戦国ジジイ・りりのブログ

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2013年01月23日
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カテゴリ: 旅日記(中国)
おじさんに降ろしてもらったのは、黒瀬川にかかる石ヶ瀬橋。


東西条・黒瀬川


黒瀬川は、さっき見てきた吾妻子の滝の下流にあたり、
吾妻子の滝の先からぐぐっと北上して、途中で大きく西に向きを変え、
この写真の先でさらに南に向きを変えるという、面白い形をしている。

大きな地図で見てると、このまんま堀としていけるじゃん!てな地形なんだけど、
鏡山からはちょっと遠いし、当時もこんな形をしていたのかはわからない。



東西条・黒瀬橋


くろせがわ~流れる岸辺~
(←違います)



ここから食料調達にスーパーまで歩く。
すぐ近くにコンビニもあるんだけどね。

途中のふた↓。


東西条・西条のふた2


あんまり綺麗じゃなくてごめんなさいね。
だいぶ薄暗くなってきてたもんで

しかし、東広島はいろんなふたがあるな~。
市役所も大きくて綺麗なものに建て替えてたし、
鏡山公園の遊具は立派だったし、東広島っておかねもち・・・?



東西条・西条の夕焼け~





今回行く城のうち、3/4は実戦経験のある城。
つまり、古戦場。

前回の福山編についてはまだプロローグしか書いてないけど、
前回から投入した新アイテム・ 腕輪念珠 は実は今回のために買ったものだった。


今回は本格的な山城で、当然山の中ばかり。
まあ、近世城郭と違って、大抵の山城は戦いの歴史を持ってると思うけどね。


「古戦場が恐いなら、行くんじゃねぇ!!」

って自分で自分にツッコミ入れてみたりするけど、
ひたすら萌え~で行き先を決定した後に


」


て感じだったので(笑)。


今回はすごい城ばかりなので、恐怖心よりもとにかく

「行きたい!行くんだ!!」

モードではあるけれど、それでも何かのはずみで恐怖心が顔を出すことがある。

でも、よく考えてみたらここは大内領なんだ・・・
そう思ったら、何だか気が楽になった(←単純な大内バカ)。


基本的には西条での行動は今日で終わりで、
明日からはここを拠点に周辺国人の城へ出勤する。
まだ何となく恐さの残る城もあるんだけど、
帰ってくるのは大内領だから、きっと大丈夫(笑)。




さて、ちょっと文字数が余ったので(笑)
東西条について書き残したことをいくつか。


まずは、東西条(とうさいじょう)の名称ね。

最初に字ヅラだけを見たとき、「ひがしさいじょう」かと思った。
フツー、そう思うよね。

何で東を「とう」と読むのか・・・
これは、元は「東条」と「西条」に分かれていたからなんだそうなんです。


「東条」と「西条」。
この「条」は奈良ごろから使われていた条里制からきている。

条里制の歴史的背景とか目的については、最近見直されてるらしいけど、
ひとまずここでは条里制の実際についてだけ簡単に。


条里制のベースとなるのは、約109m四方の正方形。
場合によっては長方形だとか菱形なんかのこともあるらしいけど、
これは地形によっても影響されるんでしょうね。
日本は山国だからね。

歴史に詳しい方はご存知でしょうが、この109mは「1町」と表現した。
ついでに言うと、室町時代の守護大名の平均的な館の規模も1町四方。
これは、 「大内氏館(2)」 でも書きました。
大内さんちはもっとデカかったけどね~。

そして1町四方の区画を「坪」あるいは「坊」と呼んだ。


今度は発展形。
坪をタテヨコに6コずつ。
1町×6コで6町四方の単位を「里」と呼んだ。

里の中の坪はそれぞれナンバリングされたが、
並び方には大きく分けて「平行式」と「千鳥式」がある。

ここまでを図にすると、こんな感じかな。


条里制-2


この図で、例えば1番の区画だったら「一ノ坊」なんて呼び方をされたらしい。



今度はもっと大きくなりま~す。

里をタテヨコに並べて、ヨコを「里(り)」、タテを「条」として
さらにナンバリング。
これで住居表示が可能になる。


条里制2-2



もしアナタが、図のピンクの区画にお家を持ってたとしたら、

「ご住所は?」

と聞かれれば

「三条三里一ノ坊で~す」

って感じになるのかな。

なかなか明快なシステムでグッドだと思うんだけど、
荘園制の衰退とともに次第に使われなくなり、
太閤検地以降はわずかに一部の地名を残すだけになったんだそうな。

ああ、なんで私、条里制の説明なんかしてるんだろう。
すいません、東西条とは直接の関係はないんですが、
面白いなと思ったもので



で、東西条。

上の夕焼けの写真を撮った場所のすぐ先に、半尾川(はんのおがわ)という川がある。
(地図のリンクは こちら 。地図の真ん中を南北に流れるのが半尾川)

この半尾川を境に、東を「東条郷」、西を「西条郷」と呼んだ。

時代が下って南北朝頃になると、東条と西条をあわせて
「東西条」(とうさいじょう)と呼ばれるようになり、
さらに戦国頃にはなぜか「東」だけが取れて「西条」と呼ばれるようになった。

もっと広域の、現在の東広島のほぼ全体を表す
東西条という呼び名自体は残ってたみたいなんだけどね。

さらには、江戸時代に入って元々「東条」にあった四日市村が宿場となって
西条の中心となり、狭義の「西条」を指すようになった。


半尾川より少し西に行ったところには、
現在「西条町西条東」という地名がある。

西条東は半尾川より西にあるわけだからもともと「西条」で、
東条と西条の境目の近くにあって西条の中では東にあるから「西条東」。
これは、歴史的に正しい。

が、上のような地名の変遷を知らずに現在の地図だけを見れば、

「西条より西にあるのに、なんで西条東なのお~?」

って思わず笑ってしまうようなことになっている、とな。


まあ、つまりはこの辺は古くから栄えてたってことだよな。
それにしても、地名も奥が深い・・・




話は変わって、今度は陶(すえ)氏についてちょっとばかり。

陶氏は陶隆房(のちの晴賢)でそこそこ名が知られてると思うけど、
実は大内家の傍流。

平安時代の終わり頃に大内盛房の弟が右田氏を興し、
さらにそこから3代目で陶氏が誕生した。

大内持世の時代に周防守護代となって以降は、陶氏が周防守護代を世襲した。


大内教弘の時代の寛正6年(1465)8月26日、陶弘正が安芸で討死。

この辺は、細川との争いが激しくてあまり詳しい事はわからないんだけど、
時期的には幕府から東西条を武田氏に渡すよう求められて
西条衆が鏡山城の奪還に乗り出したちょっと後で、
細川氏との対立から教弘が自ら伊予に渡った頃。
( 「鏡山城(8)」 をご参照ください)

で、教弘の背後を守るような形で、陶弘正が安芸に在陣していた模様。

弘正の戦死後はその弟が跡を継ぐんだけど、応仁の乱で京で戦死。
その子・弘護(ひろもり)が家を継いだが、やっぱり応仁の乱がらみで
文明2年(1470)安芸の廿日市に進軍する。

どうやらこの辺りから、陶氏と安芸の親密度が増していったらしい。


「鏡山城(11)」 で一瞬顔を出した陶興房、
この人がまたすごい人で、安芸へ来ーの九州行きーの
あちこち出かけていっては、軍事面で大活躍。

興房の跡を継いだ隆房も、安芸へ出陣して
大内氏重臣として華々しい活躍をした。


で・・・、
東西条代官は世襲ではなかったため、任地での独自の勢力を築くことが
できなかったと 「鏡山城(2)」 に書いたんだけど、
その一方で陶氏はたびたび安芸に出陣し、国人衆を率いて
軍事行動を共にするうちに、次第に寄親と寄子のような関係ができていったんだと。


大内氏滅亡の前段階、「大寧寺の変」については、私は

「隆房ちゃんコワイから、従うしかなかったんだもん・・・」

て古くからの通説じゃなく、初めから毛利元就は積極的に加担していたという
近年の研究結果を支持している。
(  「大内氏館(4)」 「三原城(2)」  あたりもよかったら参考程度にどうぞ)


クーデターに先立って隆房が取り込んだのは
もちろん安芸の国人衆だけじゃないけど、元就の協力は隆房にとって大きかった。

今回、東西条に行くにあたっていろいろ調べてるうち、
上のような陶家と安芸の関わりを見るに、
もし東西条代官が1つの家系に固定されてもっと力を持ってたら、
大寧寺の変の展開もちょっとは違ってたかもしれないな・・・なんて思った。

まあ、結果は同じだっただろうとは思うけどね。


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最終更新日  2013年01月27日 00時05分47秒
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