戦国ジジイ・りりのブログ

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2013年03月28日
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カテゴリ: 城(中国)
さて、ふたたび隆景ちゃんのお城1人占めになったところで、
今度は本丸を回りこんで奥へ。


東西条・新高山城109・匡真寺跡(北東郭群)



山上部入口の中の丸とこちらの郭群をあわせて二の丸と呼ぶようですが、
ご覧の通り分散しててちょっとわかりにくいのでここでは奥の方を
北東郭群としておきます。


東西条・新高山城192・中の丸北郭群へ


右が本丸の切岸↑。
ここにも結構石が残ってる。




東西条・新高山城193・中の丸北西郭と釣井の段の分岐-2


正面はかなり細くなっていて、がっちりガードされてるカンジ。
早く先にも行きたいけど、この写真の左側には綺麗に土塁も残ってるし、
とりあえず手前から見ていこう。

で、左の矢印の先はこうなってます↓。


東西条・新高山城195・中の丸北西郭入口


看板の縄張図では、ここも中の丸となっている。
この入口のミニマムさ、ここには小さな棟門程度が置かれたかな。


ここは北東郭群のうち、西側の黄色い区画にあたる↓。


東西条・新高山城109・匡真寺跡(北東郭群2・二の丸)



郭の入口までこんなに綺麗に残ってるとは思わなかったな。



東西条・新高山城197・中の丸北西郭


右奥の土塁まで歩いてその先を覗くと、お隣の郭群がよく見渡せた↓。


東西条・新高山城198・中の丸北西郭から釣井の段



それにかなり広いし、なんて美しい・・・!!


私が今いる北東部中の丸は、他の郭群に比べてちょっと荒れててね。
特に、奥へ行けば行くほど矢竹も多く残ってて、整備作業中って感じだったから


だから余計、隣の郭が綺麗に見えたんだな。


城を紹介する大抵のサイトやブログは、実にコンパクトに記事をまとめているので、
写真なんかもだいたい同じようなものしかネットでは公開されてないように思う。

記事の分量があらかじめ決められているので、遺構がどれほど多くても
目玉商品しか掲載しない、掲載できないような感じ。

だから、ここまでの行程の中でも

「えっ、こんな遺構あるんだ~!」

ってのが結構あった。

新高山城には多くの遺構があるので、これをわずかな分量の記事で紹介しようとすると
必然的に写真もみんな同じようなものになる。
そういう中で、この北東部中の丸は目玉商品が少ないので、
ちょっと世間一般では地味な存在。

いや、遺構もちゃんとしたのが沢山あるんだけど、
他と比べると派手さはないので、どうしても情報が埋もれがち。


別に、短い記事が悪いって言ってるんじゃないですよ。
読み手にも色々な好みがあるからね。

私の場合は、山城へ行く時には詳細なコースガイドが欲しいので、
丁寧にルートを紹介してくれてる人の記事は大変ありがたく活用させて頂いてる。

だから、自分の記事も誰かの役に立つことがあるかもしれないし、
何より沢山の素敵な遺構があることを知ってほしいから
自分の欲望のままにだらだら書いてるけど、
長すぎてまとまり悪いのは自分でもわかってるので、
こうなるとどちらがいいとは言えない。


んでは、ここにはどんな地味な遺構(笑)があるのか?



東西条・新高山城200・中の丸北西郭



東西条・新高山城201・中の丸北西郭


東西条・新高山城202・中の丸北西郭


写真を後から見ると、人間の身体ってのは
実に器用にできてるな~っていつも思う。

写真の腕もあるかもしれないけど、見たまんまの景色が
写真に映ってないのが残念・・・

てことで写真ではわかりづらい部分もあるかと思いますが、
ここの郭は、他とくらべて小さな起伏が多い。

すぐ上の写真は、右方面に本丸(南)があるので、右から左へ歩いていく途中で
段差を撮ったものなんだけど、これよりももっと小さな30cm程度の段々が随所にあって、
落ち葉であまり目立たないけどアップダウンが多くて
ボケーッと歩いてるとちょっと危ない。

しかも、矢竹を刈り込んだ切株が地面から20cmほど出ていたりして、
私が行った時は歩くのになかなか大変だった。


山の中ではこーゆーこともあるから、
足ごしらえだけはしっかりしてねって 「山城攻めをされる方へ2」 で
書いたんだけどね。

登山靴だったら何ともない場面でも、スニーカーだったら運が悪いと
ケガする場合もあるかもしれないし。
不安材料は1つでも潰しておくに越したことはないでしょう? 



奥の方はこんな風に矢竹が多く残っていた↓。


東西条・新高山城206・中の丸北西郭北側



東西条・新高山城204・中の丸北西郭・最北部



↑ここが普通に歩いて行ける一番奥の北側。

色分けした北東郭群の縄張図でいうと、★マークのところだと思う。
つまり、この下段の水色部分の郭には行かれなかった(たぶん)。
この辺から下に降りる道はなかったように思うんだけど・・・


こんな感じでちょっと地味ではあるんだけど、
でもここでは矢穴を見つけたよ↓


東西条・新高山城203・中の丸北西郭



「本郷町史」では、中の丸にある礎石を会所のものとしている。
ぶっちゃけ、礎石なんか山中にゴロゴロしてるんだけど、
山上部入口の中の丸じゃなくて、こちらの北東郭群西側の中の丸のことを
言ってるんだと思うものの・・・

そもそも、新高山城ってちゃんと発掘調査されてるのか?
ネットでちょっと見た限りでは探せなかったので、されてたとしても
ごく一部に限られてるんじゃないかと思うけどね。

詳しく調査されてなくても、国の指定史跡になれるんだ~
ってちょっと変な気分。
まあいいや、今度行ったら図書館で探してみよう。



遠足イベントでは、何度も山中で宴が催されてましたが、
当時の宴で使われるかわらけは使い捨て。

盃だけでなく、皿も土師器皿(はじきざら。素焼きの土器)で
宴で使用された大量の土師器を使い捨てにしたことから、
中世では宴のことを「はじのうつわもの」と呼んだそうな。

永禄4年の日記の中で大きな饗応には 「御再進」 がいたことから、
隆景の饗応でも素焼きのかわらけが使われてたと見て間違いはないと思う。
であれば、永禄4年の時点でもやっぱりかわらけは使い捨てなので、
発掘調査の進んでない現在ではまだ発見されてないものの、
新高山の山中のどこかには大量のかわらけが埋もれているものと思われる。

そう考えると、ちょっと楽しいでしょ。
だからといって、

「かわらけや~い!!」

って勝手にほじくり返しちゃダメですよ。
ここは国の指定史跡ですからね。
そんなことしたら、遺構の破壊になっちゃいます。


調査されてないのなら、会所を中の丸にあったと断定するのは 
ちょっと早計かなって気がしないでもないけど、
居館については本丸よりはこの北東郭群の中の丸にあった可能性が高いかな、
と私は見ている。

お隣の郭群も広いんだけど、古図を見るとどうも隣から北へ延びる道らしいものが
描かれているので、そっちに居館を置くのはどうかな~って気がするのだ。
低い場所だし。



新高山城は生活の場でもあったんだから、山中にはかわらけだけでなく
いまだに沢山の生活臭い遺物が埋もれているものと思われる。

隆景の人気はそこそこ高いんだし、そうした物が公開されれば
地元の活性化にもなると思うし、何より色々知りたいと思ってるファンも多いだろうから
早く詳しい調査がされればいいな~と思う次第です。

お金の面とか、現実的な諸問題も色々あるとは思うけどね。

とりあえず、現在品切れ中の「三原市史」を再販してくれればファン(←私)も喜ぶし、
三原市の収入もわずかにアップで一石二鳥なんじゃないかと・・・(笑)。

ファンの欲望は、尽きることがないのだ


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最終更新日  2013年03月28日 22時20分10秒


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