりのブログ

戦国ジジイ・りりのブログ

2013年01月18日
XML
カテゴリ: 旅日記(中国)
※「鏡山城(11)」の続きです。


次に目指す寺は、ちょっと辺鄙なところにある。

交通費の節約のために、東広島駅までバスで出て
そこからタクシー・・・ってのも考えてたけど、
日の短い時期だし、ゆっくりしてはいられない。

ので、鏡山公園からタクシーで向かった。


近くないのはわかってたけど、思ってたより遠かった。
しかも、途中からはぐんぐん山へ入っていく。

まあねえ~、すぐ近くには天文台があるくらいの場所だから、



タクシーのおじさんは、物静かな人だった。
ので、イマイチ会話もはずまないまま目的地へ着いた(場所は こちら )。


 【福成寺(ふくじょうじ)の指定文化財

  福成寺は、縁起文によると、奈良時代、神亀3(726)年ころの開基と伝え、
  当時は福納寺(ふくのうじ)と称されていました。
  平安時代の寛仁年間(1017~21)に現在地に移され、室町時代には、周防国
  (山口県)の守護大名大内氏の宗教的拠点として栄えました。

  福成寺には、国指定の文化財1件、広島県指定の文化財5件が残されており、
  いずれも、寺の長い歴史を伝える貴重な歴史資料であると同時に、東広島市の歴史・
  文化を理解する上で欠くことのできないものです。】



ふっへっへここも大内氏のゆかりです。

県の重要文化財である5件のうち、「福成寺文書」については
「広島県教育委員会事務局」様のホームページに次のような解説がある。


 【福成寺に伝わる南北朝時代(1333~1392)から安土桃山時代

  西条盆地の歴史を知るうえで貴重な資料である。

  後醍醐天皇綸旨(りんじ)と後村上天皇綸旨は福成寺が建武政権の庇護を得、
  南朝勢力の拠点であったことを示す。毛利弘元書状は山口の氷上山興隆寺
  (大内氏の氏寺)別当宛で、室町戦国時代に東西条(西条盆地と黒瀬川下流域)が
  大内氏直轄領でこの寺がその精神的拠点であった時期のもの。

  天正12年(1584)6月付の毛利輝元書状と同奉行人連署禁制は
  伊予の河野通直が土佐の長宗我部氏の攻撃をうけ、毛利氏の救援を求めて
  安芸に渡海し、この寺で輝元と会見したことを示す史料である。(以下略)】


どうです、なかなかの歴史でしょお~。


大内氏の氏寺・興隆寺の名前が出てきましたね。
山口市にある興隆寺については、 「山口編(21)」 以下数話にわたって
書きましたが、あそこは大内家とゆかりがあるどころの話じゃない。
したがって、今に残る「興隆寺文書」も、大内氏を知る上で重要な史料。

「鏡山城(2)」 で、

「ひろよんの長男・義弘の時代には、すでに東西条は大内家の支配地と
なっていたらしい。
これは、東西条の寺に対する義弘の処置から窺われる。」

と書きましたが、「東西条の寺」はこの福成寺のことを指します。


応永元年(1394)10月、福成寺の別当職を大内義弘が興隆寺に寄進したという
内容のものが「興隆寺文書」にある。
そして、福成寺は興隆寺の末寺となった。

義弘の応永の時代には東西条で大内氏が支配権を持ち、
福成寺が大内氏の宗教的拠点となったというのは、ここからきている。

そんな歴史を持つお寺だから、ちょっと不便なところにあるものの、
是非ともここには来たかった。



車道を上がって、まず現れるのは山門。


東西条・福成寺1・仁王門



東西条・福成寺2・仁王門



門にはこんなものが貼ってある↓。


東西条・福成寺3・仁王門



はいい~!?
門にお賽銭を捧げる人がそんなにおるのか?
気が早いのう・・・

で、門の両脇におられるのはこのお2人。


東西条・福成寺4・仁王門



東西条・福成寺5・仁王門


つまり、これは仁王門な訳ですね。
ここの仁王様はお顔も独特だけど、手も独特(笑)。
そんな角度で、疲れませんか?


東西条・福成寺6・仁王門



「三原編」で寺町めぐりをしてる辺りで、あちこちの寺を回ってる方のことを
何度か引き合いに出したけど、その方は福成寺も回っておられて、
今回も参考にさせていただいた。

その方は建築を主眼にして見ている方で、実は福成寺についてはあまり
いい評価をしてなかったんだけど、まあ評価は人それぞれだし、
もちろん私は私の視点で見ようと思っていた。
歴史もあるお寺だし。


で、向かって右の仁王様の玉垣にはこれが設置してあった。


東西条・福成寺7・仁王門



う~ん・・・
門に取り付けられてる賽銭箱って、私は初めて見たような気がする。

奥まで行くのがしんどいから、ここでお賽銭を済ませちゃうのか?
すでにこの場所が山の上なのに?

それとも、仁王様があまりにお茶目だからつい節分の豆まきみたいに
お賽銭を投げつけたくなる人が多いのだろうか。



門には、こんなものもあった。


東西条・福成寺9・仁王門


「足腰が強くなりますよーに」の願かけって感じだけど、
掛けられてるのはこれだけだから、ホントに足腰関係で霊験あるのか?
ましゃか、お寺で使ってるものを干してる訳じゃないよな。


裏から仁王門を見ると、こんな感じ。


東西条・福成寺12・仁王門


う~ん、悪くはないんだけど・・・
先へ進もう。



東西条・福成寺15



門から先は、少し歩く。
大内家当主でここに来た方がいるかはわからないけど、
少なくとも毛利輝元と河野通直はここに来たらしい。
河野通直さんについては、そのうち書く機会があるでしょう。


福成寺境内の樹は「福成寺の巨樹群」として県の天然記念物に指定されている。
解説板には「いずれも数百年の樹齢を経ていると推定されます」とあるけど、
この通り沿いからはよくわからなかった。
けど、その中には大内氏時代を知る樹木もあるのかもしれない。

で、その解説板の近くにはこんなものもあった。


東西条・福成寺17


これの裏側とか林の中に文書を納めてるような宝物館とか
何らかの建物があるのかと思ったけど、何もない。
何でこんなところにおもむろにこれを設置したんだろう


参道の奥の左側には、現代風の歌碑とか何やら色んなものが
置いてあったんだけど、その中にこれもあった。


東西条・福成寺21



ふ~ん、仁王門は最近修築されたのか・・・
あの門がいつ造られたものかはわからないけど、
手入れの仕方とか、あんまり当時のままって感じじゃなかったもんな。

で、同時に新築された渡廊下はたぶんこれの事を指すんじゃないかと思います↓。


東西条・福成寺22



橋だけどね。
庫裏の方は今回見られなかったからはっきりとは言えないけど、
ぱっと見た感じ渡り廊下っぽいのはなかった気がするから、
この橋を言ってる気がする。


東西条・福成寺27



橋は、鉄筋コンクリート造りです。
う~ん・・・

橋には貼り紙があって、元日から3日までは法要、2日の昼からは
護摩法会があると書いてある。

ああ、そうか・・・
呑気に私はこんなとこ来てるけど、世間では大晦日だもんな。

橋にはライトアップ用のろうそくみたいのが置かれ、
橋の向こうの本寺域でも数人が掃除したり何やら飾り付けをしている。
今日の夜から三が日の間は、参拝客が多く来るのかもしれないな。


にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ
にほんブログ村





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2013年01月18日 22時03分55秒
[旅日記(中国)] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

りりじい

りりじい

カレンダー

コメント新着

王島将春@ Re:浅草&寛永寺法要編(8) 東国の成熟(01/08) はじめまして。福井市在住の王島将春(お…
よー子@ 墓参り2014(2) 慈眼寺~芥川龍之介と小林平八郎の墓(08/02) 前略 初めてお便りします。 質問ですが、…
伊藤友己@ Re:上野第三編(12) 寛永寺105/清水観音堂~越智松平の灯篭(06/20) 越智松平家が気になって詳しく拝見しまし…

サイド自由欄

よみがえる江戸城 [ 平井聖 ] 価格:2916円(税込、送料無料)






PVアクセスランキング にほんブログ村

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: