戦国ジジイ・りりのブログ

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2013年04月28日
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カテゴリ: 旅日記(中国)
※「白山城」の続きです。


文字数の関係で順番が前後して恐縮ですが、こちらが旧木原家住宅のすぐ近くにある
重満家↓。


東西条・白市の民家59



重満家は酒造業を営んでおり、これは江戸末期から明治初期の建物だそうな。


この後で光政寺を目指して脇道を入った訳ですが、
白山城の看板があった先の道を北に入ると、長栄座という芝居小屋の跡がある。

トイレを我慢してたし(笑)、何しろ先を急いでいたので
その場所の写真はありませんが




牛馬市のにぎわいについては 「東西条バトル編(20)」 に書きましたが、
広島藩で歌舞伎の興行が許されたのは宮島と三次、そして白市の3ヶ所だけだったという。

牛馬市の期間中には上方から歌舞伎役者が招かれ、
近隣から見物客が押し寄せたというから、江戸時代には大変な繁栄ぶりだったらしい。

そのためか、白市には古くから「白市歌舞伎」という芝居の文化があり、
現在では有志によって白市歌舞伎が再演されているそうな。




で、結局、光政寺への道は見つからず、次に立ち寄ったのが西福寺(場所は こちら )


東西条・白市・西福寺1



東西条・白市・西福寺2





こちらが山門↓。
写真がどうもイマイチだけど、石州瓦の桟瓦葺、薬医門。


東西条・白市・西福寺3



が、門の脇の土塀には、また・・・


東西条・白市・西福寺5




動かない石州バトを見て、

「白山城から白市の町を見下ろす弘保も、


とかって想像するバカはやっぱり私くらいなんだろうな


山門をくぐろうとして、門に貼ってある小さな札に目が釘付けになった↓。


東西条・白市・西福寺6



なんすか~、コレぇ~!!


いや、これを貼るに至った経緯はまず笑えるものじゃないはずだけど、
ちょっとお寺にこれって・・・
いや、びっくりした


こちらが、西福寺の境内↓。


東西条・白市・西福寺7



東広島市の「白市まちなみ探訪マップ」によると、

 【安芸国賀茂郡溝口村にあった大福寺(1100年代創建)を、天正12年(1585)
  時の住僧・西蓮法師が現在地に移転させた。その名の一字を冠して西福寺と称した。】

とある。
創建自体はかなり古い寺ってことだな。
後ろに見えてるのは、白山城のある城山。


本堂正面には龍と波、かな?↓


東西条・白市・西福寺11



彫りの感じからすると、割に新しいもののように見える。

本堂はちょっとさみしげだけど、こちらの境内には厳島の神が祀られていた↓。


東西条・白市・西福寺8



東西条・白市・西福寺9



思ってたよりあっさり終わっちゃったけど、
まだ見るべきところがあるしな。
それより、トイレ行きたい・・・

この後、 御土居 へ寄ってから再び光政寺への道を探した。
よくわからないまま一旦は町を出そうになったので、
もうこのまま帰っちゃおうかとも思った。

駅に向かう途中にはコンビニがあるはずだから、
トイレも行かれるしな~。
腰も痛いし・・・


探して探してどうにか見つけた道は、もはや公道だかわからないような道だった。
そこを進んでいくと、おもむろに山道に入る。
竹の生い茂った山道は薄暗いし、ホントにこの道で大丈夫かな~と
不安になりながら進んだら、ようやくそれっぽい道まで出た。


東西条・白市・光政寺と六地蔵の分岐-2



手前の道から上がってきて、ピンクの矢印の方に進んだ先が光政寺↓。


東西条・白市・光政寺4


本堂の蟇股↓。


東西条・白市・光政寺5



この光政寺(こうしょうじ)、平賀弘保が永正2年(1505)に
建立したといわれております。
だから、白山城には登らなくてもぜひともここには来たかった。


本堂には、『ひがしひろしま「歴史散歩」』から抜粋したという
簡単な寺の紹介の紙が貼ってあったんだけど、
その紙の一番下にこんなことが書いてあった。

 【光政寺音頭

  ここは白市城下町 その名も高き光政寺
  踊ろう皆さん ヨウホイ 器量よし
  アリャリャンリャンのヨウイトナ~ ヨウイトナ~】


・・・・・・・

備中高松の「水攻め音頭」といい、日本人ってホントこーゆーの好きだよな~
歌詞を見てると、ずいぶん陽気な歌のようだけど・・・
最近になって作られたものなのかな。


境内には、すごく立派な宝篋印塔がある↓。


東西条・白市・光政寺6



享保19年(1734)、木原家の寄進によるもの。
なるほど、あちこちに寄進したといううちのひとつがコレなんだな。

ほとんど無人じゃないかというような寂しい境内にあって、
ひときわ目をひく立派な塔だった。


ふう、あとは墓を見て・・・と思って境内を見回したら、
入口の方に小さな石造りの建物があるのが目に入った。


あ、あ、あれってもしかして・・・!!





古いタイプの簡素な作りで、後から人が来たら
静かな境内で音が丸聞こえ・・・とか思ったけど、この際そんなこと言っていられない。
ので、ありがたく使わせていただきました。

白市の駅を出てからかれこれ8時間。
結局、福山の時と同じくらい我慢しちゃったな~。
とりあえず、弘保に救われた・・・(笑)。



我慢から解放されてようやく人心地ついたとこで、
本堂の右手へ↓。


東西条・白市・光政寺9



こちらは、 木原家 の墓だそうです。
墓石の形からして、江戸期に入って商人となってからのものみたいだな。

いくら豪商だからって、ただの町人だったらさすがにここには
墓地は作れなかっただろうな。
平賀の本家はこの地を去ったけど、代わって分家の木原家が
代々白市の町の発展に尽くしてきたって証だな~と墓地を見て思った。


今回は平賀家の墓所には行かれなかったけど、
次の機会にはぜひ行きたいな~。
隆宗の墓参りがしたいんじゃ、ワシ



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最終更新日  2013年04月28日 19時15分18秒
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