戦国ジジイ・りりのブログ

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2014年06月09日
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カテゴリ: 上野と寛永寺
前回の伊藤博文の扁額の掛かる建物の隣に、小さな鳥居がある↓。


上野3・花園稲荷神社47



入口の狛キツネ↓。


上野3・花園稲荷神社49



上野3・花園稲荷神社50



うちの娘さん(小)はキツネに似てまして、「おきつねさん」と呼んでるんですが、
ここのは迫力ある顔してるなあ。

朱の鳥居の先には、建物の脇に小道が付けられている↓。


上野3・花園稲荷神社51



 【穴稲荷

  正しくは忍岡稲荷と云い花園稲荷の旧跡である。左奥のお社は、寛永の始め天海が
  寛永寺を草創の際に忍ヶ岡の狐の住み處(か)を失った事をあわれみ一洞を作り
  その上に祠を建てて祀ったのと云われている。】
  (現地解説板より)


てんかい!?
入口の看板では、公海が夢に見て再建したことになってたけど

それに、天海の創建当時はまだそんなに寺域は広くはなかったし、
寛永寺以前にはおそらく堀家がこのエリアを所有していたと思われるし、
そもそも江戸期以前からこの辺は多少開けていたんじゃないかと思われるので、
なんにしても寛永寺ができたことによってキツネが追い出されたってのは


ただ、花園稲荷神社のある場所は少し地形も複雑になっており、
上野戦争の折には彰義隊の隊士がここに隠れたともいわれる。
で、上の写真の先を曲がったところ↓。


上野3・花園稲荷神社55



おおお、すげえ~。

こんな場所が上野にあったなんて・・・

ここの石組みには、一部「はつった」ような石もある↓。


上野3・花園稲荷神社54


昔からある石組みなのか、角度を変えて色々のぞいてみたけど、
ほとんどが貼られているだけの石っぽかった。
で、穴↓。


上野3・花園稲荷神社57



この場所はひんやりとした空気で、穴の上には明かり取りの窓もあるんだけど、
奥の方はほとんどローソクの明かりだけで、かなりの迫力があります。
一種のパワースポットと言えるかもしれない。

狭いので、人が来たらそれはそれでイヤだけど、
かといって1人でいるのもちょっと怖いぐらいでした。

穴の前におわすおキツネ様↓。


上野3・花園稲荷神社58



ああ、お顔半分が崩れてコワいことになっちゃってますう~!!
しかし、この足元におるのは


上野3・花園稲荷神社59



また、子ギツネちゃん
反対側は


上野3・花園稲荷神社60



ああ、こちらも片側お耳がなくなっちゃってますう~!!
結構古いものなのかな・・・

「穴」のすぐ上や脇の石には、うっすら文字が刻まれていた↓。
摩耗がひどくて、とても読めたもんじゃありませんでしたが、
たぶんこれが前々回の入口の解説にあった公海再建の碑文なんだろうな。


上野3・花園稲荷神社66



「穴」の先には、お社がある↓。


上野3・花園稲荷神社63


なんか、御嶽山の分社みたいな感じだな。
神社の縁起によると、これは古書に「弥左衛門狐」とあるのを
祀ったお社なんだそうな。


穴稲荷を出て、社殿の斜め前にある階段を下りる。
階段の石垣はちょっと変わっていた。


上野3・五條天神社5



ま、明らかに近代に入ってから組まれたもののようだけど、
1つ1つの石には奉納者の名前などが刻まれている。
他にも、紋つきの石なんかもあった↓。


上野3・五條天神社7



石段を降りる途中の正面には、こんな方がいらっしゃるのが見える↓。


上野3・五條天神社



上野3・五條天神社3



降りて正面側から見たところ↓。


上野3・五條天神社11



どうも手水舎らしい。
が・・・


上野3・五條天神社8



上野3・五條天神社9



上野3・五條天神社10



2枚目の写真は、上からぶら下がってる照明。
キレイでオサレなんだけど、ずいぶん穴稲荷と雰囲気違うなあ・・・

して、手水舎の向かいに建つのがこれ↓。


上野3・五條天神社12



 【五條天神社縁起

  御祭神  主神 大己貴命 少彦名命(医・薬祖神)
       相殿 菅原道真命(寛永18年に合祀・約350年前

  御由緒 
  第12代景行天皇の御代、日本武尊が御東征の際、上野の忍岡で薬祖神二柱の
  大神が奇瑞を現し給い難を救われたので、ここに両神をお祀りしたと伝えられ、
  平成22年5月御鎮座1900年大祭が行われる、東都屈指の古社であります。

  江戸初期、社地は神職の瀬川屋敷(上野公園下・旧五條町)に遷り、御創祀に近い
  現地には昭和3年9月に御遷座になりました。

  御祭日  例大祭 5月25日
       医薬祭 毎月10日 病気平癒祈願・無病健康祈願
       月次祭 毎月25日

  特殊神事 宝船の神事1月1日と2日、うそ替えの神事1月25日
       うけらの神事2月節分の日の午後3時

  教養部  弓道・茶道・花道】
  (現地解説板より。漢数字は戦国ジジイが変換)


境内の外にも沿革が書いてあったので、先にそちらを紹介します。

 【景行天皇の御宇、日本武尊東夷征伐のため武尊忍岡を御通行の●大己貴命
  (大国主命)、少彦命二柱の大神の奇瑞を現し給うことあるに依って
  同所に両神を勧請せられたのが当社の創祀であると伝えられる。

  相殿に菅原道真公を祭祀したのは、社名が天神と呼ばれたるにより菅神の
  尊像なくてはとて寛永18年道真公の尊像を造し、天海大僧正並びに
  毘沙門堂公海が開眼供養を修したのであると伝う。

  寛永寺境内拡張のことなどに依り、当時の社地天神山、今の(擂鉢山)より
  暫く当社別当にして連歌師たる瀬川屋敷内(今の五條町)に遷座されていたが
  昭和3年9月22日に統治に御遷座し奉った。当社は古より●薬が祖神として
  尊崇されている。】

また、外の解説版には花園稲荷神社の簡単な解説もあった。

 【創祀不詳 承応3年天海の弟子晃海霊夢に感じ稲荷社廃祀に当社を再興し
  東叡山擁護の霊社となす。】


・・・ふむ、こちらの解説では、花園稲荷は寛永寺の守護神だったと言ってる訳だな。

で、五條天神社の方ですが、1つ目の解説に「東都屈指の古社」とあるように、
尭恵(ぎょうえ:1430~?)の「北国紀行」にも登場しており、
浦井正明氏も『魔都江戸の都市計画』(内藤正敏著)の対談の中で

 【寛永寺ができる前に、すでに間違いなく”摺鉢山”の上に五条天神があった。
  (中略)慶長期(1596~1615)にこの地を、徳川幕府が藤堂と堀と
  津軽の大名三家の下屋敷地に割り当てたときも、五条天神は動いていません。】

と語っておられるので、神話の伝承部分はともかくとして、
確かに古い神社ではあるようです。

古い神社らしく、神事なんかも変わったものがあるしな・・・

「うそ替えの神事」ってのは、1年間につきまくった嘘を
「鷽(うそ)鳥」の人形に託して、新しい「鷽鳥」に受け替えることで罪を滅ぼす・・・
要するに「水に流しちゃう」という意味合いの神事らしい。

何とも日本人らしい神事とゆーか・・・
鷽の人形は、宮司さんによるヒノキの一刀彫らしい。
こけしの鳥バージョンみたいな姿をご想像ください(笑)。

で、「鷽」は天神様とゆかりが深い鳥なので、初天神の日に古い「鷽鳥」の人形を
神前に納めるという、天神様に由来する厄払いなんだそうな。


それから、古い神社では「大祓」をやってるところが多いけど、
五條天神社でも大祓を行っており、その時期には「茅の輪くぐり」ができるらしい。


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最終更新日  2014年06月09日 22時26分40秒


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