戦国ジジイ・りりのブログ

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2014年08月07日
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カテゴリ: 江戸めぐり
は~、連日暑い・・・

西と北は雨で大変なことになっているのに、関東は猛暑
涼しくなるまで、家に引きこもっていたいくらいです。
日本がこんなに暑くてよいものでしょうか・・・


さて、本妙寺の本因坊墓所もラストランです。
今回も【】内はウィキペディアからです。


巣鴨・本妙寺12・本因坊秀栄の墓



  本因坊秀榮墓

十七世・十九世の秀栄(しゅうえい:1852~1907)。

この方も複雑な遍歴を持つ。

ウィキペディアでの書き出しは【江戸本所相生町の本因坊邸に生まれる】ということから
始まる。
この「相生町の本因坊邸」は 両国編で私が訪問した屋敷跡 のことだよな。

てことは、やっぱり前々回の秀和の紹介の中で出てきた屋敷も
両国の屋敷跡にあったもののことを指してる訳だな。
あの屋敷跡の最後は借家にした後に火事になって
秀和らは倉庫で雨露をしのいだというものだったんだ。
ちょっと切ないけど、それも時代の流れじゃな。

10歳の時、囲碁4家元のひとつである林家へ養子に行き林秀栄を名乗る。

江戸期を通じて弱小勢力であった】そうな。

明治に入り、十五世・秀悦らと研究会「六人会」を発足させるが、
前回出てきた秀甫(のちの十八世)が各地を遊び回って・・・
いへ、遍歴してた頃には行動を共にした。

明治12年に囲碁研究会・方円社ができるとこれに参加するようになるが、

方円社と村瀬秀甫に対抗するようになった。】

秀甫はこの時、方円社に残ったのか・・・
家元になれなかったから、新しい囲碁界の方向性を求めていたのかもしれないな。

家元制支持者の脱会メンバーは共謀して、自分とこの門下生で
方円社の社員になっていた者の段位を剥奪したとあるから、
なかなか激しい。


巣鴨・本妙寺13・本因坊秀元の墓



都合により、次の墓もまとめて紹介します。


  本因坊秀元墓

こちらが十六・二十世の秀元(しゅうげん:1854~1917)で
十四世・秀和の三男。
つまり秀栄とは兄弟です。

前回、精神を病んだ十五世・秀悦を紹介してますが、これが秀和の長男で、
秀和の子は秀悦・秀栄・秀元と続く訳です。

秀悦が精神疾患に陥ったあと、秀栄と秀元の兄弟は実力のあった秀甫を
次の当主にしようとしたらしい。
しかし仲介者の反対などにあったため秀甫の相続はならず、
秀元が後を継いで十六世となった。
【この時に秀元は三段であり、本因坊家の歴史上でも低段の当主として、
鼎の軽重を問われるとも言われた。】

秀元も兄と同じく方円社に参加したが、兄とともに脱退。
それでも、時代の流れのゆえか方円社は赤マル急上昇、
対して家元たちは落ちぶれ気味だったので、挽回を図るため
秀栄は養家の林家を廃絶させて本因坊に復帰、秀元は十六世を引退し
秀栄が十七世となる。

明治19年(1886)に本因坊と方円社は和解するが、
この時の仲介者が土佐の後藤象二郎だってんだから、オドロキ・・・
象二郎はそんなことまでやってたのか

めでたく和解となったので、晴れて秀甫を十八世に迎えたものの、
前回の最後の通り秀甫はすぐ死亡。
秀栄が再び本因坊当主となって十九世を継ぐ。
【これ以後本因坊門と方円社は分離する。】


秀栄は明治四十年(1907)55歳で死去。
流行感冒だったという。
ウィキペディアには【法名日達、本郷丸山本妙寺に葬られる】とある・・・

あれ?本郷丸山?
現在地じゃなくて?

ここ本妙寺が明暦の大火の火元であるとの噂は初回の本妙寺訪問記でも紹介してますが、
大火後に巣鴨へ移転してきたのかと思い込んでたけど、
あらためて調べてみると明治43(1910)の移転らしい。

そうか、ここまでの墓碑でなんで連名になってるのがあるんだろう?と思ってきたけど、
移転の際の墓地の改葬で若干コンパクトにまとめたのかもしれないな。
墓石の建立年代まで見てないからはっきりとはわからないけど。

でも、歴代家元の中には本妙寺以外にも墓所を持ってる方もおられるようだから、
供養墓だったら合葬しても差し支えなさそうだもんね。

秀栄・秀元の墓はこれまでとは違って現代的なお墓。
これは時代の流れからいって当然ですが、
連名にした先代たちの墓は古いタイプ。

改葬の際に墓を整理したとしても、形式だけは古いものを踏襲したものか。
ただ、江戸期に亡くなった方達の墓石は古いんだよなあ・・・
あるいは、古い墓石の表面だけを削り取って新たに名前を刻み直したとか?
そんなことするかなあ・・・


で、家元相続劇はまだ続きます。

秀栄は後継者を指名せずに死んだ。
歴代の墓の最初に最後の家元・秀哉を紹介してますが、
秀哉を嫌ってたとされるのが秀栄。

が、周囲は実力のある秀哉に期待をかけていた。
そこで、秀元がふたたび家元を継いで二十世となり、
秀栄の一周忌を待って秀哉を二十一世とすることで後継者問題にケリをつけた。


ふう~、似たような名前が沢山出てきて皆様もお疲れでしょうが、
ひとまず本因坊当主の墓はここまでです。
本妙寺にあるのは、四世・道策以降の墓なのでね。

本因坊エリアにはこれまでご紹介した以外にもいくつかの墓がありますが、
略図にある当主の墓以外は見てません。
・・・が、最後の秀元の墓の隣にある割に新しい墓石にふと目が行きました↓。


巣鴨・本妙寺14・本因坊エリア



なんでこんな場所に、一般のおうちの墓があるんだろう?

しかし、略歴をウィキペディアから写している中で気がついたのですが、
十四世・秀和は土屋家の出身なのだ。
当然その子供たちも土屋が本名であり、秀栄が秀甫に家督を譲ったあとは
「土屋秀栄」を名乗っている。

本妙寺が東大そばの本郷丸山から巣鴨へ移転してきたのは、
十九世・秀栄が死んだ後の話で、その次を弟の秀元が継いでいるから、
墓地の改葬の中心となったのは土屋氏という可能性もあるよな・・・

本因坊と全く関係のない「土屋さん」のお墓とは思えないので、
そんな風な想像をしてみました。



さて、今度は本堂の脇へ向かいます。


巣鴨・本妙寺15・明暦の大火供養塔



これは 「プチ巣鴨編(3)」 でも紹介してますが、
明暦の大火関連です。

まあホント、過去の記事を読み返すと懐かしさがこみあげてくるけど、
あの頃のわたくしは(まだ)火事に食いつくということはなかった。

そもそも、セキュリティよしおに

「無縁仏とかは何でもかんでも手を合わせるもんじゃない」

と教えられていたし、お堂の脇の隅っちょにあるこの仏像なんかも
ご覧の通り古くてなんか怖いように思ったので、ぱぱっと写真を撮って
記事を書く段になってウィキペディアで明暦の大火とは何ぞや?と
軽く調べただけだった。

しかし、当時より少しは大火の実際も知ったし、色々な興味も出てきたので、
もう一度よく見てこようと思ったのです。


この像の台座には、何やら漢文が刻まれている。
が、摩耗がひどいし日付らしきものは見えない。
まあ、大火からまもなく造られたものだとは思うけど。

その隣にあるのが


巣鴨・本妙寺16・明暦の大火供養塔


  一業所感焼死群類無
  妙法蓮華経
  干時明暦三丁酉正月一八九日


・・・ああ、間違いなく明暦の大火の供養碑だ。
仏像の裏にはお塔婆がささってたので、裏へ回ってみました。


巣鴨・本妙寺17・明暦の大火供養塔


タタミの上で安らかに亡くなった一般人に捧げるお塔婆とは
明らかに異なる語句が並んでいるので、
全文写せるように写真を撮ってはきましたが、そこまでするとよしおに

「(鈍感なのをいいことに)そこまですんな!!」

と怒られそうな気もしてきたので、断片のみご紹介します(笑)。

    除熱得清涼
    一切天人皆応供養
    如従飢国来忽遇大王膳

こんな語句が入ってます。
もう、いかにも~って感じです。

で、ここにささってるお塔婆の日付は、どれも平成20年代のもの。
てことは、今でも毎年のように法要をしてるってことだな・・・
しかしなあ、ちょっと不思議な気もするな。

公儀のお声がかりで公式に引き取り手のいない犠牲者の供養をしたのは、
本所回向院( 「本所Wデビュー(19)」 参照)。

江戸期には、回向院以外でも大火の犠牲者の法要は行われただろう。
ちょうど、東日本大震災でも全国各地の寺院で追悼の法要が行われたようにね。
本妙寺が火元じゃなかったとしても、本郷周辺の被害は大きかったから、
本妙寺でも法要が行われたのは自然な流れだと思う。

けど、本妙寺では今も新しいお塔婆が立っている。
回向院の供養碑にはなかったのに。( 「本所Wデビュー(23)」 参照)
もちろん、そもそも回向院は明暦の大火の供養のために創建された寺だから
お塔婆が外に立ってなくても、今でも法要は行われているのだろう。
それは当然っちゃ当然だけど、本妙寺まで400年近く経った今も
こうして法要を営んだ形跡が見受けられる。
ちょっとこれって不思議じゃない?

まあ、近年になって法要が復活したって可能性もあるけど、
出火と無関係だったらここまでするかな?って気がしたんだよね。

両国編でも書いた通り、本妙寺が阿部忠秋の身代わりを引き受けたという説は
私は懐疑的なんだけど、あれだけの被害を生んだ割には大きなお咎めはないし、
僻地に移転させられた訳でもないし、加えてこの平成の世でも営まれる
犠牲者のための法要。

いくら考えたところで大火の真相はわかりようもないけど、
やっぱり本妙寺も何かしらの関わりがあったのかな~と
このお塔婆を見て思いました。



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最終更新日  2015年04月06日 10時09分00秒


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