戦国ジジイ・りりのブログ

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2013年12月04日
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カテゴリ: 上野と寛永寺
敷地に沿って交差点を右に曲がると、
大きな案内図があった↓。


上野・寛永寺輪王殿2



図のほぼ真四角の敷地は、古絵図では「慈眼堂」として描かれている場所。
ここは現在でも寛永寺の敷地です。

この看板のすぐ先が


上野・寛永寺輪王殿4・黒門



おお~、すげえ!
あれが旧本坊表門か~!!


前回の日本鳩レース協会から屏風坂上の交差点に出るまでの間に、
道路からもすごい建造物が見えてましたので、

うおっ、なんじゃあ、ありゃあ~!!



にしても、この変形武田菱(←違います)の付いた柵は閉じられてて、
門に近寄れないんだけど。
え~、まさか、ここから見てガマンしろってことじゃないよな


しょうがない、とりあえずこれ以上近寄れなかった時のために、
写真を撮っておこう・・・
とフェンスの穴にカメラのレンズを突っ込んで撮ったのがこちら↓。


上野・寛永寺輪王殿5・黒門



上野・寛永寺輪王殿3



瓦なんかはだいぶ新しいみたいだな・・・と思って屋根を見てたら、
大棟に目が行った↓。


上野・寛永寺輪王殿7・黒門




あんなの見たことない!
すごい変わってる~。

でも、結構気に入りました。
この大棟。


柵にへばりついて写真を撮ってたら、


聞くともなしにスピーチを聞いてると、
なんと選挙公約にオリンピック誘致を掲げている(まだ決定前の出来事です)。

ええ~、オリンピックって一議員の努力で何とかなるもんなの?
アナタがオリンピックを開催するんですか?
公約にオリンピック誘致っておかしくない?
仮に選挙で当選しても、東京に決まらなかったら
責任を取ってアナタは議員を辞職するんですか?


・・・とまあ、何度かツイートしてる通り、
わたくしは東京オリンピック反対派でしたのでね。

即座に沢山のツッコミと罵声を浴びせてましたよ。
頭の中で。

オリンピックはいいんだけどね。
東京はイカン。

大体、沢山の競技を開けるような場所もないし、
地震のリスクはダブルで抱えてるし・・・いや、トリプルか。
南海トラフと首都直下型と千葉沖。
それに、最近の日本の夏ってば死者が出るくらいの過酷な環境。
東京は夏のオリンピックには向かない。

これが地方都市だったら、私も応援したよ。
こーゆー時くらい、地方に花を持たせてやれよ・・・って思うんだよね。
オリンピックより、東北の救済が先だろ?



そんなこんなで苦々しい思いを抱えながら、
ひとまず中に入れる入口があるハズだぞ・・・
と思ってそのまま奥へ進むと、ありました。


上野・寛永寺輪王殿8



上野・寛永寺輪王殿10



上野・寛永寺輪王殿16


上野・寛永寺輪王殿13


 【両大師

  正保元年(1644)、寛永寺開山天海僧正の像を安置する堂として建立。
  天海僧正は慶安元年(1648)朝廷より慈眼大師の諡号(没後に贈られる号)
  を受けたため、「開山堂」または「慈眼堂」と称した。

  その後、天海がもっとも尊敬した平安時代の高僧慈恵(じえ)大師良源をも
  安置したため、慈眼大師天海とともに一般には”両大師”と呼ばれるようになった。

  天海僧正の像は木造の坐像で、寂後まもなく制作され、多くの天海像の中でも
  優れたものの一つ(東京都指定有形文化財)。良源を描いた「元三大師画像」は、
  室町時代初期の制作。優れた画風を有し、江戸庶民の信仰を受けてきた
  (台東区指定有形文化財)。
  また、江戸時代初期の銅鐘・銅燈籠が現存。いずれも、国の旧重要美術品である。】
  (現地解説板より原文のまま。漢数字は戦国ジジイが変換)


という訳で、こちらは天海のために造られた開山堂です。

上の写真の立札によると、こちらでもお護摩をやってるらしいけど、
縁日の日限定なのかな?

「御祈祷受付」とあるから、いちおう個人でも受けられそうだけど、
入った感じだと日光のように随時(時間は決まってますが)
当日申し込みで受けられそうな感じでもなかったな。

縁日は3日とあるから、天海の命日かと思ったら、
天海の死亡日は10月2日。
良源の方が1月3日なので、そちらを採用したのかもしれない。


門前にはこんなものが↓。


上野・寛永寺輪王殿11



なんだ、このでべそ?
幡を立てるものなのかな・・・
日光のはでべそじゃなくて、くぼんでたけど。

でもこの奥に、これを使って幡が立てられてたので、
このでべそにはめ込んで使うものらしい↓。


上野・寛永寺輪王殿12



さてと、まずは門前の紹介からいきますかね~。
ここも結構面白いのだ。  


ここの門に付けられてる紋は


上野・寛永寺輪王殿15



上野・寛永寺輪王殿19



上野・寛永寺輪王殿21



・・・丸に二引。
この家紋でまず思い浮かぶのは、やっぱり足利家。
それから安芸国人の吉川家(笑)。

『閾(いき)ペディアことのは』様のサイトによると、

 【『新編会津風土記』によれば、「大沼郡高田町、国幣中社伊佐須美神社に、
  高田城主蘆名盛安、盛常父子納むる所の神輿あり、左三巴の神紋に配して、
  丸に二引両の家紋を打てり」とあり、蘆名氏が二引両を用いたのは
  動かしがたいと思われる。】

とある。

天海についてはこの後で少し書きたいと思いますが、
蘆名一族の出身と言われてるんだよね。
「天海は蘆名氏の族として、常にその家紋を用いている。」
(『閾ペディアことのは』より)ということなので、
つまりこれは慈眼堂のヌシ・天海の紋として付けてるってことかな。


しかし、屋根に載る瓦はこれじゃない↓。


上野・寛永寺輪王殿18



こういう場所なので、本来であれば何かの紋がここには入ってたはずだと思うけど、
ぽっかり空いている・・・
これまで見てきたものと考え合わせると、
ここにも葵紋が入ってたんじゃないかと思うんだけどね~。
ただ、この門がいつ造られたものなのかは不明。

戦後の再建だったら葵の可能性は低くなるけど、
それだったらここにも「丸に二引」を入れるんじゃないかい?

こんな風に、紋が入るべき場所がぽっかり空いてるのを
上野でいくつ見てきたろう・・・
どうにも不可解だ



上野・寛永寺輪王殿39



上野・寛永寺輪王殿20



上野・寛永寺輪王殿38



蟇股もまた不可解↓。


上野・寛永寺輪王殿37



上野・寛永寺輪王殿41


ジジイ、気にしすぎだよお~。
たまたま真ん中がぽっかり空いてるだけの、
ただの板蟇股だって!!


って言われちゃ~それまでだけど、
なんか気になるう~。
だって、真ん中に紋が入ればしっくり来る気がしない?

上野にはナゾが多い・・・



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最終更新日  2014年08月02日 22時58分00秒


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