戦国ジジイ・りりのブログ

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2014年03月18日
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カテゴリ: 上野と寛永寺
内部に入れないならせめて見える部分だけでも・・・と
いじましく透塀越しに撮った拝殿の上部↓。


上野3・東照宮拝殿4


よく見えないけど、どうやら妻壁にも細かい彫刻が施してあるらしい↓。


上野3・東照宮拝殿3


拝殿の蟇股にもネットがかけてあるらしく、綺麗に撮れないのが残念↓。


上野3・東照宮拝殿5


大棟にぺたぺた張っついているのは、もちろん葵紋です↓。


上野・上野東照宮122




現地では疲れてたからイヤイヤだったんだけど、
拝殿前のいい場所に置いてあるだけあって、奉納者はゴーカな顔ぶれです。

まあそれは知ってはいたんだけど、現実問題として灯籠を撮り続けるのって
めんどくさいわ疲れるわ・・・

それでは、唐門の向かって右側から。


上野3・東照宮・紀伊頼宣2


 【慶安四年辛卯四月十七日
  紀伊国主従二位行権大納言源頼宣】

こちら、家康の10男・徳川頼宣さんの奉納によるものです。
紀州徳川家の祖で8代将軍・吉宗には祖父にあたる。


けど、結局水戸には入らずじまいで駿府の父の下で育てられたんだと。
頼宣さんは末っ子じゃないけど、家康が58歳の時の子だから、
まあオヤジとしたら相当可愛かったろうな。

7歳の時、加藤清正の娘と婚約。
家康と豊臣秀頼の二条城での会見の際は、人質として清正に預けられるなど


その後、15歳の時に清正の娘と結婚する。
すでにこの時、家康・清正のオヤジ共はこの世の人ではなかったし、
大坂の陣で豊臣家を滅ぼした後だったから
よく婚約破棄しなかったな~とも思うんだけど、
なんにせよそのおかげで紀州家に 清正の槍 なんてものが残ってる訳だな。


ウィキペディアによる、オヤジとのエピソードは

 【父である老家康が最後まで手元に置き、自ら薫陶を与えて育てた。
  まだ幼いにも関わらず馬に乗せ、小川を飛び越えるように強要し、落馬して入水しても
  家康は放置した、と伝わる。
  大坂冬の陣の初陣の際、父である大御所家康自らが鎧初めを行う、特別な扱いを受けた。】

だそうな。

可愛い子には旅をさせろ・・・んにゃ違うな。
少々Sっぽい愛情をかけられたらしい。


『駿河土産』にはこの方に関するエピソードが載ってまして、
サクサク進めたいのはヤマヤマだけど、せっかくだからご紹介しましょう。


  尾張義直殿(頼宣の兄)が紀伊頼宣殿の江戸屋敷へ訪問された折のこと。
  頼宣公は髪結いの途中で応対に出るのが遅れたが、尾張公が安藤帯刀へ言われるには、

 「あ、別に用はないんだけど、近くまで来たからね。
   お前の顔も見れたし、別に変わりがないならそれでいいんだ。
   じゃ、帰るね。」


 「ちょ、ちょ、ちょ~っと待ったあ!
   あのその、もちょっとだけお待ちを・・・!!」

  帯刀は急いで奥の頼宣公のもとへ行き、

 「今、御前様の親しいのは尾張様だけでしょ!
   トモダチ少ないんだから、大事な方をお待たせしちゃダメじゃないですか~!!」


  「よし、わかった。すぐに出よう」

  と頼宣公は早々に髪結いを終わらせて尾張公と面会された。
  尾張殿が帰られたあと、頼宣公は先ほど髪を梳いていた者を呼び出して

 「さっき尾張殿がいらして私が出るのが遅いと帯刀が叱った時、
   私が涙を流したのが鏡に映っただろう。お前はそれを見たか?」


  「み、見ました!
   いくら尾張様の事とはいえ、帯刀の言い方きつすぎるな~と思ってたんですよ。
   ひどい奴ですよね!!」


 「お前はそう言うと思ったよ~(笑)。
   あんな小言を言ってくれる奴は、帯刀の他にはいない。
   そういう奴を私に付けて下さった権現様のお気持ちがありがたくて、
   思わず涙が出たのだ」



安藤帯刀直次は、家康から頼宣に付けられた附家老。
大河ドラマ『八代将軍吉宗』なんかでも、吉宗にあくまで対抗しようとする
中井貴一(尾張宗春)に尾張家附家老の寺田農さん(成瀬隼人正)が
色々口うるさく言ってたもんな~。

出向先の主人にもガンガン言えるくらいじゃないと、
附家老は務まらないのかもな~(笑)。

頼宣自身には謀反の意思はなかったようだけど、
とある件で謀反の疑いをかけられた事があった。
その関係で、トモダチ少ない時期があったのかもね。



紀伊殿の隣がこちら~↓。


上野3・東照宮・水戸頼房2


 【慶安四年四月十七日
  正三位行権中納言源頼房】


水戸徳川家初代藩主にして家康の11男・徳川頼房さんの奉納品です。
家康が59歳の時の子。
(そんな計算ばっかすんなって?

水戸家は黄門様とか幕末の斉昭など、いわゆる名君を排出してもいるけど、
個人的にはアクの強い印象がある。

たとえば斉昭。
最後の将軍・ケイキさんは斉昭の実の子で、幼い頃は寝相が悪かったんだそうな。
行儀にうるさい父・斉昭はこれを治させるため、幼いケイキさんの枕元に
カミソリを立てて寝かせたとかなんとか・・・

で、初代の頼房さんはどうかといえば、若い頃はちょっとやんちゃしていたらしい。
また『駿河土産』から。


  水戸頼房公は若い頃は大変男だてをされており、かいらぎ鮫の付いた長刀を
  金張りにして衣服などにも紅の裏を付けたほか、行いも不良じみたところがあり
  江戸では身分を問わず人々の噂になっておりました。
  お付きの家老・中山備前守も素行を改めるよう色々と意見しましたが、
  頼房公は聞き入れませんでした。

  ある時、老中から備前守へ

  「ちょっと用があるから、10時に登城してくれる?」

  と書状で呼び出しがあったので、備前守はその通り登城しましたが、
  呼んだはずの老中方は

  「今日の用事は私たちは知らないんだよね~。
   たぶん、公方様からの直接の御用でしょう。」


  と言われました。

 「そうですか・・・皆様方は御存じない・・・
   なら、きっと水戸様のことでしょう。

   御前でありのままを申し上げれば、私は主人の悪事を訴える事になります。
   かと言って、そしらぬフリでうまくごまかしても上を欺くことになり、
   後ろめたくてたまらないので、私は御前に出てもどうしようもありません。

   お呼びだというので登城はしましたが、今日はこれで帰ります。
   お上の命令に背くことになりますから、御機嫌を損ねてきついお仕置きを
   申し渡されることも覚悟の上です。」


   とそのまま帰りましたが、老中方も皆思い当たることがあるので、
   あえて備前守を引き止めようとはしませんでした。

   水戸家の上屋敷では、備前守だけが呼び出されたことに納得のいかない
   頼房公が備前守の帰りを待っており、備前守が上屋敷に立ち寄ると
   さっそく呼び付けました。備前守は事の経緯を説明し、

 「私は公方様からどんなおとがめを受けるかわかりませんが、まず切腹だろうと
   覚悟は決めております。が、3つの事が残念でなりません。

   まず第一に、私に才能がないばっかりにすでに公方様のお耳に入っているような
   行いを改められるような意見ができなかったこと。

   第二に、御前様はお若いものの、この備前守を付けておけば心配ないだろうという
   権現様の御期待に添えなかったことが、今更ながら申し訳なくてたまりません。

   第三に、早くから心配していなかった訳じゃありませんが、色々と方法を
   考えているうちに手遅れになってしまい、悪い行いの仲間となっている
   不届きな奴らを成敗せずにおいたもんですから、私が死んだあとは
   ますます御前様に悪い影響を与え続けるでしょう。

   たとえ私は切腹して死んでも、魂はこの御殿から離れません。ですからどうか、
   以後は行いを改めて御上の覚えもめでたくなるようになって下さい。
   じゃ、私はこれが今生のお別れになりますから、ぜひ御盃をいただきたい。
   あ~、誰か!酒と盃持ってきて!!」


   と備前守が語るのを頼房公は黙って聞いておられましたが、小納戸衆を呼んで
   日頃ご愛用の伊達拵えの刀・脇差・衣類などをすべて持ってくるように
   指示されました。

   何をするのかと備前守が見ていると、それらの品をすべて小姓衆へ分け与え、
   脇差の張物を広げて小刀で切り取り、

  「もうしないから、心配しなくていいよ」

   と備前守へ言われました。
   その後、備前守が登城した時に老中方へ詳しく報告しそのまま帰宅したという事が
   公方様のお耳に入り、

 「備前守のそのような料簡がなかったら水戸の行状は直らなかっただろう。
   でかした!!」

   とお褒めになられました。



この備前守は中山信吉のことで、やはり水戸藩の附家老。
ウィキペディアによると、頼房は家光から

 【そなたのことはわけても心安く思い、何事も相談したいと思っている。兄弟はいても
  役に立たないので、そなたのことを兄弟同様に思っている。そなたもそう心得て欲しい】

という書状をもらっているそうな。

家光からすれば御三家当主はみな叔父にあたる訳だけど、
尾張・紀伊はともに謀反の嫌疑をかけられた過去もあるため、
家光はわけても身内の中では頼房に信頼を置き、江戸へ住まわせた。
これが水戸家が「副将軍」といわれるようになった基だという。

まあ、それも備前の働きがあったればこそ・・・


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最終更新日  2014年07月27日 21時57分26秒


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