戦国ジジイ・りりのブログ

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2013年06月21日
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カテゴリ: 日光写真館
さて、透塀の続きです。

「おんなじようなのばっかで見飽きた~」

なんて言わないで、細かな装飾の違いをお楽しみくだされ


日光・東照宮・御仮殿61



日光・東照宮・御仮殿62




日光・東照宮・御仮殿63




日光・東照宮・御仮殿64



日光・東照宮・御仮殿65




日光・東照宮・御仮殿66



日光・東照宮・御仮殿67




日光・東照宮・御仮殿68




日光・東照宮・御仮殿69




日光・東照宮・御仮殿70



日光・東照宮・御仮殿71




日光・東照宮・御仮殿72




日光・東照宮・御仮殿73




日光・東照宮・御仮殿76




日光・東照宮・御仮殿77



日光・東照宮・御仮殿78




日光・東照宮・御仮殿79




日光・東照宮・御仮殿80




日光・東照宮・御仮殿81




日光・東照宮・御仮殿82




日光・東照宮・御仮殿83




日光・東照宮・御仮殿84




日光・東照宮・御仮殿85


御仮殿は、参道より奥まった場所にあるせいもあって、
ぶっちゃけ個人の観光客の集客率は低い。


他にみどころが沢山あるしなあ・・・
団体さんがここに来るかなあ・・・

特に私がいた時は誰も来なくて、ましてやこんな透塀まで
いちいち観る人なんかいやしません。

1間に2つずつ彫刻があるので数は多いし、
正直言って、ここの写真を撮るのはホントに大変でした。

ふうふう言いながら、ほとんど機械的にここまで透塀のすべての彫刻を撮ってきて
隣の彫刻を写そうとしたらなにかヘン↓。


日光・東照宮・御仮殿87-2



妙な覆いがかぶせてある・・・
覆いの脇っちょには何か書いてあって、覗きこんでみたら

 【(株)イーエム総合ネット   彩色暴露試験実施中
  協力:(財)日光社寺文化財保存会】

とあった。

なんだかよくわからないけど、保存のために色々実検とか研究を
しているものらしいな。 

こうやって、一般の観光客の知らないところで
ひそかに地道に文化財の保存のための努力が重ねられてるんだね。

この辺りがちょうど本殿の裏側だったかな。

まだまだ透塀は続きます。



日光・東照宮・御仮殿89




日光・東照宮・御仮殿90




日光・東照宮・御仮殿91




日光・東照宮・御仮殿92



日光・東照宮・御仮殿92



日光・東照宮・御仮殿93



日光・東照宮・御仮殿94




日光・東照宮・御仮殿95



日光・東照宮・御仮殿96



日光・東照宮・御仮殿97




日光・東照宮・御仮殿98


ちょっと雪が写りこんじゃってますが、
この頃にはもうすっかり雪もやんで、陽が射してました。
が、周りの木立から葉っぱに積もった雪がサラサラと舞い落ちてきてたので・・・

こんな中を1人黙々と写真を撮りつづけるわたくし・・・

なんてバカなことを考え付いたんだろうと 相輪塔 のところでも
激しく後悔したけど、やってみようと決めた以上は
できるところまでやってみないと気が済まない。




さて、表参道に出ていた御仮殿への看板には
「現在の社殿は寛永16年(1639)の建立」とありましたが、
『謎と不思議 東照宮再発見』によると、実のところ現在の社殿の
建立年代についてははっきりしていないらしい。


元和2年(1616)4月17日、徳川家康死去。

同年の10月に日光に東照社を建立することが決まり、
11月17日、造営に着手。普請奉行は藤堂高虎と本多正純、大工棟梁は中井正清。

翌元和3年(1617)3月15日、東照社竣工。
それまで久能山にあった家康の遺骸が日光へ向けて出立する。

4月4日、(故)家康が日光に到着。
4月8日、東照社奥院に葬られる。
4月12日、御仮殿にて仮殿遷宮。

4月16日夜から、徳川秀忠参列のもと正遷座祭が行われ、
明けて17日は家康の一周忌。
後水尾天皇から「東照大権現」の勅額を賜る。


という流れで、御仮殿は東照社の創建時からあったんだそうな。
もっとも、初めから現在の場所にあった訳ではなく、もう少し南・・・
現在の輪王寺の三仏堂があるあたりにあったらしい。

気が付いた方もおられるかもしれないけど、
当初は「東照宮」ではなく「東照社」。

「社」が「宮」にグレードアップするのは正保2年(1645)のことで、
東照社に院号が下賜されたことにより「東照宮」と改められた。

元和3年の創建以降、黒田長政の石鳥居の奉納をはじめ
諸大名による寄進が続き暫時境内は整えられていくが、
秀忠による東照社の造営は現在見られるものよりももっと簡素な造りだった。


それを大々的に美々しく大改造したのが、3代・家光。
いわゆる「寛永の大造替」です。

この時、御仮殿は寛永12年(1635)に他の社殿などよりも
いち早く建て替えられて、あわせて場所も現在の位置へ移転した。

なら、現在の御仮殿は寛永12年の建立なのかというと、
どうもそうでもないらしい。
『謎と不思議 東照宮再発見』によると、

 【ところが、『東照宮御造営帳』の記載から推定される寛永大造替時の社殿は、
  権現造りの特徴である石の間が無いなど、現状と大きく異なっている。従って、
  今の社殿は寛永12年以後の再建ということになる。

  それでは、今の御仮殿は何時、何のために建て替えられたのか。そこで意味を
  持って来るのが、寛永15年の山内大火災である。】

となっている。

前回山内の火事について書きましたが、
その中では寛永15年の罹災は「将軍御殿・大楽院など焼失」とあって、
御仮殿が燃えたという記載にはなっていない。

が、ここで御仮殿も被害にあったんじゃないかと
『謎と不思議 東照宮再発見』は推測している。

現に、翌年の寛永16年には御仮殿が移転したという記録があるので、
ここで再建されたんじゃないか、と続けている。

まあ、『謎と不思議 東照宮再発見』の初版が平成2年で
私が持っているのが平成8年の増補改訂版だから、
その後で何か決め手となる発見があって、現在では寛永16年建立と
確定されたのかもしれないけどね。

ただ、建築意匠などが寛永期のものと見られているようなので、
あるいはその点をもって「寛永16年建立」としているのかもしれない。


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最終更新日  2013年06月21日 23時09分12秒


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