戦国ジジイ・りりのブログ

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2013年11月17日
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カテゴリ: 上野と寛永寺
根本中堂の前にはこれまたデカくて立派な
銅灯籠が2基並んでおります↓。


上野・寛永寺・根本中堂36



実に立派で派手派手しいものではありますが(笑)、
こーゆーのの装飾を細部まで撮る大変さは
すでに日光写真館の方で充分すぎるほどわかっておりまして、
このクソ暑い中だし(訪問日:7/13)、


撮りたくな~い~!
今回はパスう~!!


とやたら自分に言い訳して、一旦はスルーしました。


・・・が、ここは日光じゃないけど、その歴史と立場上、


てことで、根性入れて写真を撮り始めました。

寛永寺の記事はこの先もず~っと続きますし
(なにしろ、上野の山ほぼ全域がかつての境内域)、
日光写真館の方をご覧になってない方はこのスタイルに驚かれるかもしれませんが、
上野編では時に「寛永寺写真館」が出現するかもしれませんので、ご了承ください。


ほじゃ、向かって左側の灯籠から。
といっても、左右混ざってるかもしれませんが(←よく覚えてない)。


上野・寛永寺・根本中堂84


上野・寛永寺・根本中堂85



上野・寛永寺・根本中堂87


上野・寛永寺・根本中堂88



上野・寛永寺・根本中堂89



・・・うん、日光輪王寺の 相輪塔前にあった灯籠 と似てるな。
まだまだ、ガンガン行きますよ~。



上野・寛永寺・根本中堂90



上野・寛永寺・根本中堂91



上野・寛永寺・根本中堂92


↑ぐるぐる回りながら写真を撮ってくんだけど、
一ヶ所だけぽっかり空いてる箇所があった。
ここから火を入れるのかな?


上野・寛永寺・根本中堂93


上野・寛永寺・根本中堂94


上野・寛永寺・根本中堂95


上野・寛永寺・根本中堂96


↑これは一番下の部分。
植物かなにかをモチーフにしてるのかな?

んで、こちらが向かって右側の灯籠↓。


上野・寛永寺・根本中堂97



上野・寛永寺・根本中堂99



つい葵の御紋ばかりに目が行きがちですが、
ふと気が付くとその周りは龍だらけだった↓。


上野・寛永寺・根本中堂100


すげえな、これ・・・
灯籠上部の周囲を取り巻く天人たちといい、
一体どうやってこんなの造るんだろ・・・


写真を撮るのは確かに大変ですが、
撮り始めると漫然と全体を見てるよりはやはり細部にまで目が行くので、
楽しいことは楽しいです。


上野・寛永寺・根本中堂101



上野・寛永寺・根本中堂102



上野・寛永寺・根本中堂103



上野・寛永寺・根本中堂104



上野・寛永寺・根本中堂107



↑で、こちらも一ヶ所だけ開いてるところがありましたが、
竹の棒が渡してあるのがよく見える・・・
これ、何だろ?
この棒に火を入れた皿とかをひっかけるのかな・・・
ああ、でもそんなことしたら棒が燃えるか



上野・寛永寺・根本中堂108



上野・寛永寺・根本中堂110



こちらも灯籠の下部↓。
なんか、中東の踊り子がヘソの下まで下げてはいてる
スカートのように見えるんだけど・・・


上野・寛永寺・根本中堂111



で、踊り子さんには手を触れず覗きこむと、
ホイップクリームを絞り出したような渦巻の上には


上野・寛永寺・根本中堂112



アッハッハ~、チャルメラだ~!! 

面白いな・・・
どうやってデザインを決めてるんだろ。

しかし、マヌケなことに、この灯籠の銘を撮っておりませんでした。
わたくし

あるにはあったハズだけど、
磨耗しててよく見えなかったのかな・・・
それか、意匠だけで満足したのかもしれない。

てことで、残念ながらどなたの奉納かわかりませぬ。
まあ、これだけのお品だから、そこらのヒラ大名の奉納じゃないことだけは
確かだよな(←いいかげん)。



灯籠はここまで。

参道の先には、古そうな水盤が2つ。


上野・寛永寺・根本中堂80



 【奉納 石盥盤
  東叡山 中堂
  元禄十一戌寅年九月吉辰
  営監 従五位下米倉丹後守源昌尹】

米倉なんて聞いたこともなかったけど、
どうやらこの方は家光の小姓からスタートして、
以後順調に加増され、若年寄にまで出世。
ついに大名の仲間入りを果たしたらしい。

銘から、根本中堂に奉納されたものとわかるし、
元禄11年(1698)は中堂落慶の年だからな。

てことは、この水盤は綱吉の時代から明治を迎えるまで、
長いこと上野公園の噴水広場付近にあったものだろうな。


米倉さんの水盤の向かいにある水盤↓。


上野・寛永寺・根本中堂82


こちらは磨耗がひどくて、名前の部分は「営監 従五位下」ぐらいしか読めない。
が、米倉さんと同じく、中堂への奉献で、
日付も「元禄十一戌寅年九月吉辰」となっている。

なのでこちらも、長く噴水広場の方で参詣者を清めてきたのだろう。
よくもまあ、上野戦争の折に薩長軍に破壊されずに残ったこと・・・


参道の奥、入口付近には地味な鐘楼があります↓。


上野・寛永寺・根本中堂73・鐘楼


あまりにひっそりと地味に建ってるので、
いい加減疲れたし、撮らなくてもいいか~と思ったけど、
そこはさすがに寛永寺。
こちらも由緒あるお品でした。


 【銅鐘(台東区有形文化財)

  本鐘の大きさは、総高177.2センチ、口径91.8センチ。厳有院殿(4代将軍
  家綱)の一周忌にあたる、延宝9年(1681)5月8日に厳有院殿廟前の鐘楼に
  奉献された。明治維新以降に、寛永寺根本中堂の鐘として、当所に移されたと
  伝えられる。現在は、除夜の鐘や重要な法要の際に使用されている。

  作者の椎名伊予守吉寛は、江戸時代前期(17世紀後半)に活躍した江戸の鋳物師で、
  神田鍋町に住した。延宝元年(1673)から貞享3年(1686)にかけて、
  銅鐘を中心に17例の作例が知られている。その中には増上寺や寛永寺などに
  関わるものも含まれており、幕府との関係の深さが窺える。

  本鐘は、将軍家霊廟の儀式鐘で、近世初期の鋳物師の活動や鋳造技術を知る上でも
  貴重な遺品のひとつである。平成18年に台東区有形文化財として台東区区民文化財 
  台帳に登載された。】
  (現地解説板より。漢数字は戦国ジジイが変換)


貴重な割に、台東区の文化財止まりってとこが解せんのだが・・・
それに、よく供出を免れたよな。

残念ながらこの時、光線の加減か写真がイマイチで鐘が撮れず、
周りを数枚撮っただけにとどめました↓。


上野・寛永寺・根本中堂74・鐘楼



上野・寛永寺・根本中堂75・鐘楼





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最終更新日  2014年08月09日 23時58分23秒


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