戦国ジジイ・りりのブログ

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2013年09月29日
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カテゴリ: 城(中国)
今回も、杉原盛重の女性関係のつづきから。

え~と、盛重の生年月日なんてもちろんわかってないだろうな~
と思いつつ何気にウィキペディアを覗いてみたら、
天文2年(1533)生まれとある。

えっ?ウソ!
隆景ちゃんと同い年!?


で、もちろんすかさずにし殿との年齢差を計算しました。

にし殿の生まれは永正元年(1504)~永正11年(1514)の枠の中に
収まると思って間違いないハズ。
ちなみに、上限の永正元年生まれは父・興元が12歳の時と設定してます。
これ以上ってことはまずないだろうと思うので、これが最大幅です。


うわあ、結構あるなあ


さて、盛重が備後の要衝・神辺城に続き、
伯耆尾高城をも任されたことを 「神辺城(21)」 に、
にし殿の3番目の夫は杉原豊後守ではなく行松正盛とする系譜があることを
「神辺城(20)」 にそれぞれ書きましたが、今回はその話です。


盛重の前の尾高城城主が行松(ゆきまつ)正盛。

あまり詳しいことはわからないけど、いわゆる「大永の五月崩れ」・・・
これも近年になってずいぶん通説が見直されてるらしいけど、
ともかく尼子氏の進出に伴って城を追われた人らしい。

『陰徳太平記』では永禄7年(1564)3月以降に行松正盛が

永禄6年の末には亡くなったとしている。

して、盛重が尾高城を継ぐことになったくだりを
『陰徳太平記』からご紹介しましょう。


『陰徳太平記』巻37「杉原盛重伯耆泉山の城に入る 附弓の濱合戦の事」

  伯耆の国、泉山の城主、行松正盛は、元就朝臣の武威によって再び本国へ帰り、

  元就はこれを聞いて、

「正盛の2人の男子、徳松・松千代はまだ幼い。誰かを行松の家に置いて
   2人の子の面倒を見させ、子が成人したら行松の家を継がせたらよいじゃろう」

  と言った。元春は、

「行松の後家を盛重に娶合わせて、行松の子らが幼いうちゃぁ
   盛重を泉山の城にいさせりゃぁ、伯耆が鎮まるのみならず、因州や但州までも
   盛重の武威に服するじゃろう」

  と進言した。
  盛重にこの決定が伝わると非常に喜んで、神辺城には郎党を多く残しておき、
  自身は泉山へと入った。


・・・で、盛重家臣には 「神辺城(21)」 に書いたような
盗賊あがりのこわもてが多かったので、泉山の家臣達もそれに触発されて
神辺衆と戦功争いをして、盛重の軍はますます強くなった・・・チャンチャン
てな話になってますが、現実はそんなにうまくいってなかったかもしれない
というのも、「神辺城(21)」の通りです。

それで、盛重に嫁いだという行松の後家さんですが、
『備後史夜話』(たぶん森本繁氏著)という本では、

 【これによって盛重は泉山城とともに、美貌の熟女を手に入れた。
  しかし、盛重はこの行松の後家を正妻として娶ったのではない。盛重は永禄元年
  正月に神辺城主となったとき、先代杉原理興の後家を正妻として娶っているからだ。】

とする。「杉原理興の後家」は、もちろんにし殿のことです。
それで、にし殿の年齢を計算して、まったくの政略結婚だとした上で

 【そうしたとき、七年後の永禄八年に同じ後家といっても若くて美貌の行松女房を
  手に入れたことは、満更でもなかったであろう。今になっては、その盛重の
  心の裏をのぞくことはできないが、少なくともかれがこのことを不満に
  思っていなかったことだけは確かで、泉山城主となってからのち、旧臣たちとの
  軋轢が少しも見られない。よく前城主行松正盛の遺児と家臣たちを盛り立てた
  からである】

としている。

行松未亡人が美人だとする根拠は不明だけど、
まあその方がロマンがあるっちゃあるのかな・・・(笑)。


で、にし殿の3番目の夫が行松正盛だというのは、
どうもこの辺の話とごっちゃになってるんじゃないかと思うのだ。
ちなみに、『陰徳太平記』の中ではにし殿はまったく出てきません。

たとえばウィキペディアで盛重のページを見ると、
本文にはにし殿との結婚は全く出てこないけど、経歴のところでは
「前年に死去した元・城主の行松正盛の後家と再婚し、行松正盛の遺児を養育する」
とあり、サイド欄の妻の項目には「正室:毛利興元の娘」となっている。

だから、行松未亡人=にし殿と認識してどこぞの史料にでも書かれ、
それを系図が逆輸入した可能性もあるんじゃないかな~って思うんだけどね。
人によっては、母の再婚により盛重の養子となった2人の子は
にし殿の子のように書いてる人もいるし。

ただ、ウィキペディアの同じページでは、
盛重が養子とした未亡人の連れ子の元盛・景盛の他にも子供の名前が書かれてるなあ。

これは若くて美貌の(笑)行松未亡人が生んだものか、あるいは
例のトロロヅキさんがいただいたという資料の中に
盛重がやもめだった時期があると書いてあるそうなので、
その女性の子供なのか。

やもめの時期があるってことは、にし殿も後妻になる訳か?
にし殿の前の奥さんに子がいたとしても、
ウィキペディアでは盛重の子の順番は連れ子の元盛・景盛が先に来ているので、
あるいは身分の低い女性だったかもしれない。




盛重についてはここまでですが、中途半端に文字数が余ってしまったので、
女性の話をもうひとつ。

戦国の女性に関する話ってのは断片的で、詳しいことはわからない人が
ほとんどですが、『陰徳太平記』の中でも女性の話はあまり出てこない。
が、なぜか山名理興の愛した女性が出てきます。

真偽のほどは定かではありませんが、フィクションだとしても
何でこんな話を挿入したのか、ある意味とても興味深い記述です。
「神辺城(19)」 で紹介した、盛重が相続することになった段の後半部分です。



『陰徳太平記』巻32「杉原忠興死去 附妾貞順の事」

  忠興(理興のこと)の臨終の際、殊の外哀れだったのが忠興の妾である。
  この人は伯州の山名豊清という人の娘だが、豊清は尼子との戦いで討死。
  まだ2歳だった豊清の娘は、乳母に連れられ美作へと逃れて忠興方の人の下で
  育てられた。成長するにつれ、見目麗しく、心映えも穏やかな女性となったので、
  忠興がこれを伝え聞き、自分の妾とした。忠興は

  「そなたはいかなる人の子であるのか?」

  と聞いたが、妾は

  「幼いうちに父母に別れ、その後は各地をさまよっておりましたので
   氏も姓もわかりません」


  とだけ答え、ついに自らの素姓を名乗ることはなかった。
  さて、忠興の病が重くなると、かの女性を呼んで

  「わしの命はもう長くない・・・ただ、ここに至って気がかりなのは貴女のことだ。
   貴女はまだ三十にも遠く、先のある若い身なのだから、わしが死んだ後
   髪を下ろすようなことはしてくれるな。貴女がこの先、誰か良い人を見つけて
   連れ添ったとしても、わしが恨みに思うようなことは決してないから。
   わかってくれるな?」


  と説得するのを、妾はただ泣きながら黙って聞いていたが、
  用があるような素振りで立ってかたわらへ行ったかと思うと、おもむろに剃刀で
  両方の小鼻を裁ち割り、肩にも掛からぬほどに髪を切り落とした。
  そうしてその姿で忠興に向き直り、

  「二夫にまみえることはございませんので、このように致しました」

  と言った。忠興はただ驚き、

 「これほどの貞女があろうか・・・七回生まれ変わろうとも、貴女の心は
   決して忘れない」

  と涙を流した。
  やがて忠興が亡くなると、かの妾は芸州沼田の佛通寺に入って朝に夕に修行に励んだ。
  女性の出家ということで、近隣の話題にもなったが、彼女自身はやがて悟りを得、 
  周囲の風景などを見ては遠い昔を我が身に重ね、静かに仏弟子としての日々を送った。

  この貞女の話は、その昔、梁の貞女「梁寡高行」が再嫁を拒んで
  自らの鼻を割いたという故事を彷彿とさせるものだとして様々に伝えられ、
  多くの人の涙を誘ったということだ。



相当嘘くさいせいか(笑)、歴史ファンでこのエピソードを取り上げる人は
ほとんどいない。
そもそも、理興個人に興味を持つ人って少ないし。

で、この理興の妾ですが、この人はここだけじゃなく
実は理興の通説にも顔を出します。それは、
「理興が杉原から山名姓に変えたのは、妻が山名豊清の娘だったからだ」
というもの。

他にも、本シリーズでは書きませんでしたが、
神辺合戦では理興と姻戚関係を持つ国人が大内方に攻められたという話もあり、
理興周辺はとにかく謎が多いので真偽は不明なるも、
結構色んなエピソードが語られてます。

まあ、上の話自体は山名豊清の娘を妻に持っていたというあたりから
イマジネーションを最大限に膨らませて書いちゃったような気もするけど(笑)、
こんな話を軍記物に挿入するあたり、やっぱり理興は英雄扱いだったのかな~
って気がしたんだよね。

でも、上の話では妾は自分の出自を理興に語らなかった設定になってるから、
ちょっと矛盾も生じますが。


それから、ミワラの佛通寺が出てきますね。
『陰徳太平記』では他にも佛通寺が出てくる箇所があり、
やっぱ相当の名刹だったんだ~って思った。
(佛通寺は「三原編」後半をご覧ください)

ただ、佛通寺に女性用の僧坊があったのかははなはだ疑問ですが・・・


それにしても、再婚OKなんて大事な話は、
自分がピンピンしてる時に言ってくれないと反則だよな。
死に際の人に

「恨まないから、再婚しろや~」

なんて言われたら、かえって恨まれそうで

「もっちろん、そうするわよ」

なんて言えなくなるじゃないか



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最終更新日  2013年09月29日 16時32分11秒


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