戦国ジジイ・りりのブログ

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2014年07月25日
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カテゴリ: 旅日記(近畿)
う~ん、なかなか進まないなあ。


そういえば、去年の今頃も福山編を書きたくなくて
ウダウダ雑談入れてたりしてたっけ・・・

いやいや、今回の進みが遅いのはサボってる訳ではなく、
単に忙しいのと記事を書く準備ができていなかっただけです。
過去のシリーズでは毎日のように記事を上げていたので、
今回更新頻度が遅いことに罪悪感のようなものも感じてはいますが、
それなりに頑張ってはおります。


今日も定期レントゲンに行ってきましたが、
予定より1週早まってもうレントゲンで経過を見るのは
とりあえず今日が最後ということになりました。

診察の方が終われば、リハビリへ通うのはやめにしようかと思ってたものの、
あゆみちゃんのレンタル料の労災請求は別口らしくて、
その手続きがあるので来週まで通うことになりそうです。

も~、労災ホントにめんどくさい・・・
それでも治療のためにかかったお金を全額持ってくれるならいいのですが、
もしかしたらあゆみちゃんのレンタル料は自分持ちかもしれん
ホント、ケガなんてするもんじゃないです。

あ、それから明日は隅田川の花火大会らしいですね。

TVで観るだけですが。

鍵屋と玉屋の夢の競演 ・・・はもちろんありませんが、
TVで観られる地域の方はぜひかつての川開きの賑わいを想像しながら
ご覧ください。

去年は開始直後の大雨で異例の中止になっちゃったから、




さて、三宝興隆の詔や十七条の憲法などにより聖徳太子がソフト面をリードし、
蘇我馬子が半島とのつながりをキープして仏教寺院建設のハード面をリードして
日本仏教は着々と国内に浸透していった。
推古朝の終わり頃の調査によると、寺の数は46、僧尼は1385人を数えたという。

しかし、キリスト教なんかの場合、長い迫害の時代を耐え抜いて、
民衆の側からの盛り上がりに推されてついに国教の地位を勝ち取っている。

まあ、例えて言うなら、アルフィーが長い長い下積みの時代を経て
「メリーアン」で爆発的な人気を得たような(←元アルフィーファン)

ところが日本仏教の場合は、公式には王から王へ伝授された「公伝」の形を取るがゆえに、
国家による管理がなされた。

もちろん、出家した僧尼や熱心な信者の間では純粋な信仰がつちかわれ、
真面目に経典の研究なども進んでいったと思われるが、
同じ仏教を受け入れた仲間でも、立場によってその目的というかカラーが違う場合があった。
それは、原産地であるインドからの直輸入ではなく、
お隣の大国を経由した影響が大きいと思われる。

 【中国社会に受容された仏教は、インド仏教とはかなり異なった発展をとげた。
  仏教本来の民族や国家をこえた普遍的性格は変容し、支配者層の特権的地位を保証し
  その権力を維持するための、呪術的宗教としての機能を発揮したのである。
  造寺・造像も国家目的を主とするものに変貌し、国家的な色彩を深めた。】
  (「朝日百科 日本の歴史2」)


この辺は、「春の寛永寺」の天平の歴バナあたりを思い出していただくと
理解しやすいかと思います。( 「春の寛永寺(6)」 以降参照)

聖武天皇夫妻があれほどまでに熱心に造寺・造仏に励んだのは、
純粋な信仰にただ突き動かされたにしては
当時の「身の程」をはるかに超え、「常軌を逸した」レベルなので、
国家鎮護や怨霊対策のイチ手段として仏教を活用したと考える方が
自然じゃないかと私は思うんだよね。

純粋な信仰とは次元を異にするこうした多重構造は、
本シリーズの主役である延暦寺が創建される頃まで、
いや、その後もずっと続いていく。



その他にも、仏教の流入は多方面に様々な影響をもたらした。

まずは神道。

「日本の国は天照大神の子孫が代々治めていく」という
日本神話の大原則がいつ頃から言われ出したのかはわからないけど、
山と豊かな森が多く広がるこの国では、元々自然崇拝があり、
古代国家が出来上がる頃には氏族ごとの信仰があったらしい。

それが、仏教が入ってきたことで刺激を受けて、
神への信仰もより体系立てて整えられていったんじゃないかと
今回いくつかの本を読んで思った。

仏教に対抗して、というよりは、明確に区別するために
もすこし高度な「宗教」へとランクアップしたんじゃないかと思うのだ。

いや、もちろん仏教が入る前から神道的な祭祀とかもあったんだけど、
より洗練されてスマートになったというか・・・
ちょっとうまく言葉にできませんが。


ただ、区別して張り合っただけじゃなく、
そのうち新たな動きも生まれてくる。

 【しかし、仏像をも蕃神(となりのくにのかみ)と受け取る一般の族長層らの
  信仰によって、神々との習合という現象が現れてくる。習合というのは融合とも
  混合とも異なる。神も仏もそれぞれの立場を尊重しながら、相互が日常的に
  提携しあうのである。それはきわめて賢明な文化の受容方法であった。】
  (「朝日百科 日本の歴史2」より)


「神仏習合」の「習合」という言葉について深く考えたことはなかったけど、
外来の文化を受け入れては自分流に造り変えることをし続けてきた
日本ならではの行為なのかもしれない。

神仏習合は次第に進み、聖徳太子よりもう少し後の時代になると、
皇室にゆかりの深い神社にも神宮寺が置かれるようになってくる。


前回紹介した十七条の憲法は、日本古来の原理原則をベースに置きつつ、
仏法のススメと天皇への服従を打ち出している。

中央集権と律令制は大化の改新あたりからかと思ったら、
聖徳太子の頃からすでにその芽が出始めていたらしい。

 【さらに重要なことは、律令制という法治国家への波も、この欽明朝のころから
  倭列島に迫っていたことである。5世紀における政治的統一は部民制を基礎と
  していたが、やがてそれを管理・運用するのに不可欠の機構として官司制が導入され、
  政治体制の整備に向けて一歩踏み出しつつあった。そして欽明朝、蘇我氏の指導の
  もとに吉備の白猪屯倉において、国家の直営方式で渡来の新技術が採用され、
  戸籍が編貫されて課役徴召に役立てられた。そこでは明らかに公地公民制=律令制の
  試行がなされていたのである。】
  (「朝日百科 日本の歴史2」より)


教科書などで上っ面だけの歴史の勉強をしてる分には、
強大な力を持った蘇我氏の専横が次第に目立つようになり、
中大兄・・・のちの天智天皇によって宮廷内で馬子の孫・入鹿が惨殺され、
蘇我氏は滅ぼされた。
蘇我氏は悪いヤツだったから、というような単純な勧善懲悪の図式がイメージされる。

が、蘇我氏、とくに馬子が日本史に果たした役割というのは
思っていたより大きいんだと今回知ったし、
かなり早い段階でその後の日本の方向性を決めるようなファクターが
多く出揃っているのを知って、もっと色々勉強したいと思った。

ま、ここでは古代史が本来の目的ではないので先へ進めましょう。


「無事故で終わった大化の改新」の645年、蘇我宗家は滅ぼされ、
大化の改新が始まる。

 【その八月、「仏法興隆の詔」が下された。先の「三宝興隆の詔」では氏族ごとに
  仏を祀れと布告したが、天皇の国家として仏教を奉じることを宣じたのである。
  この詔は、滅ぼした蘇我氏の崇仏を歴代天皇の意を体したものとして肯定したうえで、
  今後は天皇みずから仏教を奉じると宣じる。そして官の僧尼を統率するために
  十師を任命したのであった。】
  (『日本仏教史入門-基礎史料で読む』より)

ということで、馬子&太子のラインを引き継いで、
より仏教が公的なものとなっていき、国家による管理体制も整えられていく。

ちなみに、大化の改新で蘇我氏はほぼ滅ぼされたようにも言われるけど、
すべて根絶やしにされた訳じゃない。

古代王朝系図(第2ラウンド)


前々回などで使った系図で、「第2ラウンドへ」という箇所がありましたが、
これがその第2ラウンドで、前の系図の続きになります。

これを見てもわかるように、蘇我の血は馬子のひ孫にあたる女性達によって
再び天皇家へと入り込みます。
ただし、そちらの血統は平安へ入る前に皇室から消えてしまいます。

でも、おなじひ孫の娼子によって、藤原氏へとつながるんです。
不比等の子の武智麿(武智麻呂)・房前・宇合の名前は
天平の歴バナ でも出てきましたね。

疫病によってばたばたと死んだ四兄弟のうち、
3人までが蘇我の血をひいております。
その3人はそれぞれ、南家・北家・式家の祖でもあるので、
こちらの系統では蘇我の血はしぶとく権力にからみ続けます


第1ラウンドと第2ラウンドの系図を見て、

「この複雑な姻戚関係、どっかで読んだような?」

って思った方もおられるんじゃないかと思いますが、
娘を皇族に嫁がせて天皇家の外戚としての地位を築いたのは、
まんま 「寄生虫」 藤原氏ののちの手法と同じ。

ちなみに、5世紀頃には葛城氏が同じく天皇家の外戚として
権力を握ったんだそうな。
こういう手法を用いたのは葛城氏・蘇我氏・藤原氏のみらしい。

蘇我氏が滅ぼされたのは、あまりに強大になりすぎて
天皇への集権化を目指す中大兄たちに邪魔者にされたのが
理由のひとつじゃないかと思うけど、
その血を引きつつも蘇我宗家が滅ぶのを見てきた藤原氏は、
それを教訓として「寄生虫」手段をより万全なものとし、
その後長く続く繁栄の基礎を築いた。

仏教の興隆、次世代で形となる天皇中心の政治体制と律令制、
そして「寄生虫」手法。

初期古代国家から次第に発展していく中で、
のちの日本をかたち造っていく様々な要素を蘇我氏が握っていたことは、
古代史ファン以外にはあまり知られていないかもしれない。



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最終更新日  2014年07月25日 23時08分57秒


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