戦国ジジイ・りりのブログ

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2014年07月03日
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カテゴリ: 上野と寛永寺
少し歩くと大きな鳥居が見えてきた↓。


上野3・湯島天神116


写真を撮った場所の右手にはもうひとつ入口があった↓。


上野3・湯島天神118


現在ではこの唐門が車の出入口になってるみたいだな。

門の手前には、古い朽ちた木の株↓。
昔からあった木なのかな。


上野3・湯島天神119



で、この門の写真をいくつか。


上野3・湯島天神113



上野3・湯島天神115



木の扉には


上野3・湯島天神120



上野3・湯島天神121



上野3・湯島天神122



ウメ・ウメ・ウシ・ウメ・ウシ・・・
なかなかてってーしてます。 

唐門をくぐったついでに再び中へ。
右手には庭園。小さな滝もあります。


上野3・湯島天神124


左手にはまた菊。



上野3・湯島天神127



菊人形です。
どっかで見たような顔だな・・・と思ったら、


上野3・湯島天神128


なるほど、大河関連か。

こちらは八重のダンナ、ジョー↓。


上野3・湯島天神125


こちらが八重の最初のダンナ、川崎尚之助↓。


上野3・湯島天神129


もう1体、姉ちゃんがいると思ったら


上野3・湯島天神130


こっちも綾瀬だった(笑)。


この菊人形の前には、カメラを持ってリクルートスーツのようなものを着た
若い姉ちゃんがモソモソしていた。
菊人形を撮ってるような撮ってないような、不審な動きをしている。

写真を撮らないんだったら、ジャマだから早くどいてくれ。
撮るならとっとと撮ってどいてくれ。

そう思いながら脇から写真を撮ってたら、声をかけてきた。




・・・と思ったら、話し方が少し変なのでガイジンだったらしい。
たぶん、中国人だな。
しょうがない、ガイジンなら断るのも可哀想だから撮ってやるか・・・

一日一善。
んにゃ、違うな。
不忍でアラブ人に一善した から、これで二善めだ(←キャパ狭すぎ)

カメラを受け取ると、姉ちゃんは慌てて周りを見回して、
はじっこに走っていったと思ったらおもむろに地べたにカバンを放り出した。

突然のことに私があっけに取られていると、
彼女は走って菊人形の前でポーズを取った・・・

わたくしが即座に、 福山城で地べたにカバンを放り出し て、その上
地べたに座り込んでモデル気分で撮影をしていた
チャイナガール3人組を思い浮かべたのは言うまでもありません。
やっぱ、中国人だ

しかも、カメラ越しに見る彼女はぱりっとスーツを着て
モデル立ちで思いっきりカッコ付けている。
舞台裏では、雨で濡れている地べたにカバンが放り出されているというのに。

不親切なこのわたくしが思わず

「カバン、持ってましょうか?」

と言いかけたくらいだから、その衝撃度はなかなかのものでした。
ま、本人がいいと思って置いてるんだからいっか・・・(←やっぱり不親切)

たぶん、国に帰った時に家族や友人に自慢げに見せるんだろうな。
この辺の見栄っ張りはやはり中華の国の人だと思いながらも、
彼女の名誉のために綺麗に撮ってやろうと思いました。

その場で確認できるのがデジカメのいいとこなので、
本人に出来を確認してもらったら、まずまず満足したらしい。
菊人形との記念撮影を終えて去っていく彼女の背中を見送ってから残りを撮影。

こちらが八重の兄・山本覚馬↓。


上野3・湯島天神131



上野3・湯島天神133


よし、今回はこれで終わりにしよう。
境内を突っ切って女坂下付近から見たガケ↓。


上野3・湯島天神135


このまま湯島の駅から電車に乗ればラクなんだけど、
この時間だと座れなさそうだから上野まで戻ることにした。
途中にはこんなものも↓。


上野3・湯島天神136


初詣に来る時は男坂~神社間を往復するだけだから
天神付近をまともに歩いたことはなかったと思うけど、
ひょっとしたらこの辺は多少江戸の名残をとどめてるかもしれないな。


上野駅近くまで戻ったところ↓。
山王台のガケ下あたりかな。


上野3・じゅらく付近


写真に映ってる一帯はすべてかつての寛永寺の寺域。
左側は急なガケになってますが、かつてはここまで急ではなかったようで、
「春の寛永寺(19)」 で両大師近くの屏風坂が往時と地形が変わってると
書いたように、この辺ももう少しなだらかだったと思われます。

少し歩いた先が、上野駅不忍口の駅前↓。


上野3・上野駅広小路口


ここも寛永寺の子院が並んでた場所。
右手のガード下を入っていったところがアメ横ですが、
その辺りの 瀬川屋敷に五條天神社が一時引っ越して ました。
もしかしたらその石碑もあるかもしれないので、そのうち探しに行きます。



さて、2013年7月から翌年の春まで5回に分けて訪問した寛永寺を中心に
上野編および姉妹編を書き続けてきましたが、
8ヵ月にわたった上野シリーズも今回で終了です。

途中の姉妹編では天平の歴バナを挟んだり、両国の歴史なども交えましたが、
それにしても長かった(笑)。

寛永寺を訪問したことで本格的に江戸に目覚めたわたくしですが、
感覚的には本所などの下町の方がなじみやすかった。

理屈じゃないんです。
わたくしの中に一部流れる江戸っ子の血がそうさせるのかもしれないけど、
上野編を書き始めた当初は町人文化に手を出す気はなかったので、
不思議なものです。

そのうち、深川などの下町も攻めると思いますが、
そのエリアは昔バイトで少々通ったことがある程度で満足に知りもしないのに、
行く前から懐かしささえ感じてます。

とは言っても、寛永寺はわたくしの江戸の原点とも言える寺。
同じ徳川の菩提寺でも、先に増上寺へ行っていたら、
あるいはまだ江戸に目覚めていなかったかもしれません。

大寺院だったにも関わらず、寛永寺はわかっていないことも多い。
それでも、江戸の歴史において寛永寺は欠かせない存在。
この先も、江戸めぐりにおいてちょいちょい寛永寺が顔を出すと思われます。


上野編の途中で短編を挟むことについては迷いもありましたが、
今はやはり書いておいてよかったと思ってます。
特に両国編ね。

「上野第二編(19」 で

 【江戸に幕府を開き、日本一の巨大な城を築いてあらたな都となったが、
  京に比べ当然歴史は浅い。そういう町に住む江戸っ子にとっては、
  将軍様と上野の宮様・・・政治と宗教のトップがともに江戸に住んでいるということが、
  何よりも誇りだったらしい。】

と紹介しましたが、江戸の町の3割という限られたエリアに
全国各地から集まってきた町人がひしめいていた。

「本所Wデビュー」を書いて下町の雰囲気を感覚的につかむ中で、
将軍と輪王寺宮を自慢に思う江戸っ子の気持ちが
急にリアルに理解できるようになったんです。

これも理屈じゃありません。
何なんだかは自分でもわかりませんが、上野編を書き始めてから今日までの期間が
わたくしの江戸の出発点になったとだけは言えるでしょう。

さらに、江戸だけじゃなく新しい世界も広がりました。
次のシリーズは時代も場所も飛びますが、これも寛永寺が基になった旅です。

次回シリーズの準備はまだ全然できてません・・・
が、次も頑張りますので、気楽に気長にお付き合いくだされ


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最終更新日  2014年07月03日 22時53分44秒


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