戦国ジジイ・りりのブログ

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2013年12月30日
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カテゴリ: 上野と寛永寺
思いっきりページがまたがっちゃってすみませ~ん。
この話は日光写真館の方で書こうかと思ってたんだけど、
そちらは2年目の分をいつ始めるかもわからないし、
寛永寺にも関係があることなのでおもむろに書き始めた訳です。

で、前回の続き。


今回の日光詣では前にも書いたように寛永寺モードで行っていたので、
幾つかの素朴な質問を抱えていた。

いつもの導師様はお優しい方なので、祈祷が終わった後に
過去数回ちょっとした会話をさせて頂いたこともあるんだけど、


今回は幸い、誰も導師様をつかまえなかったので(笑)、
柏から持参した質問を導師様にぶつけてみた。

何て聞いたのかは(たかが1ヵ月前のことなのに)忘れちゃったんだけど、
寛永寺のことを少し勉強してるんです、って言ったら、
導師様は次のような事を語ってくれた。

「寛永寺さんの山主は、輪王寺門跡といいます。
日光山輪王寺の山主も、輪王寺門跡といいます。」


「ん?」

って思わず聞き返した私に、導師様は笑って説明をして下さった。

え~、ボイスレコーダーで録音しておくべきだったと悔やまれますが
(要するに細かいことは忘れた)、つまるところ、宮が寛永寺と日光輪王寺を
兼帯していたからこーゆーことになるんだと思います。


導師様が話してくれた上の名称については、

現在のことを言っております。

今、私がいる両大師のすぐ隣には「輪王殿」があって、
どちらも現在は寛永寺の所管なのですが、
地図で見るとこの場所は「輪王寺(両大師)」と描かれている。
でも、実際は寛永寺なんです。


別に何の不思議もないでしょ?って思うかもしれませんが、
現在では一般的に上野の寺の寺号は「寛永寺」。
一方の日光は、明治に入って一旦は旧号の「満願寺」に戻されたが、
のちに再び「輪王寺」に戻すことを許されている。
なので、日光のは「輪王寺」。

宮が両山の山主を兼帯されて、江戸期には深いつながりがあった
寛永寺と日光輪王寺は、江戸幕府が解体されて神仏分離令などを経て
今では別の宗教法人としての道を歩んでいる。

ので、もう輪王寺宮はいないんだし、今でも寛永寺が「輪王寺」の号を使うのは
単純に考えておかしいような気もするんだけど、
実際に現在も上野寛永寺に「輪王寺」の号が顔を出すことがある。

例えば、ホレ↓。


上野・寛永寺輪王殿117-2


これは両大師本堂の脇にあった解説の石碑ですが、
最後は輪王寺と寛永寺の号を併記している。
つまり、昔のままに寛永寺は寛永寺であり、輪王寺でもある、
ということらしい。
宮のことを知らない人には、何がなんだかわからないよね


ちなみに、昔は寛永寺と日光輪王寺は深いつながりがあったんだから、
今でもそれに似たような関係が存在してるのかな?と思って無邪気に聞いてみたら、
導師様の答えは意外なものだった。

「お正月などには他のお寺さんともご挨拶なども
あるのかもしれませんが、
それ以外のことはわたくしは存じません」



あ、あれ・・・?
最後の「存じません」なんかは特にはっきりとおっしゃったので、
もしかして聞いちゃいけないことだったのかな・・と思った。

神仏分離令にはどこの寺社も苦労したらしいけど、
日光の山内図なんかを見ると、輪王寺の施設があちこちに点在している。
それでも、現在でも東照宮と輪王寺で管轄をめぐって決着が着いてない部分も
あるらしく、導師様の「存じません」発言といい、
ホント薩長・・・いや明治政府は余計なことしてくれたよな~と思う。

1人で寺社なんかに行くと周囲もよく観察するんだけど、
明らかに宗教にも建築にも興味なさそうなフツーの観光客が
寺社にやって来ては、まっすぐ本堂や拝殿でお参りをして、
そのまままっすぐ帰っていく姿を見ては、

「日本人ってホント寺とか神社好きだよな~」

ってつくづく思う。
ジジババだけじゃなく、イケイケな兄ちゃん姉ちゃんでも
沢山参拝にやって来るんだからね。

おそらくほとんどの人は特定の宗教も持たずに
神と仏の違いって言ったらパンパンするかしないかの違い、
ぐらいの感覚じゃないかと思う。

まあ、昔は檀家制度とかもあったからいちがいには言えないんだけど、
そういう善男善女の姿を見るにつけ、神仏分離の意味って何なんだろうって
私なんかは思っちゃうんだよね~。



・・・あ、ちょっと話がそれましたね(笑)。
寛永寺のことを勉強し始めてから日光の見方も変わったので、
シロート考えで現在も特別なつながりがあるのかな、両寺が仲良かったらいいな~って
なんとなく願ってただけなんです。
残念ながら、あっさり打ち砕かれましたが

でも、寛永寺を知れば知るほど、寛永寺だけを学んでもだめ、
日光輪王寺だけを知っててもだめ、ということをひしひしと感じるようになりました。
これは、長年漫然と日光に通ってた私だからこそ感じることかもしれません。

今までは「輪王寺」といえば私の中では日光のことしか頭にありませんでしたが、
寛永寺とのこういう関係を知ってからは、日光のことはきちんと
「日光輪王寺」と表現するようになりました。

ま、そういう過去の経緯がありますので、現在でも寛永寺では
徳川家菩提寺としての葵紋、輪王寺宮の菊紋、
あと天海マークの丸に二引など色々な紋があちこちに付いてます。



門に着いた時にちょうどバアちゃんが1人入っていくのを見たけど、
それ以外はここでは誰にも会ってない。
もうバアちゃんもいないな・・・
帰ったのかな。

人がそこそこ来ていれば、恐らくこれ↓にももうもうと煙が立ってたでしょうが、
誰もいないので、線香も立ってない。
ちょっとハゲてるけど、ここにも天海マークが付いてますね。


上野・寛永寺輪王殿88



この頃になると薄日が射してきて、朝方は涼しかったのが
少し暑くなってきた。
ので、扇子であおごうとカバンを探ったが、扇子がない

史跡めぐりの時はいつでも色んな物をカバンに詰め込んでくるのだけど、
この日は近場の無理をしない(予定の)日帰りなので、
ものものしい装備はやめようと思って、出る直前にカバンを替えたのがいけなかった。

ああ、ヤバイ・・・
いくら涼しい日だといっても、暑がりの私が扇子なしで
この後行動できるのだろうか・・・

この辺にはコンビニなんかもないし、ないものはしょうがない。
無理はしないことを改めて自分に言い聞かせて、左手にある手水場へ向かう。


上野・寛永寺輪王殿89


右の柱に何か貼ってある↓。


上野・寛永寺輪王殿90



1・2・4はいいけど、3は・・・?

宇治の平等院 は写生禁止の立て看板があった。
世界遺産で、鳳凰堂の向かいは大して広くもないスペースだから、
観光客の邪魔になるからなのかな、と思った。

ミワラの 佛通寺 は、カメラの三脚・写生のイーゼル・椅子の使用禁止とあった。
どれも地面に突き刺すものだから、聖域に突き刺すようなものを使うな
って意味かと思った。
杖も突き刺すけど、高齢化社会で杖を禁止するのは酷かもしれない(笑)。

ここは三脚のみ禁止なんだな・・・
それぞれ理由があってこう書いてるんでしょうけど、
なんかよくわからない。



上野・寛永寺輪王殿91


大きな水盤を支えるのは


上野・寛永寺輪王殿92



上野・寛永寺輪王殿93



上野・寛永寺輪王殿100



上野・寛永寺輪王殿101



重いのに、大変だね。

ぐるぐる回って足元の獅子を撮ってるうち、
水盤の側面に何か付いてるのに気がついた↓。


上野・寛永寺輪王殿102



最初は、ただの持ち手かと思った。
でも何かヘンな形・・・
そう思って角度を変えて覗きこんだら


上野・寛永寺輪王殿103



あっ、ツルかあ~!
反対側も↓。


上野・寛永寺輪王殿104



ほおお、よくできてるな~。
てか、頭の皿ってナニ?



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最終更新日  2014年07月31日 21時03分54秒


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