戦国ジジイ・りりのブログ

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2014年01月02日
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カテゴリ: 上野と寛永寺
前回、両大師本堂の売店コーナーで色々買ったことを書きましたが、


これは確かタダだったような気がするけど、
帰ってから読んでみたら、結構興味深いことが書いてあった。

そのうちのいくつかは、この後行く各スポットでおいおい紹介するとして、
ひとつ

「おお~~!!」

と歓声を上げたニュースがあったので、今回はその話をします。
ニュースのタイトルは『杉谷大僧正 戸津説法師を拝命』。


ちょっと話は変わりますが、シリーズを重ねるごとに話数が長くなる傾向にあるので、


数か月前の記事では、確か2011年1月以前の記事を諦めたと書いた気がしますが、
もう2011年の分はほぼ諦めました。
去年の廿日市編でさえ、ちょっと怪しくなってきてるぐらいなので

ただ、その代わりと言っては何ですが、
ひとつの旅を通しで書くのは諦めても、関連があるような記事の場合には
部分的に抜き出して、別のシリーズに間借りをするような形で
公開できるものは公開していこうと思ってます。

公開済の記事があればリンクを貼るだけなんだけど、
未公開のものが多いので苦肉の策です(笑)。
記事としては相当読みにくくなるかもしれませんが、ご了承ください。

という訳で、早速初間借りをしようと思います。

行ったんだもん。説法の場所へ。

で、ちょっと2011年10月の旅から現地の様子を少しご紹介します。


戸津説法が行われるのは、こちら↓。
大津市下阪本にある、東南寺です。(場所は こちら



坂本・東南寺3


 【東南寺

  延暦年間に伝教大師が創立した寺で、比叡山の東南、戸津ヶ浜にあったので
  東南寺という。寛永15年、高島郡今津にあった一堂を当地に移したので
  一名を今津堂ともいう。
  ここは伝教大師の法華経説法の場であったので、今も毎年8月、延暦寺の高僧による
  有名な「戸津説法」が続けられている。】
  (現地解説板より。漢数字は戦国ジジイが変換)


とゆーことで、最澄さんのお手になるお寺だそうですが、
門前から西に延びる道はこうなっている↓。


坂本・東南寺前


左の車が止まってる先に、赤い傘が見えますね。
そこにはこの石碑が建っています↓。


東南寺前の坂本城跡碑-2



坂本城の石碑はこの近辺にいくつかあり、
本丸推定地はここからすぐの場所にあります。
それどころか、石碑があることからもわかるように、
東南寺は坂本城二の丸跡とも言われてます。

この石碑が建つのは北国街道沿い。
東南寺脇の道路は、現代の私達からすると入り組んでヘンな造りになっていて、
こういう道筋が城址の跡をとどめているものではなかったとしても、
いかにも古い町の造りという感じです↓。


坂本・東南寺2


東南寺の元の正確な位置はわからないけど、
大体この辺にあったものと思われる。

『滋賀県の歴史散歩』によると、元亀年間(1570-73)の兵火で
焼けたとある。
元亀2年(1571)のいわゆる叡山焼き打ちの時ではないかもしれないけど、
一連の戦いで被害にあったのかもしれない。

そこから寛永15年(1638)までの動きはわからない。
信長様による叡山攻めの後、ご存知の通り明智光秀が坂本城を築いてるけどね、
現在の東南寺一帯はすべて城内にあたると思われるので、
坂本城があった頃は東南寺はどうしてたんだろうという素朴な疑問がわく。

ここから坂本城跡として一般的に紹介される場所は、歩いてすぐ。
現在の城址の様子↓。


坂本城跡


北大津湖岸緑地


坂本城・明智光秀公2


最後の写真は、オマケの明智光秀です。
顔が気に入らない けど、狙った訳でもないのに自然の流れで
寛永寺の記事にこの写真を載せるのもちょっと妙な気分になりますね。
まあ、私は天海=光秀はないだろうと個人的に思ってますけどね。



戸津説法に戻りますが、元亀年間以降、
しばらくの間は説法も下火だったかもな~と思った。

戸津説法は、最澄さんがご両親の追福のために
近隣の村人に法華経を説いたことが始まりと言われる。
昔は東南寺だけではなく、生源寺・観福寺というお寺も説法の場所だった。

どちらの寺も現存してます。
観福寺は近くを通ったものの、寄りませんでした。
生源寺も行かなかったけど、JR比叡山坂本駅前に歴史を語るものがある↓。


坂本・生源寺の破れ鐘3



坂本・生源寺の破れ鐘4



 【生源寺(しょうげんじ)の古鐘(通称 破れ鐘)

  元亀2年(1571)9月12日の明け方、突如として織田信長の軍勢が
  押し寄せるのを発見した土地の古老は、村人に急を告げるため生源寺の釣鐘を
  力の限り乱打し異変を伝えたが、何分にも不意打ちのため全山灰燼に帰した。
  世に云う、比叡山焼き打ちである。

  その際あまりにも力強く打ち鳴らしたため、ひび割れが入って不思議な音色になり、
  それ以後この鐘は村人たちから「破れ鐘」(われがね)と呼ばれてきた。また、
  祭礼などの合図鐘として長年使用され、村人の思い出の音色でもあった。

  坂本村と大津市の合併50周年を記念して、この古鐘を和合促進のシンボルとして
  永久に残すため、坂本学区自治連合会が比叡山延暦寺より寄贈を受け、
  坂本石積みの郷公園に移したものである。】
  (現地解説板より)


ちょっと現地ではひび割れはわからなかったんだけど、鐘が割れる程叩くって、



って笑うのは私だけじゃないと思いますが、
真偽はともかく、そういういわれのあるグッズが駅前にございます。

という、都合3ヶ所でそれぞれ10日の計30日にわたり説法が行われてたものが、
焼き打ち以降は東南寺で10日間行われるようになり、
明治以降は8月21日~25日の5日間に
同じく東南寺でのみ行われるようになったそうな。
でも、近江の夏ってキツかったからな~。
クーラーの効いてる部屋でなければ、結構体力勝負じゃないかな。

戸津説法は最澄さんが始めたものなので、
現在でもその位置付けは最澄さんに代わって説法師が説法を行うという
重要なイベント。

まずは最澄さんの命日(6月4日)に叡山で行われる法要で
天台座主から直接説法師の指名がなされる。
説法師を務めることは、天台座主となるための通過儀礼だそうな。
名誉なお役目であると同時に、頑張りどころでもあるんだね。


戸津説法がこういうものである事を知っていたので、
寛永寺の杉谷師が説法師に指名されたという『寛永寺だより』のニュースを読んで、
懐かしさと同時に、叡山だけじゃなくて他の寺からも指名されることがあるのか・・・
しかも、寛永寺から・・・とちょっと感慨深くなった訳です。

このニュース、1ページまるまる割いて大々的に書かれてるんだけど、
その最後がちょっと笑えた。


 【当山ではこの勝縁にあたり、皆様とともに大僧正の晴れの説法を聴聞すべく、
  団体参拝旅行を計画しております。旅行の詳細などにつきましては別途チラシ
  などでご案内申し上げますので、是非ご参加ください。】
  (『寛永寺だより』より)


お~、自慢の僧正様を応援しに、はるばる江戸から近江まで
寛永寺あげて駆け付けるのか~
ちょっとほのぼのした。


おっと、東南寺の内部を紹介してませんでしたね。
っつっても、あまり撮ってないんだけど。


坂本・東南寺5



坂本・東南寺4



実はこの境内には、坂本城落城の際に討死したといわれる明智一族
およびその家臣の塚があります。
が、ちょっと撮る気がしませんでした

東南寺の近くには、「明智塚」といわれるものもありますが、
現地ではすっかり忘れてスルーしました(笑)。


んじゃっ、最後に生源寺の破れ鐘の近くにある、
「若き日の最澄」像でお別れです↓。


坂本・若き日の最澄像2


どうです、イケメンでしょお~
せっかく造るんだから、このくらいイケメンに造っとかないとね~。
ちょっと光秀のはいただけないよね~(笑)。

有名な光秀の肖像画なんかではなかなかの優男なんだから、
それに合わせて造ったら良かったのに・・・
像だけ見たら、

「う~ん、ヤマトタケル?」

とでも言いたくなるような感じじゃない?(←しつこい)



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最終更新日  2014年07月31日 21時03分25秒


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