戦国ジジイ・りりのブログ

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2013年12月24日
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カテゴリ: 上野と寛永寺
「日光御鏡頂戴」の続きです。

宮が鏡餅を持ち帰ってくるのなら、この日が江戸城の鏡開きになるのかと思ったら、
そういう訳でもないらしい。


ちょうど先月、あの和菓子の虎屋で虎屋文庫の企画展があったらしく、
もうちょっと早く知ってれば行った(かもしれない)のに、
惜しかったな~と非常に残念に思いましたが、
そのチラシによると、元日の早朝には御三家筆頭・尾張家の正室から
将軍とその夫人への贈り物として巨大な鏡餅が贈られたんだと。

尾張家だけでなく、他からも同じようにデカい鏡餅が贈られたそうで、

1月11日には鏡開きをして女中達にまでおゆるこ(=お汁粉)が振舞われたそうな。


ご存知の方も多いでしょうが、ついでだし正月も近いので
ちょっと書いておきますと、
鏡餅・鏡開きはもともと武家のイベントから来ていて、
具足の前に飾った「具足餅」を下げて雑煮にして食べたのが一般化したもの。
女性は鏡台の前に飾ったともいいます。

普通、食べ物は庖丁で切るけど、「切る」が切腹を連想させることから
手や木槌で割るのが作法。
表現も「切る」「割る」など縁起の悪い言葉を避けて「開く」とする。
フツーの食べ物を「切る」のはいいのか?とツッコミ入れたくなりますが、
まあそのように言われてます。


家光の命日が4月20日であることから同じ日を避けて、
松の内を過ぎた11日に行われるようになったのがルーツと言われる。

江戸城においては、同じ日に家康が関ヶ原で着用したとされる甲冑を
黒書院に飾って愛でたという。
日光東照宮の宝物館にも関ヶ原で着用したという甲冑が展示されてるけど、



あ~、ちょっと脱線した感もありますが、
つまりは宮が日光で震えてる頃(笑)、
江戸城ではもらった巨大モチを引きまわしたりして、
華やかな新年のイベントが続いてたようなんです。

宮がお土産に持ち帰ったモチの行方が気になるところだけど、
宮のモチは東照大権現様の神前へ供えて祈祷をしたもの。
鏡餅は神様へのお供え物で、神霊が宿る聖なる食べ物との考え方もあるようなので、
そういうモチを

「もう2月だもん。
モチは食べ飽きたよね~」


なんてぞんざいに扱うハズもなく、きっと将軍や一門の方々に食されたのであろう。


ところで、宮が年3回のお勤めを果たしに日光へ向かう前には、
将軍は贈り物を使者に持たせて宮のもとへ送り、
宮の身体の具合を尋ねるのが恒例だったという。

そこで宮が

「ちょっとカゼ気味で・・・ケホッ」

なんて言おうものなら、医師を向かわせて、
さらにそれでも良くないようなら、日光へ医師を付き添わせたそうな。

宮が日光からお戻りになった際にも、同じように将軍が御機嫌伺いをしたんだと。



さて、御鏡頂戴の儀式が終わると、宮はお帰りになる。
お迎えと同じように、将軍が自ら宮を見送る。
帰りもそのまま、御殿から駕籠に乗って上野へ戻る。


と、宮のお勤めとして日光への出張を紹介しましたが、
1年のうち3ヶ月は宮は江戸にはいないし、
まだ寛永寺に霊廟が少ないうちは霊廟参詣のための御成(おなり)も
そんなに多くはなかったでしょうから、頻繁に会っていた訳ではないかもしれない。

けど、会わずとも、将軍からは珍しい物が手に入れば宮に届けさせたり、
宮の方でもちょいちょいお使いを寄越して上野のお山に咲いた桜を
桶に入れて届けさせたり、将軍の健康状態を尋ねたりと、
宮と将軍の交流はかなり密接なものだったようだ、と
『上野寛永寺 将軍家の葬儀』は語る。

宮の存在がどんなものだったか、段々わかってきたのではないでしょうか?


前回、1月6日に聖職者が年頭の挨拶に伺うしきたりを書きましたが、
現時点であまり詳しいことはわからないんだけど、
大名と同じように近隣の寺社には毎月、定例で登城する決まりがあったらしい。

神田・護持院の史料によると、1日・15日・28日が登城日のようなんだけど、
1日に関しては1~3月の間はない。

1月は6日の一斉登城があるし、3月は天明7年(1787)から無くなって
(3月が無くなった理由は不明)、2月がないのは
『今日ハ御城ニテ御鏡開キ、上野御門主様御登城ニ付』
他の寺は行かないんだとある。


御鏡頂戴の臨席者の顔ぶれも時代によって多少の差はあるようだけど、
元禄期の「隆光僧正日記」によると、宮と一緒に寛永寺の僧が残らず登城して、
御鏡頂戴の後に上野衆が年頭の御礼を申し上げたとある。
つまりは、寛永寺からは1月6日には誰も登城せず、
宮のお帰りを待って2月1日にみんなで年始めの挨拶をしたってことなのかな。

ちなみに、「隆光僧正日記」の時は
真言宗・護持院の僧である隆光さんも同席してたようなんだけど、
綱吉の代以降は護持院からの出席者はなくなって、
引き続き輪王寺宮による鏡開きが行われたそうな。

個人的には、真言宗の僧が臨席してたってのがちょっとオドロキだったんだけど、
なにせ将軍は権力の中心なものだから、当然他宗派や寺社との関わりも色々とあるし、
宗教政策ひとつ取っても、江戸ビギナーのわたくしにはかなり難解です。
まあ、ぼちぼち頑張りますよ・・・ぼちぼち(笑)。


1日っていうと、大名の定例登城日でもあるんだけど、
2月は大名たちはどうしてたんだろう?
寛永寺以外の寺社が2月は登城しなくてよかったように、
大名も2月は免除されたような気がしないでもないけど・・・



さて、江戸時代の江戸には将軍様がおわすので、「御成」があります。
人によっては結構あちこち出かけたりしたらしいけど、
寛永寺には将軍霊廟がありますので、寛永寺への御成もありました。

将軍の霊廟参詣については、いずれ紹介したいとも思ってますが、
ここでは簡単に関係することだけ。

新しい将軍が前将軍の葬儀に参列しないことは少し前に書きましたが、
葬儀と埋葬が済むと、その後で初めて新将軍が前将軍の霊廟へと参詣。
その他、年回忌(3回忌とかの決められた法要)はもちろんのこと、
毎年の祥月命日にも参詣したそうな。

いやあ、後の代になればなるほど霊廟は増えてくんだから、
墓参りだけでも大変だよな~。

ちなみに、墓参りスケジュールを一覧にしてみると、

6日・・家定(寛)

7日・・家斉(寛)

8日・・家綱(寛)

10日・・綱吉(寛)

12日・・家重(増)

14日・・家宣(増)

17日・・家康

20日・・家光(寛)、吉宗(寛)、家茂(増)

22日・・家慶(増)

24日・・秀忠(増)

25日・・家治(寛)

30日・・家継(増)



うわあ、忙しっ!!
(寛)は寛永寺、(増)は増上寺。
家光の本廟は日光だけど、上野霊廟があるので寛永寺に含めました。

この日付はウィキペディアからのもの。
どなたかが寛永寺に眠る将軍の死没の日付はかなり偏ってるって
言っておられたんだけど(←どこに書いてあったのか探せない)、
こうして並べてみると20日に3人重複してるだけで、
特段偏ってるとも言えないような・・・

ちなみに、最後の将軍・ケイキ(慶喜)さんは霊廟を持ってないので
ここには含めてません。

ケイキさんは在任中は江戸に入ったことはなかったし、
いたとしても墓参りどころじゃないご時世だったしね。


上に書き出したのは日付だけだけど、
将軍が直々に参詣するのは、毎年の祥月命日のみ。
月命日には老中が代参したんだそうな。

ただ、将軍の参詣の当日に雨脚が強かったり、雪が降った日には順延されたらしい。
そうは言っても、雨天順延は1回のみで、延期した当日が同じような悪天候だった場合には
将軍の参詣は中止になり、代わって老中が代参したらしい。

また、体調が悪かったり重要な公務がある時には
これまた老中が代参したんだと。


菩提寺にあるのは、将軍霊廟だけじゃない。
その夫人や御三家、あるいは一門の霊廟もあったので
それらの墓参りも含めたら、将軍・幕臣・大名の参詣が頻繁にあって
迎える側もまあ忙しかったろうな~と庶民的な妄想が絶えません


あ、ちょっと余計な話が多くなりましたが、
さすがに将軍の参詣ともなれば諸事大変です。

島原藩松平家が将軍参詣の警護を命じられた内容を見ると、
お役目を言い渡された時から、あちこちへの根回しだのなんだの
も~細かすぎて読んでてウザいほどだし、
将軍家御用達を務めた菓子の大店・金沢家の記録によると、
将軍の御台所が寛永寺や増上寺に参詣する時には、
なんと4~5万もの饅頭の注文が大量に入ったというから
(誰がそんなに食べるんだ)、将軍のお出ましともなれば
どれほどのものか何となく想像もつくというもんです。


それだけの将軍の御成であっても、霊廟に参詣に来た将軍を
宮が迎えるのは年回忌の時のみ。
年回忌以外の祥月命日の参詣には、宮はお迎えはせず、
宮の唯一の代理人・学頭が出迎えたという。

それでも、祥月命日の参詣の際には将軍が
本坊におられる宮を訪問することもあったようで、
もちろんその時にはアポなしで

「宮!元気~?
サプライズだよ~ん」


なんて突撃訪問するハズもなく、ちゃんと事前にその旨をお知らせしておくので、
参詣が終わってそろそろというお知らせを受けて
宮が表玄関の式台まで将軍を迎えに出て、2人で一緒に大書院の上之間に向かって、
宮が登城した時と同じように2人で上段で対坐する。

談笑が終わって将軍が帰る段になると、宮が式台まで見送る・・・

と、お互いがそれぞれに礼を尽くして相手をおもてなししたようです。



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最終更新日  2014年07月31日 21時04分51秒


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