戦国ジジイ・りりのブログ

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2013年12月03日
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カテゴリ: 上野と寛永寺
予定してたお墓参りができなくてがっかり・・・

傷心をかかえて振り向くと、通りを挟んだそこはもう
次のお目当ての敷地。
ここには低い石垣が積まれてる↓。


上野・輪王寺裏



ここはまんず、近代に入って積まれたものだとは思うけど、
それにしても、この石・・・


上野・輪王寺裏2


なんだろう、この四角の穴?

オシャレで付けた穴とも考えにくい。
なにかの石を転用してるのかな・・・


この、ちょっとへんてこな石垣の上に建つ塀は5本ライン。


上野・輪王寺裏4



うん、これはいいよな。
ヘンなのは、根本中堂の塀の方だ(  「上野第一編(13)」 をご覧ください)



塀に沿って歩いていくと、


上野・輪王寺裏6



これが次のお目当て、の裏手。
フェンスにはなぜか、変形武田菱・・・(←違います)





上野・寒松院裏通り3



が、この通りにもやっぱり


上野・寒松院裏通り4



静まり返った子院団地を前にして、この看板のおかげで
一歩も中に入れない小心者のわたくしが悲しい思いでうつむくと


上野・寒松院裏通り5


側溝を覆うふたについてるちっちゃい可愛らしい桜が慰めてくれた。
・・・あ、ちょっと元気になった(←単純) 


そのまま道を進むと、行き止まりのT字路(いま ここ )
左手の光景↓。


上野・輪王寺東通り


写真の右手のすぐ裏は、かつての崖。
この道の奥も色々と変遷があって、ひとまず手持ちの絵図を見ると
寛永寺が生まれて間もない寛永19年(1642)には、
トーハクからこの辺の敷地がいっしょくたになっていて、
建物は書かれてないけど「大僧正」とだけある。

つまり、トーハクと子院団地とこの場所までが
本坊のある寛永寺の中心部だった訳だな。
「大僧正」の区画の隣には「百姓地」なんかがあって、
まだまだ寺域が山内で限られた時代だったらしい。

ちなみに、まだこれは天海が生きてた時期なので、
「大僧正」は天海を指すと思われます。


少し時代が下った明暦3年(1657)になると、
山内の主要部分はほぼ寺域になっており、沢山の子院なども描かれ
整然とした寺の絵になってくる。

で、この道の奥には「元龍院」とあるんだけど、
これはお墓参りを予定してた現龍院とは別モノなのかな?


明暦3年より少し後のものと思われる『寛永寺』の表紙の絵図では、
また構成が変わり、この道の奥には「圓覚院」がでーんと大きく描かれている。


明暦よりさらに200年ほど下った安政6年(1859)の絵図では、
子院団地の東側ブロック半分とこの場所は木が描きこまれてるだけの
森のような絵になっている。


てな感じで、ほんの数枚の絵図を見ただけでも
土地利用にこれだけの変遷があります。
が、寛永寺初期から幕末まで、ずっとこの場所も寛永寺の土地でした。


んで、上の写真の右手に写ってる白い建物、
何の気なしに看板に目をやったら


上野・輪王寺東通り・日本鳩レース協会



「社団法人 日本鳩レース協会 J.R.P.A」

おおお~、こんなとこにこんなものが!!
てか、鳩レース協会なんてあるんだ・・・

鳩レースといえば、大人になってから読んだ「シートン動物記」の
鳩のアルノーの話を真っ先に思い浮かべますが、
セキュリティよしお のおじさんが鳩レースをやってたらしいので、
協会の前で、よしおのおじさん(会ったことはありません)のことを
ぼんやり想像してました(笑)。


ここまでは、T字の道の左手。
わたくしの進行方向は右手↓。


上野・輪王寺東通り2



左の建物のたぶんすぐ裏がガケなので、
この辺りがかつての寛永寺の東端になります。


長い塀にそってずっと歩いていくと、
ようやく次のお目当てを示す看板が出た↓。


上野・寛永寺輪王殿


これを右に曲がっていくと、「両大師」。

写真は撮ってませんが、交差点の左へ延びる道は
現在ではJRの線路をまたぐ橋になっていて、「両大師橋」と名前が付いてる。
つまり、ここも左側のすぐ先はガケ。

今は崖の下を線路が通ってるので降りてくことはできないし、
降りる用もありませんが(笑)、かつてはガケと台地を結ぶ坂になっていたようです。

明暦3年(1657)の絵図だと、坂を降りた先が「さかもと」。
『寛永寺』の表紙の絵図だと、「びやうぶ坂」(屏風坂)とある。

屏風の名が付いてるってことは、坂の下から見上げると
屏風のようにそそり立つ急な崖だったのかもしれないな。

『江戸東京地形の謎』(芳賀ひらく著)によると、
山内へ通じる坂として代表的な坂が3つ知られており、
屏風坂もそのひとつだったらしい。


で、『寛永寺』の絵図の方には、坂の下には小屋のようなものが描かれている。
この位置だし、これって門番小屋かもな。
て~ことで、ここで『寛永寺』を中心に山内の警備システムについて
少しご紹介します。



寛永寺には専任のガードマンがおり、
「山同心」(やまどうしん)という寺役人がその任に当たった。

役人だから、本来の身分は公務員じゃないかと思うんだけど、
ほとんど寛永寺のお抱えだったらしい。

制服もある。

 【彼らは背中に「カスガイ山」を染抜いた浅黄の法被(はっぴ)に「たっつけ袴」を
  着け、腰に木刀を差すという出立ちで山内の取り締まりに当っていた。】
  (『寛永寺』より)

それから、下っぱ幕臣・山本政恒が残した記録によると、
赤い房を付けた十手を腰に差していたらしい。
一目で「あ、山同心だ」とわかるようなおそろいのスタイルだったんだね。


山同心は40人以上いたらしいが、そのボスが「目代」(もくだい)。
寛永寺を取り締まる目代は代々「田村権右衛門」の名を受け継ぎ、
目代料として100石が支給されていたという。

 【従って、彼の役目は山内の取締まりだけではなく、東叡山領の年貢の取り立てや
  その実質的支配など、いわゆる寺務を除く一切の面にまで及んでいたから、
  そうした方面からの副次的な収入も馬鹿にならないものがあったと思われる。】
  (『寛永寺』より)



山同心たちのメインのお仕事は、警備。

寛永寺には8つの門があったと言われ、
どうも倹約将軍・吉宗の代になってから門の数も削減されたらしいけど、
減らされてこの数なのか、最盛期の門数が8つなのかは現時点ではわからない。
数え方によっても違うし・・・

けど、上野戦争の時点でもいちおう8つの門は確認できる。
そのうちのひとつが、「屏風坂門」・・・
やっぱり、『寛永寺』の表紙にある坂の下の小屋は門番小屋なんだな。


で、日中にはこれら8つの門の警護と、
輪王寺宮のお住まいでもある本坊の警備。
夜には山内の定時巡回をした。
暗闇の中の巡回などで消費される提灯やローソクなどの消耗品は、
寛永寺から費用が支給されたという。


ボスの目代にはまた特別なお役目がある。
それが、宮の警護。
宮が寛永寺を出てよそにお出ましになる時は、
配下を引き連れて目代が道中の宮の警護にあたったそうな。


山内にいる人間がみな寛永寺のお坊さんだったら、
日常のお仕事はそう大変ではないかもしれない。
ところが、江戸期には一般庶民も山内をウロウロしていた。


現代では、上野公園は花見の名所。
不忍(しのばず)側から延びるかつての長い参道は、
昼はのどかな大勢の花見客が通り、夜は野外大宴会場に早変わりする。

私も都内に勤めてた頃、仕事の後で職場の飲み会をやったもんな~(笑)。

江戸期にも実は上野のお山は江戸っ子の花見の名所であり、
桜以外にも蓮見、月見、雪見など、豊かな自然を楽しむ
人気の観光スポットだった。

寛永16年(1639)3月20日に東照社一帯で起こった火災は、
花見客が出したものだったという噂が当時立ったくらい、
早い時期から山内には庶民が出入りしていた様子が窺える。

喧嘩っ早い江戸っ子がケンカでも始めれば、
山同心がすっ飛んできて騒ぎを鎮めたことだろう。

けど、ピリピリした警備だけだったという訳でもなく、
山同心は役得として訪問客に薄縁(うすべり。むしろの敷物のこと)を貸したり、
茶や菓子などを売ったりもしていたらしい。

ガードマン兼レジャーシートレンタル業兼茶店経営・・・

ところが、夕方になると本業のガードマンの面が強くなる。
山内への出入りには時間が決められており、明六ツから暮六ツ・・・
大体、午前6時から午後6時まで。

刻限の6時になると、山同心たちは一斉に門を閉じて
容赦なく庶民を追い出したそうな。
要するに、江戸期にも見事な夜桜はあるにはあったけど、
江戸っ子は上野のお山で夜桜を楽しむことはできなかったんだと。

『寛永寺』には、これを残念がった無念の古川柳が紹介されている。


  千金の時分追出す花の門



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最終更新日  2014年08月02日 22時58分15秒


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