戦国ジジイ・りりのブログ

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2013年02月27日
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カテゴリ: 城(中国)
2人目は、繁平さんです。


天文11年生まれの繁平さんは、隆景が沼田家を継ぐことになった
天文19年時点で8歳。
病弱で盲目でまだ幼いとくれば、確かにこの難局を乗り切るのは厳しい。

で、家督を隆景に譲った後は、教眞寺という寺に入り、
天正2年に亡くなったというのが一般的な繁平の解説。
が、盲目説については、疑問視する人も多い。


そもそも盲目というのは、「小早川文書」所収の系図に書いてあるところからきている。


「亦鶴丸 又太郎 采女正 元緒 小早川繁平 又元平
  三歳患眼失明 以小早川隆景為養子 譲家 配妹
  自薙髪帰禅住教眞寺」


前から疑問に思ってたんだけど、普通に繁平の一般的な説を読んでると、
家督を譲ってまもなく、幼くして仏門に入ったような印象を受ける。
・・・なのに、何で元平・繁平と2つも俗世の名前を持ってるんだ?

宗光寺 にある碑にも、「小早川元平」と書いてあったしね。


で、元平の名前について調べてみたところ、一説に細川晴元の偏諱を受けたという。

ああ~?晴元お~?



繁平については、専門家を除く歴史ファンは一般的な説を
さらっと紹介してる人がほとんど。
少し突っ込んだ記述になると、隆景の相続以前に繁平は大内氏によって拘束され、
帰城への嘆願をしたものの、ついに願いが叶えられることはなかったという。


この事に関連すると思われる書状がある。


 「我らの帰城の件については、このように扱われているけれども、

  大内様へたびたび申し上げたところ、正しくご裁可いただけるとのこと。
  公方へ格別の配慮があり、帰城の件をお願いした。

  11月3日 又鶴丸」


さらに、もう一通。


 「御状、拝見いたしました。又鶴丸殿のご帰城の件については、大内様より

  承りました。
  どのような事であろうとも、弘中・小原の命じる事に従うのがよろしいかと
  思います。

  11月16日 元就」


・・・書いておいて何だけど、この訳、相当怪しい
そのうち、こっそり修正するかもしれません(笑)。
でも、大体こんな感じのことを言ってるんだと思う。
小原君は弘中君の同僚です。



で、話を広げすぎるとマズいので、これまでのところでは書いてこなかったけど、
繁平の相続時点で、大内氏の東の版図は備後まで延びている。

が、天文12・13年に高山城が受けた尼子方の攻撃というのは、
大内方から尼子方へ陣替えした備後勢によるものだった。

もちろん、大内さんちは備後奪還に動き出す訳だけど、
その城はなかなか落ちずに長期戦になった。
だから、当然のことながら備後までのルートは確保する必要がある。


さらに、小早川領は備後との国境にある。
小早川領が落ちれば、東西条に接する高屋保まで大内氏の安芸ラインは後退する。

こうした背景から、大内氏からすれば沼田家領は何としても固めておきたい・・・


まあ、一旦は繁平の家督相続は認められてるけどね。
が、予想はしてたものの、繁平の相続をチャンスと見た
尼子方の攻撃が実際に始まったことで、情勢は厳しくなってきた。



そこで繁平(又鶴丸)の書状に戻ると、これは直接の嘆願状じゃないけど、
文面からこれ以前に、最低でも1度は帰城の件について大内サイドと
やり取りがあったことを窺わせる。


繁平の拘束をしたのは、弘中君。
理由は、繁平が尼子に通じたという噂が出たことによるもの。

内通の真偽はわからない。
もちろん、まだ幼い繁平本人が、という訳ではなくその周りの動きがって話だけど。
繁平サイドでは懸命に弁明したが、だめだった・・・


しかし、帰りたかった繁平は、複数回帰城のための交渉を続けたらしい。
その過程で書かれたのが上の書状なのだろう。
年不祥ながらも、差出人名は幼名の又鶴丸。

平均で15歳くらいが元服の時代だから、弘中君に連れ出されたのは
15~16歳までのことと思われる。


んで、何で細川晴元の偏諱・・・?と思ったら、
繁平の書状に出てくる「公方」・・・
公方って言ったら、フツー将軍のことを指すと思うけど、
最初私は別の誰かを言ってるのかと思った。

上の書状でも、別に繁平が「大内様」と書いてる訳じゃなくて、
義隆のことは「防州」と書いてるから、そんな感じで誰か偉い人を
指すのかと思ってた。


けど、色々勉強を始めるまでは小早川氏ってちっぽけな
イチ国人かと思ってたんだけど、どーしてどーして。
幕府とのつながりは歴史的に長く深く、なかなかの名族であったらしい。

いちおう書状の訳文としては、前後の流れから義隆が色々手配したような
内容にしてあるけど、どうだか・・・
そもそも私の訳も相当怪しいし(笑)。
助詞の捉え方で、結構意味って変わってきちゃうんだよね。
すいません、勉強不足で。



もしかしたら、繁平の側から積極的に、
ご先祖様の代から培ってきた幕府とのパイプをここで活用しようとしたのかもしれない。


「公方」をまんま公方と仮定すると、細川晴元の偏諱を受けたってのとも
なんかつながりが見えてくる気がする。
帰城交渉の中で、名前をもらうことになったとかね。

そうすると、「采女正」の任官を受けたのも、
それと一連の出来事だったのかもしれない。
ああでも、ちょっと年代的にズレちゃうかな


しかし、何故か元平から繁平へと名前を変えている。
これは、さすがに大内氏の手前もあったのか。
あるいは、同じ字を持つ元就に遠慮したのか。
晴元の偏諱は、繁平からしてみれば「余計なお世話」だったりして・・・(笑)。



てな感じでどんどん妄想はふくらんでいく訳ですが、
連れ出されたのが実際にいつなのかはわからないけど、
とりあえずこの辺から窺われるのは、繁平は元服後に出家したということ。


繁平の元服が15歳だったとして、元平・繁平の名前を持っていること、
また采女正の任官を受けていることから、8歳から15歳までの
少なくとも7年くらいは、前当主として世俗にあったことになる。
まだピチピチの時期にね。

系図では繁平は3歳で失明したことになってるけど、
系図がいつも正しいとは限らない。
うっかり漢字を間違えたか?みたいのもあるし、
場合によっては内部事情に詳しいからこそ書かれなかったこと、
あるいは事実を曲げて書いてねーか?って思える時もある。

繁平が失明したというのがもし事実でなかったとしたら、
大人になるにつれ、自分の境遇に悶々とする日々が長く続いたかも・・・



そして繁平の書状の宛先、これが小早川一族で宿老の椋梨盛平なんだな。

繁平が家督を継いだ時はまだバブバブの赤ちゃんだから、当然政務は取れない。
この時期の椋梨盛平の書状が多いことから、盛平は幼少の当主に代わって
家政を取り仕切るような立場にあったことが推測される。

さらに元就の書状、こちらも椋梨盛平あて。
元就の書状も何年とは書いてないものの、繁平の帰城に関する内容であることは確か。
確実ではないけど、繁平の書状を受けてのものである可能性が高い。


書状の訳文が正しければ、繁平の拘束は弘中君の独断のような雰囲気だけど、
実際にはそんなことがあるとは思えない。
東西条代官が勝手なことをして、難しい時期に大事な駒である小早川に
内紛でも起こったらどうする。

「新高山城(2)」 で天文8年の陣替えのことを紹介したけど、
天文10年には一族の中から尼子に通じる者もいた。

年不祥だけど、ごたごたしてる小早川家中にイラついた義隆が

「こんな時に、何やってんの~、あなたたち!
もう、代官にお仕置きさせちゃうからね!
ちゃんと言うこと聞くのよ!!」


って書状を椋梨盛平に出している。
恐らくこれは、なかなか腰の落ち着かないこのあたりの時期に出されたもの
じゃないかと思われる。


こういう立場の椋梨盛平が、繁平の件について元就に相談している・・・
書状の年代がわからないのがホントに致命的なんだけど、
まあ世間で言われてるように隆景の相続以前の話だろう。


隆景の竹原家との養子縁組は、元就が狙ったというよりは、
周囲の状況から考えて主君である義隆の意向が強かったように思われる。
大内氏と竹原家の縁は長いからね。

ただ、竹原家からの縁組申し入れから成立までには3年の時間を費やしている。
その間に、前回と今回で書いたような沼田本家のゴタゴタが同時進行していた。
隆景が竹原家に入る頃には、すでに元就は沼田本家に照準をあわせていたかもしれない。

安芸の防衛ラインを固めておきたい義隆、
東西条の統轄を任されている弘中、
そして着々と沼田本家での足場を固めていく元就。

こんな中に小早川当主として生まれついた繁平は、
まるで風に弄ばれるはかない1枚の木の葉のよう・・・

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最終更新日  2013年03月07日 20時40分43秒


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