戦国ジジイ・りりのブログ

戦国ジジイ・りりのブログ

2014年04月17日
XML
カテゴリ: 上野と寛永寺
さて、それじゃ写真をバンバンガンガン行きますかね~。


松平信綱の灯籠の後ろにある、透塀の彫刻↓。


上野3・東照宮拝殿前面透塀



上野3・東照宮拝殿前面透塀2



上野3・東照宮拝殿前面透塀3



上野3・東照宮拝殿前面透塀4



上野3・東照宮拝殿前面透塀5



上野3・東照宮拝殿前面透塀6



遠目からでも、実に見事・・・


向かって右側のエリアを終えて、唐門前へ戻ろうとしたら
敷石に目が行った↓。


上野3・東照宮拝殿前



なんだコレ・・・
かつてここに小さな建物でもあったのかな?

だいぶ前の記事で、参道の石の敷き方が綺麗じゃないと書いたけど、
どうやらやっぱり参道にも手が入れられてて、
一部参道の付け替えなんかもあったようなんだよね。

まあでも、手入れした後にわざわざこんなの造るハズはないから、
ここだけはかつての面影を残しているのかもしれない。 


今度は唐門の向かって左側。



上野3・東照宮・紀伊頼宣3



上野3・東照宮・水戸頼房3



上野3・東照宮・尾張光義3



上から順に紀伊頼宣・水戸頼房・尾張光義。
水戸頼房の灯籠なんかは、笠に付いてる龍が一体しか残っていない・・・



第二編ではこれで東照宮は終わりにしました。
第三編は補足の写真を撮りに来たけど、やっぱり内部の拝観はできませんでした。

そして正月の第四編。 
この時は ぼたん苑 を観に来たので、パンパンして社務所を覗いてみると
なんとこれまで無情に閉められていた拝観入口の戸が開いてるじゃありませんか~!! 

うお、マジラッキー。
根本中堂の素晴らしい仏像群 にチョ~満足したから
ぼたん苑行かなくてもいいかな・・・とも思ったんだけど、 
来てよかったあ~

しかし、もう15:30・・・
冬は早く閉めるかもしれないから、あと1時間ぐらいしかない。
フツーの人なら、そう大きな社殿でもないし1時間もいないでしょうが、
わたくしには1時間じゃ明らかにキツイ。

しかし、今後はいつでも拝観可なのか、はたまた正月だから
特別なのかもわからないので、入れる時に頑張って撮っておかないとな。

心のふんどしをきつく締め直して、入口でお金を払って
いざ有料エリアへ。
よお~っし、頑張るぞお~



上野4・東照宮入口



入るとすぐの場所に何やら貼り紙があった↓。


上野4・東照宮入口3


いいっすいいっす、トイレ我慢するのは慣れてます(笑)。
さらにこんなのも↓。


上野4・東照宮入口4



酩酊状態の方か・・・
アハハ、面白いな。

入口を入るとすぐ右に折れる。
透塀沿いに奥まで進んでいけってことらしい。


上野4・東照宮灯篭群


ここにもこんなに灯籠が・・・
あ~、チョ~幸せ!
しかし、浸ってばかりもいられません。
てことで、まずはここの灯籠群からご紹介しましょう。


上野4・東照宮・酒井忠清


上野4・東照宮・酒井忠清2



【奉献 石灯籠両基
 武州東叡山 東照宮寶前
 慶安四年四月十七日
 従四位下行侍従兼河内守源姓酒井氏忠清】


上野厩橋藩第4代藩主。
もとは家光付きだったが、家光の死後も生きた松平信綱や阿部忠秋(前回参照)、
それから後見の保科正之らとともに、4代将軍・家綱を支えた。
のち大老に就任し、彼らが先に世を去ると権力は忠清に集中したので
あまり良く書かれないらしい。

そういえば、 家綱の霊廟勅額門 の解説にも家綱後半の治世での
有名人として忠清の名前が挙げられてたな。

ウィキペディアによると、すげえ早口の人だったらしい



上野4・東照宮・堀田正盛


上野4・東照宮・堀田正盛2



【東照宮 尊前
 慶安四年辛卯猛夏十七日
 従四位下侍従兼堀田加賀守紀朝臣正盛】

武蔵川越⇒信濃松本⇒下総佐倉藩主。
智恵伊豆、阿部忠秋、阿部重次らとともに家光の六人衆。


お福(春日局)のダンナ、稲葉正成は前妻との間に子があった。
そのうちの女子が堀田さんちに嫁いで生まれたのが正盛。

お福が家光の乳母を務めた関係か、家光の近習に取り立てられて
スピード出世をした。
ウィキペディアには

 【正盛の出世は継祖母が春日局であったことを考慮に入れても異常な早さで、
  家光と正盛は男色関係にあったと見るのが有力である。殉死は、主君と男色関係に
  あって異例の立身をした者の義務であるからだと言い伝えられている。】

とある。
真偽はわからないけど、家光は女より男の方が好きだったとかいう話もあるしね。

家光に殉死し、同じく殉死した阿部重次とともに 寛永寺現龍院 に墓がある。
ただ、ウィキペディアには正盛の墓所は品川だってあるけどね。

第二編での現龍院のお目当てはこの殉死組2人の墓参りだったけど、
現龍院を開創した稲葉正成の墓もそこにあるらしい。



上野4・東照宮・阿部忠秋


上野4・東照宮・阿部忠秋2



【武州東叡山 東照宮寶前
 慶安四年四月十七日
 従四位下行豊後守阿部朝臣忠秋】


今度は阿部忠秋さんですよ~!
も~、彼らがいかなる人かを知ると、実に豪華キャスト。

ここは奉納された「両基」が並んで置かれてるなあ。
外の大名たちの灯籠は神経衰弱のようにバラバラになってたけどね。
もちろん、往時は大名の奉納による灯籠もきちんと置かれてたんでしょうけど。

今私がいるのは、拝殿の向かって左側の通路。
向かって右側の拝殿脇には松平信綱の灯籠がぽつんと置かれてたし、
今は拝殿に近い場所には上野東照宮建立時にトップだった幕臣たちの灯籠が
置かれているみたいだな。

当時はどういう風に置かれてたかはわからないけど、
この辺の灯籠は大名よりは拝殿に近い場所に置かれていたんじゃないかという
気がする。

まあ、この灯籠を発注した時点での六人衆は、
家光が上野東照宮の落慶を見られないことになるとは
思ってもみなかったかもしれないけどね。

ちなみに、家光の初代六人衆とはこんな顔ぶれです。

・松平信綱
・堀田正盛
・三浦正次(土井利勝の甥)
・阿部忠秋
・太田資宗(太田道灌の子孫との説あり)
・阿部重次


カッコを付けてない方達はこれまでの上野編でちょいちょい名前を出してるので
割愛します。

で、太田資宗さんですが、太田道灌さんの子孫というのはかなり疑わしい説らしいけど、
もひとつ疑わしい親戚に、家康側室の お梶 がいます。
お梶と資宗の父が兄妹だったっていうんだけどね。


ちょっと話がズレるけど、お梶で思い出した。
松平信綱の父・正綱のところで書こうと思ってたのに、
思いっきり忘れてたよ~!
(短編なんか間に挟むからです)

時期がどうもはっきりしないようだけど、お梶は一度、
正綱にお下げ渡しになってるんですよ。

それが何で家康のところに戻ったのか・・・
よく言われるのが、正綱に嫁いだ後に家康の子を身ごもっているのが
わかったからというもの。

その他、お梶が正綱を嫌って家康のもとに逃げ出したという人もいる。
なんかこれじゃ正綱が可哀想だけど、いずれにせよお梶と正綱の結婚生活は
長くは続かなかったらしい。

ただ、いくら家康が側室を沢山抱えていたからといって、
誰もが側室を譲ってもらえた訳でもないだろう。
その点から言っても、正綱は家康から相当目をかけられていたのだろうと思う。


↓ぽちっと応援よろしくね~。
にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ
にほんブログ村





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2014年04月17日 23時26分10秒


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

りりじい

りりじい

カレンダー

コメント新着

王島将春@ Re:浅草&寛永寺法要編(8) 東国の成熟(01/08) はじめまして。福井市在住の王島将春(お…
よー子@ 墓参り2014(2) 慈眼寺~芥川龍之介と小林平八郎の墓(08/02) 前略 初めてお便りします。 質問ですが、…
伊藤友己@ Re:上野第三編(12) 寛永寺105/清水観音堂~越智松平の灯篭(06/20) 越智松平家が気になって詳しく拝見しまし…

サイド自由欄

よみがえる江戸城 [ 平井聖 ] 価格:2916円(税込、送料無料)






PVアクセスランキング にほんブログ村

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: