戦国ジジイ・りりのブログ

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2014年04月07日
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カテゴリ: 上野と寛永寺
天平16年(744)の話題をもうひとつ。

聖武天皇&光明子夫妻の間に生まれた基皇子が亡くなったその年に生まれた
安積親王の名を 「春の寛永寺(7)」 で出してますが、
聖武に唯一残された男子だったにも関わらず、安積親王は皇太子にはなれず、
光明子の産んだ阿倍内親王が最初で最後の女性皇太子となりました。

その安積親王がこの年の閏1月13日、急死しました。
享年16歳。

ウィキペディアによる、安積親王の死の経緯は


  脚気になり恭仁京に引き返すが、2日後の閏1月13日に17歳で死去した。
  藤原仲麻呂に毒殺されたという説もある。】


「17歳」は数えだからね。
『逆説の日本史2』に引用されている『日本の歴史4 天平の時代』には
こういう風に書かれている。


 【聖武は紫香楽に心ひかれていた。この地に浄土をつくりだそうとする聖武の
  傾倒ぶりは、よそからみると、あつい仏教信者である光明皇后とそれに連なる
  藤原氏に、聖武が取り込まれてしまったようにみえる。これに危機感を抱いたのは、
  元正太上天皇であった。(中略)

  彼女は、安積親王の擁立を考えていたと思われる。(中略)そこで彼女は、強力に
  聖武に働きかけて、難波遷都を実現し、彼を光明や藤原氏から切り離そうと


  したがって、その途中で安積親王が急死したのは偶然ではない。難波遷都が
  元正太上天皇の意思表示であったとすると、安積の死は、藤原氏の回答であったと
  いえよう。太上天皇である元正が、公然と行動しはじめたことは、皇位継承問題に
  つながりかねないだけに、藤原氏に大きな脅威を与えた。安積は、藤原氏によって
  暗殺されたとする考えがあるが、以上の脈絡からすると、その可能性は高いと



井沢氏はこの引用文の後で、学者という人は史料に書かれてあることが大事で
推理を嫌う傾向にあるが、それでもこういう記述になるのだから、
【いかに安積親王の死が藤原氏にとって極めて都合のいい時期に起こったか、
改めて言うまでもないだろう】とする。


光明子の母・三千代は「橘三千代」で通して表記してきたけど、
県犬養(あがたのいぬかい)氏の出身。
それが、橘姓を与えられて橘を名乗った。
橘氏の実質的な祖とされる。

安積親王の母は広刀自(ひろとじ)といい、県犬養氏出身の女性。
つまり、三千代とは同族。
広刀自が聖武に嫁いだのは三千代の推挙があったともされる。

安積親王殺害犯とも言われる藤原仲麻呂は、藤原四兄弟の長男・武智麻呂の子。
四兄弟の母は、三千代ではない。

祖父(不比等)の妻(三千代)が大きな影響力を持った人であり、
その人の一族の娘から生まれた皇子であろうと、容赦なく殺した。
藤原氏の血を引いてないから。

四兄弟は疫病で全滅したけど、藤原氏が滅亡した訳ではなく、
四兄弟はそれぞれ北家・南家・式家・京家の祖であり、
平安時代の藤原氏大発展の基礎を築いた。
こういう冷酷でえげつない手を使いながら。

安積親王は唯一の皇子となりながら皇太子にはなれず、
あまつさえ若い命を絶たれた。
聖武の中では一本芯が通った行動をしたつもりだろうけど、
はたから見て地に足が付いてないようなフラフラした行動を取らなければ、
安積親王は殺されることはなかったかもしれない。

まあ、聖武と藤原氏出身の妃の間に男子が生まれなければ
やっぱり藤原氏には危険視されて、いずれは殺されてしまったかもしれないけど。

古代にはこういう血なまぐさい話が多いです。


●天平17年(745)

恭仁宮から難波宮へ遷都しながらも着々と紫香楽宮の造営を進め、
前年の終わりには金銅仏の造立にも着手した聖武天皇は
この年1月、ついに紫香楽を都と定めた。
紫香楽宮はこの頃には甲賀宮と呼ばれていたようだけど、
ここでは紫香楽宮で通します。

まあ、聖武としては紫香楽が本命だったんだろうな。
しかし、紫香楽造営中はあんまりいい事がなかった。

天平16年4月には宮の西北で山火事があり、
この時は千人もの民衆が木を伐って火止めをしてくれたので、
どうにかおさまった。

5月には肥後で地震・雷雨があり、民家や田んぼが多く水没し、
人的被害も大きかった。
また280箇所で山崩れがあり、40人ほどが犠牲になった。


天平17年4月に入ると、まず1日に市の西の山で火事。
ついで3日に寺の東の山で火事。
8日に伊賀の眞木山で火事。3~4日続く。
11日、宮殿の東の山で火事。この時は聖武も避難し、13日の雨でようやく鎮火。

27日、大赦を行う。
しかしせっかくの善行もむなしく、同日、美濃で大地震が起こる。
これは3日3晩続き、館や正倉、堂塔や民家が倒壊する。

5月は地震の記事ばっかり。
どこで、とは書いてないから、畿内あたりだろうとは思うけど、
1日から11日までは毎日地震。
あまりに地震が続くので、2日・8日・10日にはあちこちで
最勝王経などを読経させている。

3日には家臣を恭仁宮にやって掃除をさせて、5日には聖武が恭仁宮へ向かい、
6日に到着。沿道の庶民からは万歳の声が挙がった。

7日、平城京を掃除させる。
9日、紫香楽宮付近で山火事。
10日、恭仁京にいた民衆が争って平城京へ移る。
11日、各地の陵へ幣帛を捧げる。もぬけのカラとなった紫香楽には盗賊が出て、
火事もまだ消えなかった。
そしてこの日、聖武が平城京に戻り、役人たちは元の司へ帰り、
都が平城京に戻されることになった。


5月の地震は異常だと『続日本記』に記されており、
水が出たというから、地割れなんかがあったのかもしれない。

聖武が平城京に戻った後もしばらく地震は続いたが、
5月ほど頻発はしなかったらしい。


相次ぐ地震と火事。
口には出さなくても、民衆は

「やっぱり帝の行いが・・・」

って思っていたのかもしれない。
安積親王のタタリだって思った人もいるかもね。

5月5日に紫香楽を出る前日には、四大寺の僧を薬師寺に集め、
都の場所についての諮問を行っている。
その結果が5日の引っ越しなんだろうから、
紫香楽京は天からも僧侶からも民衆からも不信任案を突き付けられたような
形となり、ついに断念せざるを得なくなった。


古代は結構天変地異が多くて、特に天平に入ってからは各地で地震があり、
山崩れが起きたり霧島が噴火したり、果ては「京に飯が降った」なんて
訳わかんない記事もあって、現代人からすれば自然災厄は
たまたま聖武の時に多かっただけで、そういう点ではお気の毒でもあるけど、
本人がハチャメチャな行動をしてるもんだから、
偶然にしても出来すぎっつーか・・・

ま、結果論で言えば恭仁宮・難波宮、そして紫香楽宮への遷都は
ムダ遣いに終わっちゃいました。

しかし、「ふりだしに戻る」のコマに当たったとはいえ、
まだ彼の熱は冷めず、紫香楽で始めた盧舎那仏の造営は大和で続けられることになります。
これがいわゆる「奈良の大仏」です。


ま~、この工事って相当大変だったみたいね。
『逆説の日本史2』によると、【創建当時は世界最大の金銅仏】だったそうな。

あまりにデカいので、一度に鋳造することはできず、
下から順に造っていっては周りに土を盛って・・・みたいな感じで、
大仏殿は実際、山の尾根を削って造成されたものであることが
調査によって判明してるそうな。

ウィキペディアによると、工事に関わった人間は260万人、
大仏および大仏殿の造営にかかった費用は現在の金額に換算して約4657億円。

使われた銅は約500t、金は58.5Kg。
銅は西海から集めたとあり、銅のほとんどは山口県の長登銅山やその近隣の銅山で
産出された銅でまかなわれたことが推察される、とある。


『日本の歴史4 天平の時代』では本体の鋳造に2年、整形・補鋳に5年、
メッキに5年の計12年かかったとある。

また、作業中の事故や、鍍金の溶剤として用いられた水銀の中毒で
多くの人命が失われたとも言われているんだと。



●天平18年(746)
国分寺に与える金字の金光明最勝王経の写経がこの頃までかかる。

まともな予算のプランを組んでないだろ?って言いたくなるぐらい、
あちこちで浪費するからお金もなかっただろうし、
遷都につぐ遷都で写経も思うように進まなかったのかもね(笑)。

デカいイベントをあちこちでやりすぎるからだよ・・・


●天平19年(747)
文献に「東大寺」の名が登場する。

「金鍾山房」からスタートして、のちに福寿寺をあわせ「金光明寺」と
名を変えた寺は、このあたりから「東大寺」となりました。

この年になってやっと大仏の鋳造が始まったようで、
聖武は宇佐の八幡様へ使いをやって大仏の造営を祈願したそうな。
「もう神頼みに入ったか」と笑いたくなりますが、八幡様の回答は

 【神(八幡大神である私)は、八百万の神を誘い案内して、大仏建立を
  必ず成し遂げましょう。大仏建立にあたり、たとえ銅湯(銅を湯に溶かしたもの)
  が足りなくとも、私が水となって草木や土に溶け込んで、建立に支障が
  ないようにしましょう。】
  (『逆説の日本史2』より)

という親切なもので、大仏の開眼供養会が行われた天平勝宝元年(749)には
八幡様が輿に乗って宇佐を出て、平城京に迎えられた。
これが手向山八幡宮だそうな。


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最終更新日  2014年04月08日 21時43分56秒


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