戦国ジジイ・りりのブログ

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2014年05月18日
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カテゴリ: 江戸めぐり
木遣塚のお隣がこちら↓。


両国・回向院20・慈母観音


ほう、これはなかなか・・・
台座には「慈母観音」とある。
台座の彫刻↓。


両国・回向院25・慈母観音台座



両国・回向院26・慈母観音台座



観音様の周囲には石仏が4体↓。


両国・回向院21・慈母観音



両国・回向院22・慈母観音



両国・回向院23・慈母観音



1つめは寄進者と思われる名前は読めるけど、どなたかわからない。
2つめは摩耗して字がよく読めない。
3つめは欠損している箇所もあって全部は読めないけど、
「正徳五乙未三月十三」と「元禄十一戌●九月二日」の日付が確認できる。
1715年と1698年だな。

最後がこちら↓。


両国・回向院24・慈母観音



頭の盛り具合で瞬間的に 青面金剛様 かと思ったけど、
光背にある名前からすると違ったみたい(笑)。



ひとまず、このエリアはこれで終わりみたいだな。

慈母観音様の脇にはあまり綺麗でない小屋があって、
数人の参詣者が入っていくのを見た。
・・・が、どうも雰囲気的にここ、「お焼き場」っぽいんだよなあ
寺の境内にそんなのあるワケないよな?


本堂前のガラスケースの中にお不動様がおわした↓。


両国・回向院28



憤怒の形相で右手に剣を持っている。
あれ?この左手にあるのって・・・


両国・回向院29



羂索(けんさく)じゃん!!
東大寺のケンちゃん(不空羂索観音像)は「春の寛永寺シリーズ」で
何度も出てきましたが、人々をもれなく救済してくれる慈悲の縄が羂索です。

羂索のことを知ったのが『アシュラブック』だったから、
それまで見たお不動様のすべてが羂索を持っているかなんて
当然見たこともなかったけど、コワい顔して片手には降魔の剣を持ちつつ、
一方では救いも約束して下さる方だったのか~。

ひとつ新しいことを覚えると、見方も色々変わってくるから
面白いなと思った。



さて、道なりに奥へ進むとまずこれが目につく↓。


両国・回向院30



なんじゃ、こりゃ?

実は山門からここへ着くまでの間、なにげに参詣者が歩いていくのを見た。
そのほとんどは小さい子供や小・中学生くらいの子供を連れた家族連れ。
中年の夫婦なんかもいたけど、どう見ても回向院へ来るまでの史跡で会ったような
史跡めぐりの風情じゃない。

墓参りかな・・・
にしても、お彼岸にはまだ早いし、なんでもないフツーの土曜日に
こんなに墓参りに来る人がいるってのもなんか妙だな、と思ってたんだけど、
ここまで来て彼らが何者なのかようやくわかった。

この現代ちっくな塔、どうもペット用のお堂らしいんです。
上の写真にも小さく写ってますが、お塔婆らしきものが並んでたので近寄ってみると、
何列にも分かれて林立するお塔婆にはすべて「愛犬ポチ」とか「愛猫タマ」とか、
とにかくペットの名前が書かれていた。
そして、ここまでで見かけた参詣者はほとんどがこの塔の中へ吸い込まれていく・・・

要するに、墓参は墓参でもペットの墓参りだったようですね。

墓参を終えて帰っていく人たちの中には

「またしばらく会えないね」

なんて話しながら歩いていく人もいて、
もう人間となんら変わるところはないです

うちも長いこと犬と一緒の生活をしているのでお別れはつきものですが、
うちの場合は「お焼き」にしてもらった後、持ち帰ってきて
しばらく置いた後、庭に埋めてます。

でも、マンションとかだったらそういう訳にもいかないだろうしね。

回向院の歴史の解説文はここまでで2種類紹介してますが、
境内には史跡や著名人の墓も多いし、一般用の墓もあるのに、
この日境内で一番賑わっていたのはペット用エリアだったとゆー・・・(笑)。

いくらヒト以外のものも区別なく供養する回向院とはいえ、
時代の流れだなあ~としみじみ思いました。


しかし、ペットを祀るのは何もペットブームの現代に限ったことではありません。
回向院のホームページによると、回向院ができて間もない頃、
時の将軍・家綱の愛馬が死んでしまったので、ここ回向院に葬ることになったんだそうな。

いやあ~、明暦の大火の犠牲者を供養するために造られた無縁寺に、
将軍様の思し召しとはいえ、馬だよ、ウマ!!

当時の感覚からすればものすごく違和感あったんじゃないかと思うんだけど、
無縁寺の住職・ 貞存 はなんと自ら馬頭観世音菩薩像を彫って
新たに建てた馬頭堂にそれを安置し、供養に務めたってんだからオドロキ。
しかも、

 【当院の馬頭観世音菩薩に祈願をこめると、当時最も恐れられた瘧疾(熱病)や
  疱瘡(天然痘)にかからぬといわれ、時代が下るにつれて諸病平癒の霊験顕かな
  観音様として、人々の厚い信仰を集めました。】
  (回向院のホームページより)

だそうな。

今回、その馬頭観音様は拝めなかったけど、先人の訪問記では
上の写真の塔の中にあると書いている人がいた。
ただし、貞存が彫ったという像は焼失してしまったんだそうな。


このお堂の近くにも、また別の犬猫用供養塔がある↓。


両国・回向院32・犬猫供養塔



両国・回向院33・犬猫供養塔



いやあ、手厚いなあ(笑)。

後からふと思ったんだけど、慈母観音様の脇にあった小屋って
もしかしてペット用の「お焼き場」だったのカモ・・・
ペット用のだったら、そんなに場所取らないからね。
けど、こんな場所にそんなものあったら付近から苦情が来るよな


ペットエリアの向かいにあるのがこちら↓。


両国・回向院31・墓碑群



ああ、いかにも古そう・・・
これだな。

解説版があったので見てみたら、明暦の大火供養碑の説明ではなく、
このエリアにある海難供養碑についての説明だった。
全部紹介すると長いので、概略だけ紹介しますね。


●「南無阿弥陀仏」海上溺死群生追福之塔

 文化10年(1813)に菱垣廻船十組問屋が建立。
 正面の名号は増上寺第66世大僧正冠誉の揮毫を碑刻したもの。


●「溺死四十七人墓」

 明治2年(1869)に現千葉県勝浦市沖で沈没した肥後熊本藩
 お雇い蒸気船に乗っていて死亡した260余人のうち、47人を供養したもの。


●「南無阿弥陀仏」勢州白子参州平坂溺死者供養塔

 白子・平坂二港の溺死者のために文化11年(1814)江戸大伝馬町
 太物問屋仲間が建立したもの。


●「紀州大川徳福丸富蔵船溺死人之墓」

 安政4年(1875)紀州大川浦の富蔵船の乗組員7名が遠州相良沖で
 溺死したのを、江戸の廻船問屋や酒問屋などが供養するために建立したもの。


●「勢州白子三州高濱船溺死一切精霊」

 白子・高浜の犠牲者7名を供養するため、寛政元年(1789)三河平坂の
 施主が建立した帆掛船形の碑。


●勢州白子戎屋専吉船溺死者等供養塔

 文政8年(1825)伊豆神津島沖での溺死者のための供養碑。のち、
 天保・安政の遭難者名を追刻。


うおお、溺死者ばっか
供養碑が多いとはいえ、あんまり何でもかんでも手を合わせるもんじゃないと
セキュリティよしおから注意されてるし、これ以外にも横死者の墓が
沢山ありそーだ・・・

とりあえず、ここでのお目当て2つだけを見ることにしよう。
で、明暦の大火の供養塔はどれじゃ?と思ったら、一番前にあった↓。


両国・回向院50・明暦の大火供養塔



碑文からすると、これは大火から20年近く経った
延宝3年(1675)8月25日の建立らしい。
よし、あとひとつだ


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最終更新日  2014年05月18日 23時19分39秒


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