戦国ジジイ・りりのブログ

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2013年06月30日
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カテゴリ: 城(中国)
福山城復元図・白図(四ツ足門~御殿)



ハア・・・
近世城郭を縄張図ナシで説明するのはやはりキツいので、
結局自作する羽目になりました。
博物館のリーフレットにでも載せといてくれたら楽だったんだけどな・・・
(↑これを他力本願という)


前回、二の丸の石垣は途中で遮られてて、通れるかわからないと書きましたが、
いちおう小さな門がついてたみたい。


で、本来であれば四ツ足門⇒鉄門と回り道しなければならないところ、
現在では2つの門はありませんので、そのまままっすぐ進みます。

途中にはバラが数本咲いてた↓。


福山・福山城・二の丸石垣南面5



バラの街だからな・・・
土産に良さそうなバラグッズとかあるかな・・・

その先には、福山城博物館で現在公開中の企画展の大きな看板が↓。


福山・福山城・二の丸石垣南面6



常設展だったら博物館へは行かなかったかもしれないけど、
テーマがナイスなので、今回は寄ります。
その分、遺構を見る時間が減っちゃうけど、しょうがないよな。




 【福山城は、西国鎮護の重責を担って入封した徳川譜代の臣、水野勝成が元和5年
  (1620)より3ヶ年の歳月を費し、陸海の要衝であるこの地に完成させた
  平山城である。

  総面積約8万坪(26.5ha)、内外二重の濠をめぐらし本丸には、白亜の
  五層六階の複合天守と多数の櫓を構築、その偉容は、全国城郭中屈指の名城と


  その後、水野5代、松平1代、阿部10代の居城となり、明治になって濠は埋められ、
  月見櫓をはじめ多くの櫓が取り壊され、残された天守閣・湯殿等も第二次世界大戦の
  戦火により焼失した。

  幸いにも、築城当時、伏見城から移築した伏見櫓・筋鉄御門は、昔日の姿を留め、
  貴重な遺構として重要文化財の指定を受けている。なお、現在の天守閣等は、
  昭和41年市制50週年記念事業として、市民の浄財で外観復元がなされ、城跡は
  国の史跡となっている。

  城名  鉄覆山朱雀院久松城
  別名  葦陽城】
  (現地解説板より。漢数字は戦国ジジイが変換)


私が福山城に行きたいと思ったのは、カッチン(水野勝成)の城だったから。
カッチンは 「備中松山城(6)」 に登場してます。
備中の三村元親の叔父にあたる親成(ちかしげ)のとこで居候してたことがあるのでね。

前にも面白い人と書いたけど、血の気の多いエピソードには事欠かないッス。
が、どこまでホントかわからない部分もあるし、
ここでは詳しく紹介する気はないのですが、
広く知られていることをかいつまんで書きますか。



カッチン20歳、小牧・長久手の戦いでのこと。

結膜炎で目が痛かったカッチンは、兜をかぶらず出陣。
それを見た父・忠重は

「接近戦でこそ兜が必要なのに、ここでかぶらないとは
お前はバカか!
必要ない兜なんか尿桶にでもしてしまえ!!」


と怒った。
怒られたカッチンも負けずに、

「オヤジといえどもこの俺様に向かっての暴言は許せん!
戦なんてものは時の運だ。
敵の首を挙げるか、俺が死ぬか、
見てろよ、クソオヤジ!!」




セリフが戦国ジジイバージョンなのは、お断りするまでもありませんね

この時は見事、カッチンが敵の首を取りましたが、
オヤジとの仲直りには至らず、忠重に自分の悪口を言っている家臣を斬ったとか、
財政の管理をしていた家臣に金をねだったところ断られたので斬ったとか、
ホントかよ?って出来事がきっかけで家出したと言われます。

その後の流浪の期間中にも、短気を起こして相手を斬ったとかって話が
やたら多い。
が、そのまま鵜飲みにする気もないので、短気なエピソードの紹介は
ここまでにしますね。

で、家を出てよそに仕官しようとしたものの、
親父から奉公構が出ていたのでスムーズな再就職とはならず。

まあそれでもどうにか就職はできたようで、
わかっているところでは

 天正12年(20歳) 家出。

 天正13年(21歳) 仙石秀久軍で紀伊平定に参加。四国攻めに参加したという
              話もある。秀吉から摂津に所領をもらう。

 天正14年(22歳) 再びプー太郎。

 天正15年(23歳) 佐々成政軍で肥後の鎮圧戦に参加。

 天正17年(25歳) 小西行長軍で天草攻めに参加。

 天正18年(26歳) 加藤清正に世話になった後、黒田長政のところへ行く。
              長政の大坂行きに同乗し、備後・鞆で勝手に下船。

 慶長2年(33歳)  備中・三村親成のところに居候する。

 慶長3年(34歳)  長男・勝俊生まれる。

 慶長4年(35歳)  伏見へ。父から勘当を解かれる。


と、15年の長きにわたり自由に諸国を放浪し・・・
まあ、ほとんどはちゃんと仕官してたみたいだけどね。

黒田家を離れてからは備後あたりを転々としていたようで、
この間にも様々な伝説を残してます。

勘当を解かれた翌年には父・忠重が急死するので、
ギリ間に合ったって感じだな。
和解の仲介をしたのは、家康。

家康の生母・於大の方とカッチンの父・忠重は実の兄妹なので、
家康とカッチンはいとこという間柄。
以後は徳川家に仕えることとなる。


大坂の陣では徳川方として参戦。この時、家康から

「もう昔とは違うんだからね。
軽々しく前に出ないでよ、カッチン」


と釘を刺されていたにも関わらず、やっぱり自ら先頭に立って戦って、

「また持病が出ちゃったか~・・・」

と家康を呆れさせたというエピソードが残る。


数々の殺人伝説については疑わしい面もあるものの、
直情型で血の気が多い傾向があったようではある。

家康の命令に従わなかったため、戦後に期待したほどのごほーびはもらえず、
大和に6万石をもらう。


転機が訪れたのは元和5年(1619)。
福島正則が川中島へ転封させられた後、
安芸と備後8郡には浅野長晟(ながあきら)を、
備後7郡と備中の一部をカッチンが引き継ぐことになった。

 【それは岡山・広島両外様大藩の間に割り込む形で、きわめて大きな役割を持つ
  ものであった。この勝成の備後転封は「西国の鎮衛」とも「西街道の鎮守」とも
  いわれるように、西日本に配置された最初の譜代大名であった。】
  (福山城博物館企画展「福山城展-城郭と城下町-」図録より)


カッチンの備後入封は、だいたいこんな感じで「譜代」が強調される。
が、果たして水野家を譜代と呼ぶことは適切なのだろうかという
素朴な疑問が私にはある。


確かに、水野家は古くは今川家や松平家に近かった。
水野家から松平家に嫁いだのは、於大の方だけじゃない。
が、家督を継いだ忠重の兄・信元は、主に織田方として活躍しているのだ。

上記の図録に掲載されている関係年表には、
信元と忠重のそれぞれの動向も記載されている。
それによると、美濃攻め・姉川の戦い・三方ヶ原の戦い・長篠の戦いにおいて、
信元は織田方、忠重は徳川方と別れた形になっている。

そして、刈谷城主・信元は信長様に武田勝頼との内通を疑われて
殺害された。
これは家康によって実行されたともいうし、
織田・徳川のタッグで水野氏つぶしにかかったとの見方もある。

その後、弟たちに再興が許されるものの、
本能寺の変の際には忠重は織田方として京におり、
東福寺に匿われて生き延びた。
家康と一緒に堺に行った訳じゃなかったんだね。

信長様の死後は信雄に仕え、信雄が秀吉と和睦してからは秀吉に仕え、
秀吉の死後、徳川家に帰参したという経歴になるらしい。


譜代の定義はいくつかあるようで、水野家の場合は徳川家の外戚という立場を
考慮されたものらしいけど、その実、水野家と徳川家はなにげに複雑な因縁もあり、
ことさらに譜代を強調するような氏族でもないと思うんだけどな。
まっ、それは私の個人的な印象ですが。


過去の経緯がどうであれ、カッチンの福山城築城の際には、
この時期としては異例とも言える好待遇を幕府から受けている。
どう優遇されたのか、城内を案内しつつご紹介いたしましょう。



あ、結局縄張図使わなかったな(笑)。


それと、カッチンが備中にいた時に三村親成が元親の妹を嫁がせてますが、
カッチンの長男を生んだのはこの姫じゃなく、侍女のお登久。
お登久は別のところでちょろりと顔を出すハズですので、
覚えていてくれると嬉しいな

三村親成はのちにカッチンに福山に迎えられてるので、
福山市内の寺にお位牌があるそうです。
親成のお位牌は見られなくても、このお寺には
今回是非行きたいと思ってるんだけど・・・


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最終更新日  2014年03月07日 22時59分26秒


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