戦国ジジイ・りりのブログ

戦国ジジイ・りりのブログ

2014年07月26日
XML
カテゴリ: 旅日記(近畿)
いやあ、今日も暑かった~。

7月最後の土曜日ですので、狙い通り今日は巣鴨へお墓参りに行ってきたんです。
出かけついでに、良源さんへお礼参りにも行ってきました。

まだ足は完治してないし、この暑さですので
歩きまわるのは極力控えましたが、なかなか充実した1日でした。
ただ、今回(こそ)は早く家を出たものの、朝から相当な暑さだったので
やっぱり夏休みの旅行はやめておいて正解だったかなと思いました。

今日撮った写真は194枚。
行動時間が短かったのでわたくしにしては少ない方ですし、

それに、今日撮ったのはほとんどが過去の記事を書く中で
宿題としたものなので、今日の分の報告は数話でさらっと終わるハズ・・・

ので、本当はさっさとそちらを記事にしてしまいたいのですが、
さすがにここで短編を挟むとブーイングが出そうなので(笑)、
ひとまず今書いてる前置きの分だけは先に終わらせます。


っと、それから、隅田川の花火大会は結局最後まで観ちゃいました。
ホントはほどほどのところで切り上げて夜のお仕事に入るつもりだったのが、
途中で眠くなった母親が花火コンテストの結果を明日教えろと言い残して
寝に行ってしまったので、見届けなければならなくなってしまったのです。

もちろん、コンテストの結果報告を頼まれたからといって
「ごめん、最後まで観なかった~」と言ってしまえばいいんですが、

どうしてだか、皆様にはおわかりでしょう?

そうなんです、両国編を書いて以降、本所が大のお気に入りになったし、
都会の夜景をバックに上がる花火を見ながら
かつて 大川で毎晩のように打ち上げられていたというお江戸の花火 の光景を


TVを見ながら、いやあこれ、来年は会場へ観に行っちゃおうかな~
なんてことまで考えたのですから、歴史を知って愛着を持つと
人間ここまで変わるといういい例です

まあ、動物園に1人で入るのは抵抗なくなったけど
さすがに花火を1人で観るのはちょっとな・・・
相棒でも誘ってみるかな。
たぶんヤツは




って驚くであろう。

さて、それじゃ本文に入ります。



仏教史と言っても専門的でつっこんだ内容を書くつもりはなく、
仏教の流入からの大雑把な流れだけをひとまず紹介したかったので、
中途半端な内容で申し訳ないですが、前置きのさらに前置きは前回の記事で終了です。

その後は聖武天皇の数々の仏教政策により、大きく花が開きました。
たとえ聖武がどういう理由であれだけの造寺・造仏をして
国家経済に重く暗い影を落としたとしても、
沢山のかたちを残したことはまぎれもない事実。

で、再び前置き部分に戻りまして、称徳天皇の愛人2号・道鏡さん。
称徳女帝が新しい愛人を作ったので、愛人1号の藤原仲麻呂は
ボロ雑巾のように捨てられてしまいには殺されてしまったというのが一般的な説。

道鏡さんは巨根の人だったので、称徳女帝はメロメロになり
道鏡は異例の出世を遂げ、道鏡の一族も巨根パワーにあずかって要職に抜擢され、
おごり高ぶった道鏡はついに天皇の位を狙うに至った・・・
おおざっぱに言って、そんな感じで語られます。

ものによっては皇位を狙ったために称徳女帝に毒を盛ったという話まであり、
よくまあこれだけ色んなエピソードを考えつくもんだと感心するぐらい、
悪人エピソードには事欠かない人です。

今回のシリーズを始めるにあたって、いくつかの仏教関係の本や
古代史関係の本なども少し読みましたが、
道鏡愛人説、あるいは皇位を狙った大悪人説が大方を占めると知ってはいたものの、
仏教史のプロとも言うべき方達までもが道鏡に対しかなり辛辣な書き方をしてるのを
実際に読んで、結構ショックを受けました。

ま、わたくしは幸か不幸か、道鏡さんについては
井沢元彦氏の『逆説の日本史』から入ってまして、
昔も今も道鏡さんに関する井沢史観は無理がないと思ってますので、
道鏡擁護派はおそらく少数派でしょうが、愛人1号と同様、
井沢史観をベースに話を進めますのでご了承ください。


道鏡の生年は不明なるも、だいたい700年頃の生まれと思われる。
法相宗の高僧・義淵に師事。
兄弟子にはわたくしが惚れたあの 良弁さん がいる。


「道鏡を知る会」様のホームページによると、正倉院文書で天平19年(747) 1月に
東大寺・良弁僧正の使人として「沙彌道鏡」が登場するんだそうな。
良弁さんは金鍾山房から金光明寺を経てさらに名称変更した「東大寺」の
初代別当だからね。

道鏡は禅行で知られるようになったと言われ、宮中に仕える僧になる。

天平勝宝5年(753)には平城京の北に位置する近江の保良(ほら)宮が
北京と定められる。
その翌年、当時は淳仁天皇に譲位して孝謙上皇となっていた称徳女帝が
保良宮で病気になり、道鏡が看病にあたる。

これがきっかけで2人は恋に落ち、その事を諫言した淳仁天皇に怒って
上皇がクーデターを起こしたといわれる。
で、 平城京に戻って淳仁天皇から実権を奪い返した あとに、
仲麻呂&淳仁の諫言に対する反論と世間一般で解釈されている詔を発したそうで、
海音寺潮五郎の『悪人列伝』によるその訳を井沢氏は紹介している。


 【自分は聖武の譲りを受けて、女ながらも皇位についたのであるが、女であるので、
  今のみかどを立てて早く譲位した。然るに今上(今の天皇のこと)は自分にたいして
  恭敬の礼を欠き、くだらん連中の言うことを真に受けて、自分にたいして言っては
  ならないことを言い、してならないことをした。そんな無礼なことを言わるべき
  自分ではない。(中略)

  しかしながら、こんなに言われるのも、自分の身が至らないからであると反省もし、
  またこれも発菩提心の機縁にもなることと思うから、自分は入道して尼となった。
  しかし、政治については、小事は天皇が行ってもよいが、大事と賞罰のことは
  自分が行う。皆々うけたまわりおけ。】
  (『逆説の日本史3』より)


井沢氏はこれを「名訳」だとしているが、
海音寺氏自身は愛人説の支持者なんだそうな。
愛人説に疑問を持つ井沢氏は、奈良・唐招提寺の執事である遠藤證圓氏の文章を紹介して
通説の突き崩しにかかる。


ちとここで、聖武天皇の時代に戻ります。
天平17年(745)・・・この年は「せんとくん」聖武天皇が
紫香楽を都と定めた年ですが( 「春の寛永寺(16)」 参照)、病にかかって大赦を行った。

9月には畿内の寺と神社で祈祷をさせ、諸国の鷹や鵜を解き放つ放生会を行い、
さらに3800人を出家させた。

 【出家得度させるのは生き物を放つ放生会と同じような功徳のある行いとされてきた。
  そして、いつのころからか、一族の一人でも出家して僧になれば七代にわたって功徳が
  あるともいわれるようになる。

  この天平十七年の三千八百人は『続日本紀』にみられる最大の出家数で、これほど
  多いのはめずらしいが、千人、数百人、数十人の得度はしばしば行われている。
  大仏開眼供養で僧一万人が列したというのも、この大量の得度があったからだ。】
  (『平城京 全史解説』大角修著/学研新書より)

もともと修行中の僧侶予備軍が大量にいたのならいいけど、
どうもそういう訳でもないらしい。
大角氏によると、【行基の弟子や信徒のような私度の者たちを官僧にとりたてることも
あったようだ】という。

「とりあえず、増やしとけ~!!」

ってスタンスじゃ、当然仏教界のレベルは落ちる。
こういう状況を憂えて、法華経か最勝王経を暗唱できるか、作法をマスターしてるか、
3年以上修行したか、などの条件を加えたらどうかという議論も起こる。

そうした中、幾多の苦難をはねのけ、はるばる海を越えて鑑真さんが
受戒の師として日本にやって来た。

歴史ファンの中には、鑑真が来るまでは日本に受戒の制度はなかったと
解釈している人もいるようだけど、そういうことではないらしい。

それまで日本で行われていたのは自誓受戒(じせいじゅかい)と呼ばれるもので、
『平城京 全史解説』によると梵網戒に書かれているものは重いのが十戒、
軽いのが八十戒だそうな。

これが戒律の基本とされたそうで、仏前で誓えばそれでOKというものだったらしい。
梵網戒は鑑真の来日以降、「菩薩戒」と名をあらため、
在家の信者と入門僧用の戒律とされるようになる。

 【それに対して鑑真は、中国律宗の根本とされる四分律による戒律を伝えた。これは
  戒律を四つに分けて説くもので、その第一に比丘(男僧)の二百五十戒、第二に
  比丘尼(尼僧)の三百四十八戒を定めており、それを授けるのに三師七証の儀礼を
  もってした。これを「具足戒(完全な戒)」という。】
  (『平城京 全史解説』より)

「三師七証」は、受戒にあたって師が3人、証人が7人いるというもので、
当然誰でも10人集めればいいってもんでもなく、
きちんとした資格を持つ人が師と証人になる必要があった。

そして、戒律の数も飛躍的にアップする。
なんで女の方が100近くも戒律が多いんだ・・・
男の方が煩悩は多いだろ!と文句のひとつも言いたくなりますが、
ともかくハードルが一気に上がってしまったので国内では反発もあったらしいが、
そもそもこっちからお迎えに行ってるんだから、
全体として仏教界引き締めの方向性にあったものか、
天平勝宝6年(754)9月には正式な受戒の場として東大寺に戒壇院が設けられた。

天平宝字3年(759)には新たに寺を創建し、戒壇も造られる。
これが唐招提寺。
その2年後には筑紫と下野にも戒壇が設置され、
全国の受戒をカバーする体制が整えられる。


↓ぽちりとよろしく~

にほんブログ村





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2014年07月26日 23時50分25秒


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

りりじい

りりじい

カレンダー

コメント新着

王島将春@ Re:浅草&寛永寺法要編(8) 東国の成熟(01/08) はじめまして。福井市在住の王島将春(お…
よー子@ 墓参り2014(2) 慈眼寺~芥川龍之介と小林平八郎の墓(08/02) 前略 初めてお便りします。 質問ですが、…
伊藤友己@ Re:上野第三編(12) 寛永寺105/清水観音堂~越智松平の灯篭(06/20) 越智松平家が気になって詳しく拝見しまし…

サイド自由欄

よみがえる江戸城 [ 平井聖 ] 価格:2916円(税込、送料無料)






PVアクセスランキング にほんブログ村

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: