戦国ジジイ・りりのブログ

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2013年07月16日
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カテゴリ: 城(中国)
お待たせしました、福山城の続きを再開いたします。


福山・福山城・天守4



↑これが本丸の奥御殿付近から見た天守全景。
鏡櫓から亭櫓を挟んで、天守の向かって右に見えてる平屋の建物あたりまで
かつて多門櫓が続いていた。

遠目から見て、最初右の渡櫓ふう建物が付櫓かと思った。
・・・が、内部はトイレだった(笑)。

付櫓は、この↓右の建物でした。
ホントは1階部分の前面もそうなんだけど、思いっきり木に隠れちゃってるし~


福山・福山城・天守3




天守のある部分は、一段高くなっている↓。
う~ん、ここは積み直されてるのかな?


福山・福山城・天守5



この辺から振り返ったところ↓。



福山・福山城・天守から本丸御殿跡



今はもうグラウンド状態。
が、かつてはここは本丸御殿でほとんど埋め尽くされていた。
この空間、遊ばせとくのもったいないよな~。
礎石がなくてもいいから、御殿全面、
平面復元すればいいのに(←しつこい)。


 【史跡 福山城跡  昭和39年(1964)2月7日指定


  入封した水野勝成が、3年の歳月を費やし構築した近世の城郭である。低い丘陵を
  利用した平山城で、東・南・西に二重の堀をめぐらし、北には吉津川を通し、
  小丸山・天神山を天然の防塁とした。

  現在内外の堀は埋められ、三之丸と共に市街地化しているが、二之丸・本丸は
  築城当時の姿をよく伝えている。

  鐘櫓などがあり、昔日の姿をとどめている。

  なお、天守閣・月見櫓・湯殿は昭和41年(1966)に、鏡櫓は昭和49年
  (1974)に、それぞれ外観復原したものである。

  城号  敵追山(鉄覆山)朱雀院久松城(葦陽城)
  城主  水野氏五代・松平氏一代・阿部氏十代】
  (現地碑文より)



さて、「福山城(10)」までの記述でやけに含みのある書き方をするな~と
思った方もおられるかもしれませんが、福山城は基本的な構成は
カッチン(水野勝成)の築城からあまり変わるところがなかったらしい。

が、郭の名称は変わっている。


福山城復元図・白図(11話)-2




具体的な変遷についてはよくわからないんだけど、
現在では上の図の黄色の部分が本丸、水色の部分が二の丸と呼ばれる。

二の丸はこの後歩きますが、先に感想を言っちゃうと、
あまり広いところはないし、帯郭といった感じ。
もちろん、広くないから郭じゃないって訳じゃないんだけど、
どうも歩いた感じでは本丸下段といった印象だった。

その後で図録に載ってる古図を見ると、モノによっては
水色の下段を含め「本丸」としている図もあった。
ああ、やっぱりね。

後の時代では確かに水色部分を二の丸、
それを取り囲む広い郭を三の丸としたようだから、
別に水色が二の丸で間違いではないんだけど、
個人的にどうもしっくり来ないので、私は黄色と水色をひっくるめて
「本丸」と呼んでます。



で、この外観。
ここでも「外観復原」を強調しているような印象がありますが、
古写真と見比べてみると窓とかは違っているし、
月見櫓・御風呂屋(御湯殿)と同じく、完全な外観復元ではないらしい。

特に深い意味はなく「外観復原」といってるのかもしれないけど、
どうにもこの書き方は紛らわしい。

それと、まんじりと古写真と見比べなくても天守には
誰もが紹介するかつての姿と違う部分が2ヶ所ある。
そのひとつが最上重で、今は赤い高欄と華頭窓で瀟洒な感じだけど、
ここははね上げ式の雨戸で窓の上まで覆われていた。

カッチンの築城当初にこんなもの取り付けるかな~って気もするので、
「築城当初の姿を再現した」っていうならそれ以上何も言えないけど、
焼失前の天守とは明らかに違っている。



長い歴史の中では何度か改修もあったようで、
当初はもちろん軒丸瓦は水野紋だったのが、阿部紋の時期もあったらしい。

また、現在では総塗籠になっているのが、
初重だけ長押と柱を出した造りに描かれている絵もあるし、
驚いたことに4重は元はこけら葺だったのが、
後から瓦葺に替えられた可能性も指摘されている。

絵図なんかは必ずしも正確でない部分もあるかもしれないけど、
それが本当だとしたらかなり大掛かりな改修が行われた可能性もある訳だし、
最上重を覆う雨戸だけを取っ払ったところで
それが築城当初の姿だと言い切れるのだろうかという素朴な疑問が残る。

だからせめて、「外観復原」て表現をやめたらどうかな?
って思っちゃうんだけど・・・


再開直後からまたネチネチと書いてますが(笑)、
福山城に限らず市内には山城も色々あるんだし、
熱意のある郷土史家の方々も沢山おられるんだから、
そういう方達とタイアップして本格的な展示や紹介へシフトすれば
かなりレベルの高い歴史の町ができるだろうに・・・と
無性に歯がゆくなってしまうのです。福山は。



ま、現在のことはともかく、カッチンの天守は私が現地で買った資料には

「江戸時代新築の天守閣遺構の中では最も優れたものであった」

「戦国期の実践と安土桃山時代の権威の象徴としての城の姿を最高度に
発揮させる築城術を取り入れて、長をとり、短をすてた最も模範的な様式であった」
(以上は「新版福山城」から)

「近隣の諸藩へ幕府の威光を見せ付けるには十分であったろう」
(「福山城展-城と城下町-」図録より) 

などなど、絶賛の嵐。

確かに、天守遠景の古写真を見ると常興寺山にそびえたつ天守は
偉容を誇っている。



天守内部を写した写真も結構あって、どれほど外観が美しくても
そこは当然御殿じゃないので、現存天守に見られるような

「やぐら~」

って造り。


福山城博物館所蔵の内部の古写真で見る限りでは、
天井も張ってなくて梁も桁もむき出しのままなんだけど、
かつては2階から5階まで天井が張ってあり、3階と4階には床の間、
階はわからないけど畳を敷き戸障子を立てた形跡があったようで、
城好きが想像する天守内部とはちょっと違うイメージのものだったらしい。

「新版福山城」ではこれを
『これも天下泰平の築城の生んだもので、純軍事的な天守にはなかったものである』
と表現してるんだけど、実のところどうなんだろう?
ホントに当初からそんな悠長な内部だったんだろうか。

カッチンの備後入封と福山城築城の経緯から考えると、
どうも違うんじゃないかって気がするんだけど・・・

かといって、後の時代では御殿すらほとんど使われてなかったんだし、
まして天守内部に手を入れる必要性なんかさらにないようにも思うしな~。

でもやっぱり当初からそんな造りだったとは私には思えないので、
後代の改修の際にあわせて内部もリフォームしたって感じなのかな。


天井板を含めた建具系は、天守の焼失前には取っ払われていたそうな。
公園化して以降は有料で一般開放してたから、
拝観の便を図るために撤去されたのか?

あるいは、小物ならいくらか売りやすかっただろうから、
ドナドナの運命に遭ったのかもしれない。

ただ、公園化された後の明治29年、
県から福山町に公園を移管した際に荒れまくりの天守や伏見櫓を修繕する
見積もり書が県知事あてに出されたようで、
これには天守内の天井の見積もりも含まれているので
まだこの時点では天井は残っていたことがわかる。

じゃあ、天井はいつ剥がされたんだろう。
その後の苦しい時代で焚きつけとか戦時用品にでも転用されたかな?
(↑妄想が止まりません)



天守の造営には京都の大工が関わっていたと伏見櫓のところで書きましたが、
福山城天守で注目されるのが「材料の精選と施工が入念であった点」
(「新版福山城」)だそうで、天守はじめ新築の櫓の多くに
東北産の巨大なヒバ材(アスナロ)が使われ、そのため
「昭和20年の戦災まで、多少の修理は加えられていたものの
ほとんど破損せず立派に残っていた」(「新版福山城」)んだと。

まさに

「いい仕事してますねえ~」

な天守だった訳だけど、塗籠は下見板張より手間がかかる。
(  「岡山城(8)」 などもご参照ください)

古写真で見る天守は実に立派な建物だけど、
その実、漆喰はハゲハゲのボロボロ(笑)。

天守と伏見櫓が売れ残ったことはすでに書いてますが、
「新版福山城」では

 【天守閣や伏見櫓は取り払うのに費用がかかり、塗籠めの建物は建築用材が
  取れるのみとあっては買い手がなく、とうとう天守閣も20~30円まで
  下がったが、ついに買い手がなかった。これには、絶対神聖視されていた
  天守閣を俗人が所有して取り壊すという行為そのものに対して、祟りの恐怖を
  感じてのことでもあったらしい。】

とあるんだけど、どうだろうね~。

ここに古写真の転載をできないのが残念ですが、
ハゲまくりの天守なんてぶっちゃけ威厳もへったくれもあったもんじゃない(笑)。

三原城の廃城の時も、士族があれこれ頑張って手を尽くしたみたいだし、
さすがに士族は畏敬の念も愛着もあったでしょうけど、
時代が大きく変わった時だしね~。

解体にもカネと手間がかかる、維持管理はもっと大変。
しかも時代は西洋に追いつけ追い越せで
時代遅れの天守なんてお荷物もいいとこ、ってのが私の想像なんだけど。

現存12天守のひとつ、備中松山城天守だって
解体に金がかかるからって放置されてたおかげで残ったんだし、
何が幸いするかわからないのがまた歴史の面白いところでもある。


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最終更新日  2013年07月17日 22時09分06秒


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