戦国ジジイ・りりのブログ

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2013年02月24日
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カテゴリ: 城(中国)
大内義興さんの死を受けて、嫡子の義隆が21歳で家督を相続。

たいがいの本って、「数え」で年齢を記載してるのがほとんどだけど、
生まれた月日がわかってない人も大勢いるし、
数えも正確じゃないよな~と思うので、生年と没年がわかっている人の場合は
私は単純計算で表記しますので、あしからず。


目の上のたんこぶどころじゃなかった義興さんの死を喜んだのは、
尼子経久。

翌享禄2年(1529)に入り、まずは備後北部から、
そして石見と安芸へも触手を伸ばしてきた。




簡単に紹介してきたけど、中でも義興さんの影響力は絶大なものだった。

ポイントはやはり、流れ公方・足利義尹(よしただ)を連れての上洛戦。

上洛する際には、沼田小早川扶平や毛利弘元が苦悩の末に命を縮め、
在京中にはお供していた厳島神主家の当主・藤原興親が病死したため、
神主家では跡目争いが勃発し、これは多方面に影響を及ぼした。

長い従軍に辟易した安芸の国人領主たちがわらわらと勝手に領国に戻って、
108年ぶりの一揆を締結したのもこの時期のこと。

さらには義興さんの留守を狙って、尼子経久が元気に中国を荒らし始めた。
その過程で毛利興元が苦悶して、父と同じく命を縮めた・・・
などなど、実に様々。
(その辺の経緯については、 「鏡山城(9)」


なんか、良くない影響ばっかり書き出して、
義興さんが魔性の男みたいに見えてくるけど(笑)、
それでも義興さんの死は各国人領主に動揺をもたらした。

そんな中、尼子経久の誘いに乗ったのが、石見の有力国人・高橋氏。
安芸国人一揆を書いた記事でも、少し顔を出してますね。





まあ、討つって言ってもねえ~、高橋さんは安芸にも支城を持ってるし、
かつては毛利家の前当主・幸松丸の後見人を務めていたり
毛利家への影響力も少なからぬものを持っていたので、家中の意見は割れた。

元就自身にとっても、上記リンク先の系図にもあるように、
高橋氏は兄嫁の実家にあたる。
また、元就と正室・妙玖との間の子は一般的に三男一女といわれるものの、
実はもう1人娘があり、高橋さんちに人質に入っていたという説がある。

それ以外にも、若くして亡くなった父・弘元に代わって元就を育ててくれた
継母・杉大方(すぎのおおかた)も高橋氏の出身だとする説がある。

女性2人にまつわる話がもし本当だったとしたら、
元就にも相当縁があったことになる訳だけど、それでも元就は決意を変えなかった。



基本、危ない橋は渡らない元就さんだけど、
その一方で やるときゃやる!! の典型でもある。
そしてこの時は、やった。
今なら大内氏の後ろ盾もあるし。

もちろん、初めっから大内大明神様をアテにしてた訳でもないでしょうが、
心配した義隆は

「なんか毛利んちが騒がしいから、
ちょっと気をつけてあげてくれる?
もし何かあったら、頼むわね
あとは弘中と相談してね」


てな書状を竹原家の興景に出している。


「弘中」は弘中隆兼(ひろなか・たかかね)を指します。
この人は元々岩国の領主の家系で、ご先祖も大内氏を支えてきたが、
隆兼自身も有能な人であったらしく、東西条を任されている。

「鏡山城(2)」 でも、歴代東西条代官として名前だけ紹介してますけどね。

その職業柄、これからも弘中さんはちょいちょい顔を出しますので、
ぜひ名前を覚えていただきた~い



して、弘中さんや備後国人・和智氏の協力などを得て
ついに元就は目的を果たします。

ま、実際にはそんな簡単な話じゃなく、尼子家中でのゴタゴタとか
色んな問題が絡んでくるのですが、今はこれまで

ちなみに、先に上げた元就の娘は、開戦により無残にも殺されたという
説がありますが、こちらについては現在のところ真偽は定かではないようです。



高橋氏を滅ぼした後、主君・義隆から高橋氏遺領の大半を与えられた元就は、
実質的に安芸国人衆の中でトップの地位に躍り出た。
大内氏の安芸支配に協力する中で、リーダー格の立場も着々と固めつつある。

遺領の配分などから推察される高橋氏の滅亡時期は、
享禄3年(1530)。
その2年後には、将軍・足利義晴の申請により享禄から天文へと元号が改元される。



ふう、やっと天文年間・・・
今回の記事、主役の隆景は出てこないかも
でも大事なんだよ~、この背景が。
他の記事にも絡んでくるしね。

気を取り直して、頑張ります。




享禄の終わり、尼子経久はまさかの事態に直面していた。
なんと、実の息子の謀反にあったらしい(塩冶興久の乱)。
これは親子ゲンカなんてもんじゃなく、相当深刻なところまで行っちゃって、
高橋氏の救援要請に応えてる場合じゃなかった。

一方の大国、大内氏は天文元年に九州に出兵して少弍氏攻めを
始めるなどしていたので、安芸国内では大国の影響は少なく、
天文の始め頃は比較的静かだった。

ただ、あくまでそれは大国絡みの話で、各国人の間では相変わらず元気に
色々やってたみたいだけど。



さあ、ここでちょいとまた元就さんの話です。

元就さんが活躍していた時代から現代まで、400年ちょい。
400年前に使われてた言葉の中には、すでに現在では使われなくなったものもあれば
残ってる言葉もある。

しかし、残ってるといっても、必ずしも当時と同じニュアンスで
使われてるとは限らない。

そんな言葉のひとつに、「毛利元就」という人を説明するのに、
どんなに短い文章でも必ず一度は使われるだろうという、「謀略」がある。



謀略・・・
『weblio辞書』では「人をおとしいれるためのはかりごと」とあり、
似た言葉として「たくらみ・はかりごと・策謀・密謀・陰謀」を挙げている。

『goo辞書』では「人をあざむくようなはかりごと」とあり、
似た言葉としては上記例の他に「策略・経略・作戦」を挙げている。
うちにあった辞書も見てみたけど、どれも上2つのように簡単な言葉でしか
解説されてなかった。

「あざむく」にせよ、「おとしいれる」にせよ、
現代に生きる私達が「謀略」と聞けば、大抵の人はダークなイメージを抱くだろうな。

それから、日本人の大好きなビッグ3ね。
「中国の三大謀将」として、毛利元就・尼子経久・宇喜多直家をまとめて
ひと山いくらみたいな感じでアバウトに紹介されることもある。


が・・・、辞書系の解説、特に類語については
言葉としては間違ってないんだけど、昔使われていた「謀」(はかりごと)と
現代で使う「謀」とは少し意味合いが違うと思う。


「ホントに昔から”謀”って言葉が使われてたの?」

って声が聞こえてきそうだし、私も一瞬そう思ったことがあったけど、
使われてるも何も、元就さん本人の手紙に出てくるからね。


「能も芸も慰めも、なんにもいらん。
ただじゃが(ただただ)、武略・計略・調略、これが大事じゃ」

(毛利家文書413)


これは、ともすれば軟弱に映りがちな長男・隆元の尻をひっぱたいてくれろと
元就が家臣に宛てた書状の中の一文。



字ヅラだけ見ると、いかにも腹黒オヤジの言いそうなセリフではあるけど、
実際に元就さんが駆使した「謀略」の類は、硬軟とりまぜて実に様々。

やるときゃマジでやるし、そういう時はホントに恐いんだけど、
案外と柔和な懐柔策も多い・・・てか、そっちの方が強硬策よりずっと多くないか?
って感じで、自分なりに元就の勉強を始めるまでは、元就に対し
現代語の「謀略」のイメージを持っていた私は、少なからず驚いた。

大相撲解説の舞の海氏が現役だった頃、「技のデパート」と呼ばれたけど、
感覚としてはあれに近いものがあるんじゃないかな~と思う。
・・・まあ、大相撲にダークな手はありませんが(笑)。

とにかくね、合理的なんですわ。
状況に即して手段を変える、これは別に元就さんだけの美点じゃないけど、
ハードな策とソフトな策の振れ幅でいえば、才ある多くの武将の中でも
群を抜いてるんじゃないかと私は思う。


だからね、私が捉える元就の”謀略”に「謀略」の言葉をまんま当ててしまうと、
まず私の言いたいニュアンスは伝わらないと思うので、このブログの中では
元就の”謀略”を「手品」あるいは「マジック」と言い替えてみようかと思います。

「手品」は魔法じゃない。
タネも仕掛けもばっちりある。
どんなに大バクチを打つ時でも、元就の根回しはいつも用意周到。
かつ、鮮やかな結果を残す。

毛利元就という人に対する評価は人それぞれだと思うけど、
現時点で私が元就の駆使した戦略を表す言葉としては、
これが一番ぴったりな気がする。


ただ、別に「元就は実はキヨラカな武将なんだ!」なんて主張する気は
さらさらありませんよ。

なんたってこのオッサン・・・いえ、この方は、防長経略において

「家臣が切腹すりゃぁあんたぁ助命してあげるから、
開城しんさい」


と言っておきながら、その家臣の首実検のあとで

「晴英の最期も近い・・・結構早かったけぇ」

て手紙を書き、晴英の籠った寺を腹臣に包囲させて

「御屋形も切腹候へ」

と晴英に自刃を強要して、ついに大内家にとどめを刺した張本人。
やる事がエグイんだよ、このオヤジ・・・(←さっきと言ってることが違う)


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最終更新日  2014年06月23日 20時22分26秒


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