戦国ジジイ・りりのブログ

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2014年06月07日
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カテゴリ: 上野と寛永寺
「松葉りり」2日目。

不便なことは多々ありますが、今回は足の甲の細い骨が1本折れただけで
ふっとい骨が折れたとか大がかりなものじゃないので、
総じて 尾てい骨の骨折 よりは楽かもしれません。

昨日はギプスを作った後で松葉杖の使い方の訓練を受けて、
最初は細かい決まりにウンザリしましたが、さすがにだいぶ慣れてきました。

養生の経過だとか感じたことについては、
最近全然使ってないツイッターでこまごまとついーとしようかとも考えましたが、

ので、そのうちまとめてブログネタにするかもしれません。

学生の頃はそこそこ純文学の類も読みまして、
作家たちのけっこーかなり赤裸々ないわゆる私小説などを読んでは
よく恥ずかしげもなくこんなことネタにするよな~と思いましたが、
わたくしもブログを始めるようになってからは
何でもブログネタにしてるので、自分でもちょっと笑っちゃいます。

「松葉りり」を卒業できたら、ついでにそのまま「大内りり」に改名するのも
いいかな・・・なんて考えてもいます(←相変わらずの大内バカ)。
以上、近況終わり。




上野動物園内の木は少し色づいていた。


上野3・上野動物園




それは歩きながら見ただけだけど、カピバラのお尻は撮った(笑)。
あれ、これホントにカピバラ?
確かそう書いてあったんだけど・・・


上野3・上野動物園・カピバラ



よし、ひとまず動物園のお目当ては済んだぞ


て、都内にまで弁当を持ってくるようになってしまったワタシ・・・
今回で上野山内は制覇できるだろうから、少し先まで足を延ばす予定なので
しっかり食べておかなきゃな。

この後は東照宮と時の鐘に寄って補足の写真を撮りました(写真は第二編で公開済)。
パゴダ付近にあった華灯路↓。


上野3・浮世絵行灯



上野3・浮世絵行灯2



上野3・浮世絵行灯3



上野3・浮世絵行灯4



この付近にはこんなポスターがあった↓。


上野3・寛永寺特別参拝



ほお、根本中堂と霊廟のセットだなんて、なんて豪華メニュー。
詳細は書いてないけど、どうせシングルじゃ受け付けてくれないんだろうな

で、パゴダ入口下から見る光景↓。


上野3・旧参道



春には桜が咲き乱れ、左手に見える広い通りは一大野外宴会場と化すこの場所付近に
はじめ寛永4年(1627)には仁王門が、のち元禄11年(1698)には
大きな山門が建てられました。
そう、ここは南の広小路から入って根本中堂に至る広い参道だったんです。

元禄の山門には、松平肥後守が会津から移した文殊菩薩像がおわしたという。
ゆえに「文殊楼」と呼ばれ、さらに能筆家の輪王寺宮・公弁法親王のお手になる
「吉祥閣」の額が掲げられていたといい、ここからまたの名を「吉祥閣」ともいう。


 【文殊楼の二階の廻廊には正月の16日と7月16日、その他は特別の日のみ、
  庶民が登ることを許され、その日は早朝から群参したことで有名である。】
  (『寛永寺』より。漢数字は戦国ジジイが変換)


今回のわたくしは、この参道は通らず、西側に付けられた小道を進みます。
出たのがこちら↓。(場所は ここ )


上野3・花園稲荷神社


上野公園は昔からなじみがあるとはいえ、そのほとんどは博物館・美術館エリアに限られ、
花見の頃にたまにこの脇の大きな参道を通るぐらいで、
その他はまったくと言っていいほど知らない。

ので、寛永寺に目を付けるまでは、参道からちょっと入ったこんな場所に
こんな神社があるのは知らなかった。
わたくしにとって寛永寺シリーズは「ディスカバー・ウエノ」でもあります。

で、この神社、通りに面してはこんな看板がある↓。


上野3・花園稲荷神社2



2つの神社が一緒になってるのか?
事前の下調べはもちろんしてるけど、何だかよくわからん。
ひとまず、看板の右にある朱の鳥居はもちろん稲荷だろうな。
てことで、まずはそちらから。


 【花園稲荷神社の御縁起

  御祭神  倉稲魂命(うがのみたまのみこと)
       (又の御名は豊受姫命・伊勢外宮の大神)

  大祭   4月11日
  講祭   11月11日
  祭日   毎月11・午の日

  御由緒(いわれ)
  鎮座の年月、由緒は不明ですが往古より此地にあり「穴の稲荷」又は忍岡稲荷と
  云われました。
  承応3年(330年位前)、天海大僧正の高弟晃海僧正が霊夢に感じ廃絶のお社を
  再建して、上野の山の守護神としました。

  この附近より北西一帯が寛永寺のお花畑であったので、明治6年花園稲荷と改名し、
  昭和3年現社殿にお遷ししました。旧社殿の跡は俗称「お穴様」と呼ばれ、晃海僧正
  再建の記が刻まれた岩穴が現存します。安産の神とも云い、特に縁談、金談の願かけに
  いたゞく「白羽の矢」は古来から有名です。】
  (現地解説板より。漢数字は戦国ジジイが変換)


「晃海僧正」は天海の跡を継いで寛永寺の第2代山主となった 公海 のことだろうな。

公海個人については手持ちの資料ではあまり詳しいことはわからなかったんだけど、
つい最近何かを読んでいたはずみで良い血筋のお人だと知った。

公海のパパは公家の花山院忠長。
この方はあの 猪熊事件 にも参加しており、処分を受けて松前に配流になったそうな。
(のち、寛永13年:1636に勅免)

他にも、へえ~ってことを知ったんだけど、何だったっけか・・・
そもそも、何を読んだのかもう忘れているという
次回シリーズまでに探しておかなくっちゃな。


かつての寛永寺の各種絵図には、堂宇などは色々描き込まれているものの、
さすがにお花畑までは描かれていない。

「上野第二編(35)」 で、天海が吉野の桜を取り寄せて植えた話を紹介してますが、
たしか浦井氏は天海の自腹で取り寄せたと書いておられたような・・・
そうして天海が始めた桜の植樹がおそらく後代にも引き継がれ、
江戸期から現在に至るまでの桜の名所・上野が出来上がったものと思われる。

両国編で大川ばたを歩いた時 つい出てきた東京音頭、


チョイト柳はぎーんーざー(ヨイヨイ!)


あの時、両国の昔に思いをはせながらも、そうか、「花は上野」は
つまり寛永寺の桜のことを歌ってるワケだな・・・
なんて思ったものです。

もちろん、東京音頭は江戸期に作られた歌じゃありませんが、
400年近く経った今も、私達は知らず知らずのうちに
天海の遺産を楽しんでることになるんだよな、って改めて思いました。

それで、現在の山内には至るところに桜がありますが、
花園稲荷神社のすぐ近くの大きな参道は桜並木になっていて、
春には多くの花見客で賑わいます。

なので、上野戦争後に並木が整備された可能性もあるけど、
おそらくこの辺りにはそれ以前から桜が植えられていただろうし、
そのあたりをもって「お花畑」と呼んでいた可能性は十分にあるだろうな~と
想像しました。

ホントは、「春の寛永寺」シリーズの翌週に
ここの参道の桜を撮りに来ようと思ってたんだけど、
体調が悪かったのでまた来年にでもチャレンジします。


それから、古くは「忍岡稲荷」と呼ばれていたと解説にありますが、
「忍岡」は上野の古名( 「上野第二編(65)」 参照)。
他にも家康の入府以前からあったとされる神社もすぐ近くにあり、
上野のお山の南西エリアは古くから土地活用がなされていたようです。


それじゃ、現地の紹介に入ります。


上野3・花園稲荷神社6



鳥居脇のライトスタンドは味気ない現代風なので、
そのままスルーしようとしたら


上野3・花園稲荷神社4



【奉納 表千家 藤川宗久】

とある。
お?なら、反対側は裏千家だったりして・・・と思ったら、


上野3・花園稲荷神社5



【奉納 表千家 手塚宗成】

どっちもオモテだった(笑)。
お稲荷様って言えば商売繁盛とかのイメージが強いけど、
ここのは芸事にも強いいわれでもあるのかな?


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最終更新日  2014年06月07日 20時32分43秒


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