戦国ジジイ・りりのブログ

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2013年05月31日
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カテゴリ: 大内系雑談
東西条編での旅における、私の中での歴史面のハイライトは
頭崎城の戦いでした。
ひとつの流れが、一旦ここでケリがついたからね。

頭崎城が落城した後の、安芸西部での掃討戦の大まかな流れは
「頭崎城(9)」 で書いてますが、今回はこの掃討戦の終盤頃の
戦以外の大内家に関わる出来事をひとつご紹介しましょう。



天文10年(1541)3月26日に大内義隆は七尾に陣を移し、
5月24日には佐東銀山城へ入る。
上記リンクの記事では、尼子派の主力としての武田氏と友田氏に


そういう中で、義隆は厳島の神職・棚守房顕を七尾の陣に呼び寄せたり、
あるいは厳島にお泊まりしたり、あれこれ寄進したり、色々とあったことが
「棚守房顕覚書」に書かれてます。

まだ義隆が七尾にいた5月5日のこどもの日・・・
いえ、端午の神事には外宮で流鏑馬なんかも行われ、
大内軍の諸将も見物に出かけたようです。
(戦の最中だっつの!)



そうしたタナモリとの細かなやり取りがある一方で、
同じ頃の5月20日、義隆を目指して明・寧波(ニンポー)を出航した船がありました。

大内氏が朝鮮貿易や日明貿易で巨大な富を築いたことは、
「山口編」あたりで何度か書いてきてますが、

細川氏と実に激しいバトルが繰り広げられたものの、
義隆の代では大内氏が遣明船を独占しておりました。

義隆が派遣した遣明船は2回。
このうち、初回の遣明船を天文8年に送り出しており、
その船が寧波から出航したのが天文10年5月20日。


副使は、京都・天龍寺塔頭妙智院の策彦周良(さくげん・しゅうりょう)。
どちらも坊様。

で、今回は策彦さんが主役です。
余談ですが、策彦は備中の三村元親の叔父・親成とも親交があったようで、
策彦が親成に与えた墨蹟は今も残ってるそうです。


え~、この時の遣明船の渡航路を見ると、最初は寧波より南の温州に上陸して、
そこから北京まで陸路を行き、寧波まで戻ってくるという
大変な行程ではあるんだけど、それにしても2年にもわたるというのは
あまり例がないらしい。

ここから、この時の遣明船が大規模かつ困難なものであったとも
言われている。
義隆の欲張り・・・

以下、「策彦入明記[初渡集]」から感想や説明を交えつつ、
簡単に日程をご紹介します。



6月26日 九州・五島の日島に到着。上陸して清水を飲む。おフロに入ってから
       船に戻る。ミョウガ・青山椒などを食す。

7月3日  肥前・斑島に到着。博多から船がやって来て、神谷寿禎からの差し入れで
       博多酒を飲む。山口からの使いで警固船が一隻やってきて、
       「芸・石二州合戦」の話を聞かせてもらう。


ほう、神谷寿禎!
彼は、博多の商人としてよりもシルバーラッシュの火付け役としての方が
有名でしょう。

義興さんの援助を受けて石見銀山の本格的な採掘を始め、
のちに「灰吹法」という画期的な精錬技術を導入したことで、
石見銀山の産出量を爆発的に伸ばした人です。

「芸・石二州合戦」は、尼子詮久との安芸をめぐる一連の戦いですね。
もうこの頃には掃討戦もだいぶ落ち着いていたとはいえ、
電話も何もないこの時代、口コミじゃないけど、
ホントに人を通じて情報が流れていったんだなあ~って、
会話の様子を想像してちょっとおかしかった。

わざわざ会話の内容を日記に書いてるくらいだからね、
尼子詮久の敗北は策彦にとってもインパクトがあったようだし、
ひとしきり話に花を咲かせたんじゃないだろうか。


で、7月3日は最後に「博多宗繁恵瓜子」ってあるんだけど・・・
「瓜子」はカボチャの種とか、スイカの種とか、
ひまわりの種って言ってる人もいる。

この後、義隆のところに行くまで、策彦は色んな人から差し入れをもらってて、
それを逐一書いてるもんだから結構食べ物の話も出てきて面白いんだけど、
ここでは「恵」となってるから、中国みやげにひまわりの種でもあげたのかな?
中国人はひまわりの種が大好きらしいし(笑)。



7月10日 黒川隆尚の領地を見ながら蘆谷を過ぎ、宮浦~藍島と来て、赤間ヶ関で
       阿弥陀寺などから歓待を受ける。酒や瓜子を持ってやって来たので、
       船の上で酒を酌み交わした。
       その後、赤間ヶ関の役人の代理人やら別の船に乗船していた池永・盛田が
       酒を持ってやって来た。


黒川隆尚は、掃討戦のところでもちょいと顔を出してますが、
義隆のいとこにあたる人。
この人も面白い経歴を持ってますが、また別のところで書く機会もあるでしょう。

で、阿弥陀寺ね。
これは、現在の赤間神宮のことです。
(阿弥陀寺が赤間神宮になったいきさつについては、
「赤間ヶ関編(8)」 をご参照ください)

ここでも瓜子が出てくるけど、何の種だかはっきりわからないから、
もう以後は「瓜子」としておきますね。(←めんどくさい)
本文では「携以瓜子、酒等」となってるので出迎え組の手土産かな~と思うんだけど、
当時の日本人もフツーにカボチャだかスイカだかひまわりの種を
食っておったのか?

なら、7月3日のも中国みやげじゃなくて、
策彦が差し入れにもらったのかもな・・・

あれあれ?
ちょっと待てよ、瓜?



中世においては、様々な贈答品の応酬があり、
公家や武家は毎日のように膨大な品々を贈りあっていたという。

現代の感覚だとちょっと意外な感じがするけど、
贈答品のひとつとして活躍したのが、瓜。

元々は室町時代、5月から7月の間に
京の近くの守護代から将軍家へ献上される慣わしだったものが次第に広まって、
のちには寺へ贈られたり、公家同士でも贈りあったりするようになった。

贈るったって、高級メロン1コ化粧箱入りなんてレベルじゃないんですよ。
時代が下るほどに数は増えていく傾向にあり、3籠、10籠、20籠、
はては100籠なんて記録もある。

「籠」だから、1籠にはいくつかの瓜が入っていたものと思われるが、
何籠ともなればかなりの数の瓜が贈られたということになるし、
それを方々で贈りあう訳だから、ちょうど今頃の時期、
室町期の京では沢山の運送屋さんが沢山の瓜を運ぶ光景が
そこかしこで見られたことだろう。

ま、瓜にも野菜としての瓜と、甘い果物系の瓜とあったみたいだけど、
果物なんか日持ちしないし、一度に瓜をしこたま食ったらゲリするだろう
あ、じゃなくて、贈答品に使われたのは野菜系の方みたいです。
で、どうも漬物にされたみたいなんだよね。


え~、ちょっと脱線した感がありますが、
「瓜子」をネットで検索すると、カボチャやスイカやひまわりの種、
と出てくるんだけど、当時の社会では瓜はこういう扱いのシロモノだったので、
もしかしたらホントの瓜の種を加工して食べてたのかもしれないな~・・・
ってちょっと思った。

なんにしても、瓜も瓜子も、広く親しまれた食べ物であったようです。



で初渡集に戻りますが、池永さんや盛田さんてのは堺の商人らしいです。

貿易の主導権争いは元は大内&博多商人vs.細川&堺商人の構図だったのが、
一部の堺商人が大内氏の遣明船に同乗していることから、
堺商人の中でも大内派と細川派に分かれ、
これまで原則大内氏の船に堺商人が乗船することはなかったのが崩れたことにより
勘合貿易を大内氏が実質的に独占したということになるんだと。

日明貿易をめぐる細川氏とのバトルでは、
結構義興さんも義隆もエグイことやってるし、
主導権争いは相当激しいものであったようです。



7月17日 二号船の池永新兵衛に招かれ、酒宴。初めてシイタケを食べる。
       阿弥陀寺へ詣で、酒を勧められる。御影堂へ入り、先帝の像を拝する。
       次に壁の絵を見た。先帝のあらましについて描かれたものだった。
       門前には松があり、薄墨松というらしい。

       神谷寿禎から酒と茄子一盆、博多宗菊の子から「はったい」一袋、
       藤田藤四郎から瓜子10枚と兵庫樽1コをもらう。


よくわからない部分についてはすっぱりカットしてます(笑)。
が、この日も酒と食べ物の話ばっかりだなあ・・・

初めてシイタケを食べたって意味がよくわからないんだけど、
そんなことより阿弥陀寺ですよ。
感慨深いなあ~。


「赤間ヶ関編(17)」 に書いた解説を再度掲載しますと、

 【赤間神宮の前身は阿弥陀寺という寺院で、そこには安徳天皇御廟堂があり、
  幼帝の御尊像を安置して、その周囲に平家一門の肖像画が掛けてあり、
  さらに外陣の襖障子八面に安徳天皇後一代の事績を描いた金地襖絵があった。
  江戸時代には、参詣の人々にこの絵を絵解きしており
  その台本『安徳天皇絵説』が長府図書館に蔵されている。】

この光景をまさに策彦は見たってことだよね。

御廟堂は、御陵の上に建てられた御影堂のことでしょう。      
明治期になって御影堂は解体されたけど、その前にも
室町の終わりに再建されてるというから、再建される前のものを見たのかもしれない。

すいません、赤間神宮の宝物館を思い出して
唐突に平家萌え~の世界に入っちゃいました


「はったい」は大麦をいって焦がし、ひいて粉にしたものだそうな。
「兵庫樽」・・・の中身はきっと酒でしょう。
で、この日も瓜子が出てくるが、10枚とカウントされとるぞ。

ウリ科の植物の種のことじゃないのか?
10枚ってナニ!?
もしかして、漬物??

瓜にかかずらわってる間に、1話終わっちゃうじゃん・・・


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最終更新日  2013年05月31日 21時41分46秒
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