戦国ジジイ・りりのブログ

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2013年04月15日
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カテゴリ: 城(中国)
前回、頭崎城の陥落まで書きましたが、まだ話は終わっていません。
歴史の話の最初の方で、頭崎城を「震源地」と表現しましたが、
それはここからの流れにかかってくるのです。


 1月12日  厳島神主家・友田興藤がまたもや大内家へ反旗を翻す。

 1月13日  尼子軍が撤退を開始。

 1月15日  大内方の黒川隆尚、警固船の将として厳島へ向かう。
         能島・来島の警固船30あまりが急ぎ厳島社の大鳥居前に出て戦うも、
         敗れる。大内軍がこれを追う。

         棚守房顕親子が大野沖へ黒川隆尚を出迎え、厳島へ渡る。

 3月4日   毛利元就が大内義隆の命を受け、佐東銀山城攻めを開始。

 3月18日  義隆、岩国から大野へ進み、門山に陣を置く。

 3月19日  門山の北へ陣を進めるため、藤掛七尾に下見に出向いた弘中隆兼ら
         大内軍を、桜尾城からの追撃兵が襲う。

 3月23日  義隆が七尾に移陣し、桜尾城を包囲する。

 3月27日  佐東銀山城攻めの陣中において、竹原小早川興景が死去。

 4月5日   桜尾城では友田興藤だけを残し、夜半に城兵がすべて逃亡。興藤自刃。

 4月6日   大内軍、五日市城包囲。

 4月8日   五日市城に逃亡していた興藤の子・広就が自刃。厳島神主家滅亡。

 5月?日   佐東銀山城に対し、武田旧臣・香川光景らが開城を勧告。


 5月13日  佐東銀山城兵に陰謀の噂が立ち、城兵を収容していた伴城を元就が攻撃。



前にも出した図を再度掲載しますと、


頭崎城攻め相関図-2



東部が片付いたので、ここからは大内方による西部の掃討戦になります。

で、左下にある桜尾城、上の流れではここに関するものがほとんどで、

上に出てくる大野・七尾は、現在の廿日市市にあたります。


桜尾城の友田興藤は、かつて鏡山城の戦いを招いたり、
大内家にとってはちょいと目障りな存在。

ところが、興藤が再び反抗した天文10年1月12日は、
尼子軍が撤退する前日だった。
間が悪いにもほどがあるってゆーか・・・



大内VS尼子の主戦場となった吉田郡山が落着したので、
義隆は残る尼子派の最大拠点・佐東銀山城と興藤の桜尾城の攻略にかかった。

3月4日からは、元就が佐東銀山城攻めを始める。
陶隆房に命じられた天野興貞(前回参照)も、この戦いに参加している。

佐東銀山城の攻防については、手持ちの資料では詳しいことがわからないので
あまり書けなかったけど、尼子詮久の威を借りて帰国していた銀山城主・武田信実は
尼子本軍の退却の後に再び逃亡したという。

「続本朝通鑑」には4月に互いに死傷者を出したという記述もあり、
佐東銀山城自体はもう少し頑張るようなんだけど、
そんな経緯なものだから、どの時点をもって安芸武田氏が滅亡したというべきか・・・
何にせよ、安芸武田氏はここで終わった。



余談になるけど、佐東銀山城の開城後に接収した武田氏の什宝の中に
「新羅三郎の鎧」があったと棚守房顕が覚書の中に書き記している。
安芸武田氏は、甲斐の武田氏と同じ一族。
甲斐武田氏といえば、「御旗楯無も御照覧あれ」の名セリフが有名で、
楯無鎧(たてなしのよろい)は新羅三郎義光以来の相伝と伝えられているもの・・・


やっぱ武田一族だなあ」

って1人ニヤニヤしたわたくし・・・。

まあ、タナモリは楯無とは一言も書いてませんが(笑)。
で、接収された鎧は元就から陶隆房へ贈られ、義隆へと献上され、
さらには厳島社へ奉納されたという。


余談がもうひとつ。
佐東銀山城攻めの陣中で、竹原家の興景さんが亡くなってます。
ここから「小早川隆景」が誕生する訳ですね。

元春ちゃんも吉田郡山で初陣を果たしたといわれてるし、
次代を担うニューフェイスが一連の戦いの中でちらりと顔をのぞかせる。
元春11歳、隆景8歳。
早く大きくな~れ~



ああ、子供の両川を思い浮かべてニヤついてる場合じゃありません。
桜尾城の話に移りましょう。

それまでは周防にいた義隆だけど、ここから陣をじわじわと北上させる。

2月に廿日市に行った時、私はここを歩いた。
写真を撮ったり他へ寄りながらだったから、桜尾城から藤掛七尾までの
正確な所要時間まではわからないけど、目と鼻の先といってもいいくらい近いです。

ここへおつかいに出た弘中君達を、桜尾城から出た兵が攻撃しているので、
佐東銀山城との連携も取れずに孤立しているといえる状況でも、
まだ活発に抵抗していた様子がうかがわれる。
ちなみに、内藤隆時の弟はこの時に討死している。

それでも義隆は陣を進め、ついには桜尾城を包囲した。


友田興藤の最期についても、タナモリが書いている。
家中の者が離反し、夜中に興藤だけを残して城から脱出したという。

いや、大内の本軍が取り囲んでいたなら、桜尾城ってそんなに大きな城でもないし
見つからずに城兵すべてが脱出するなんて不可能だろう。
投降して、許されたのか?
これについては誰も書いてくれてない。

1人だけ残されたことに気がついた興藤は、城に火をかけ自刃したそうな。

訳のわからないのがその後で、夜が明けてから大内軍は桜尾城へ入った。
そこには、興藤と思われる焼けた遺体があった。が、もとどりはちゃんと残っていたので、
右田右京・神代左馬助の2名はその毛を抜き始めた。
同僚たちは「おかしな奴だ」と言ってその様子を見ていたとタナモリは言う・・・

なんすか、この記述!?
おーまいがー・・・・・・


興藤の子(あるいは弟)の広就は五日市城へ逃れていたが、
五日市城主・宍戸氏によって自刃させられたという。
広就は弓の名手だったので、大内軍へ3本矢を打ち込み、弓を切り折って自刃したと、
タナモリは伝える。

広就の首級は桶に入れられ、9日に七尾で義隆による首実検の後、
桜尾城で勝鬨を上げたそうな。
ここにおいて厳島神主家も滅亡し、以後は実質的に大内家の支配下に入る。

タナモリの覚書によると、前年の天文9年9月から厳島の鹿が多く死んだそうで、
神主によくない事が起こると囁かれていたそうな。



この後、5月24日には七尾から佐東銀山城へ陣を移す。
かつて自分が苦い初陣を果たした城に入って、
義隆もさぞ満足したことだろう。


残る吉川は、石見・備後の国人らとともに大内家に服属。
安芸の尼子勢力の一掃だけでなく、周辺国の国人もおまけでついてきて、
終わってみれば義隆の完全勝利となった。




しかし・・・
おみくじで「大吉」を引くと一瞬嬉しいけど、
本文って意外にいいことが書かれてないでしょ?

満月だって翌日には欠け始める。
「祇園精舎の鐘の声」は「盛者必衰の理をあらわす」と続く。



安芸の勝利の後で義隆が起こした行動は、月山富田城の戦い。
これの結末は 「新高山城(4)」 で書いてますので、
忘れた方はそちらを見てね。

月山富田城攻めの後は、義隆はぱったりと軍事から手を引いた。
大内氏滅亡の序章となる大寧寺の変は、そんなに単純な理由で引き起こされたものでも
ないんだけど、月山富田城での鮮やかすぎる敗北と無縁とも言い切れない。

安芸でこれほどまでの勝利を収めなければ、
尼子の本拠まで攻め込むことにはならなかったかもしれないし、
月山富田城の戦いがなければ大寧寺の変も起こらなかったかもしれない。



一方の尼子詮久は、この一連の戦いで受けたダメージは大きく、
かつての勢いはなくなった。
天文の初め頃から時間をかけて東を攻略してきたけど、
背後が崩れたことでこれ以上の進展も見込めなくなった。

詮久の東上作戦の目的を上洛と捉えている人は、この状態を
「詮久の上洛の夢は消えた」と表現する。

私は尼子氏の歴史についてはほとんど知らないので、
上洛が目的だったかどうかは自分の中での結論は持っていない。

が、詮久が頭崎城の救援に向かわなければ、
詮久の目的がもう少しはっきり見えてきただろうと思う。
救援に向かわなければ頭崎城も佐東銀山城も大内氏の大軍に飲み込まれて、
結局東上を中止せざるを得なかった可能性もあるけど。

つまり、詮久の東上の真意がどこにあったのか、それを歴史の闇に葬ったのは
他ならぬ頭崎城だったと言えるんじゃないだろうか。



大寧寺の変で義隆を失った大内家には、義隆以前までの勢力はなくなっていた。
この隙間で力をたくわえたのが、元就。
大寧寺の変の数年後には防長を制圧し、あらたな中国の覇者となる。


もちろん、歴史ってのは絶え間なく続いてるものだから、
頭崎城だけが特別な存在って訳でもないんだけど、
頭崎城をめぐる戦いによって大きく流れが変わったことは
確実と言っていいだろう。

頭崎城を「震源地」と呼んだ理由は、そこにある。


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最終更新日  2013年04月15日 22時26分37秒


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