戦国ジジイ・りりのブログ

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2014年10月12日
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カテゴリ: 旅日記(近畿)
ハッハッハ~!
だけ でついに50話突破~!!

ましゃかと思ってたけど、ホントに行っちゃいましたね~。
歴バナを一旦どこで終わらせるかはいちおうの予定は立ててますが、
政治向きの話と絡めるとなると一気に書いてしまった方がいいと思われるので、
もうしばらくこの方式で進めます。

今月中くらいに歴バナを終わらせられればいいのですが、
1話書くのにかなり時間がかかっていて、最近更新頻度が落ちてるからな・・・



この歌と薬師仏造像、比叡山寺創建は3点セットになってますが、この歌の最も早い採録は
『和漢朗詠集』で、それを読んだ源俊頼による『俊頼髄脳』という書では

 【「これは、比叡の山を末まで事なくあるべきよしを、詠ませ給えるなり」と述べている。
  源俊頼のこの論を読むかぎり、そこには、中堂を建立するために材木を取りに杣山に
  入り立ったという趣は、まったくない。(中略)だが、「わが立つ杣」の歌は、
  「この上もなくすぐれ、正しく平等円満な仏たちよ、わたしがいる杣山に加護をお与え
  ください」と解釈して、仏たちが比叡山で草創した天台宗を行末ながく守ってほしいと
  いう願いをこめた詠歌として理解することもできる。したがって、かならずしも、延暦
  七年の年時を伝える中堂の建立と結びつける必要はないであろう。】
  (『若き日の最澄とその時代』)

つまり佐伯氏によると、一般的に延暦7年のものとして有名な3点セットの時期については

さしかかっているとは言えるでしょう。

中央政界の方でもすでにその兆しはあるものの、大問題が浮上してくるのはこれから。
大規模蝦夷征伐も控え、俗世が混乱の頂点に達しようとする時期に
叡山の小さなハスが大きく成長していこうとしているのは
まさに歴史のドラマでありますが、実はこの年、もうひとつのドラマが


そのドラマの主役が、最澄と並ぶ日本仏教の2大カリスマの片割れ、佐伯眞魚(まお)・・・
のちの弘法大師・空海です。
14歳の眞魚はこの年、生まれ故郷の讃岐から平城京へ出てきて、
同族の佐伯今毛人の建てた氏寺へ入って勉強を始めたようです。

ま~、最澄と空海っつったら、野球界でいえば星君と花形君、
テニス界でいえばお牒夫人と岡ひろみ・・・

「ジジイ、例えが古いよ!!」

と笑われようと、かまへんかまへん

永遠のライバルである2人ですが、この場合、最澄が花形君でありお牒夫人だろうな。
花形君・・・いへ、最澄はこの年22歳。
8歳の開きがある2人ですが、もし最澄がもそっと遅く生まれてたら
2人は奈良の(もと)都で初顔合わせを果たしていたかもしれん・・・
とどれだけの歴史ファンが妄想したかしれませんが、
あるいは最澄が遅く生まれていたら、彼は仏教界のカリスマにはなれなかったんじゃないか・・
個人的にはそんな気もします。


50話突破でさらに開き直った訳じゃありませんが、
『朝日百科 日本の歴史3』に面白い記述を見つけたのでついでにちとご紹介しちゃお。

空海が30歳頃になるまでの経歴については詳しいことはわかってないみたいですが、
有名な伝説があります。

 【ところでこの時期、一沙門より「虚空蔵求聞持法」を授かったことはよく知られる
  ところである。『三教指帰』の序文には、空海が阿波の大瀧岳(現在の太竜寺山付近)や
  土佐の室戸岬などで求聞持法を修ましたことが記され、とくに室戸岬の御厨人窟で修行を
  しているとき、口に明星が飛び込んできたと記されている。このとき空海は悟りを開いたと
  いわれ、当時の御厨人窟は海岸線が今よりも上にあり、洞窟の中で空海が目にしていたのは
  空と海だけであったため、空海と名乗ったと伝わっている。】
  (ウィキペディアより)

「求聞持法」(ぐもんじほう)とは何か?

 【都の大寺で研鑽を積む学僧にとっても、山は大切な場であり、彼等はしばしば山に入って
  宗教的なエネルギーを補給した。特に比蘇山寺では虚空蔵求聞持法という修法が多くの 
  僧により行われた。これを行えば抜群の記憶力が得られるというので、万巻の経典に
  通じなければならぬ学僧たちは、熱心にこれにいそしんだ。こうして得られた能力は
  「自然智」(じねんち)と呼ばれた。若き日の空海も、一人の沙門から一切の経典を
  暗記できると教えられ、阿波や土佐の深山でこの修法を行ったという。】
  (『朝日百科 日本の歴史3』より)

ほお、抜群の記憶力が得られる修法とな!?

ま、皆様もやってみればわかりますが、実際お経を覚えるというのは大変です。
お経の暗記に割ける時間は1日のうちでごくわずかなものであり、
わたくしの記憶装置がイカれ始めていることも原因のひとつではあるでしょうが、
少し前の記事でやっと法華経のひとつを覚えたと報告したものの、
まだ文節のつながりにひっかかる箇所があり、これを無意識によどみなく
言えるようになるまでは完璧とは言えませんので、いまだ次のお経へ進めません。

ので、少しでも暗記に有利になる方法があるのであれば
飛びつきたくなるお坊さんの気持ちはよくわかりますし、
あわよくばわたくしもおこぼれにあやかりたいもんだとちょっとネットで調べたところ、
なんだかとんでもない修行法のようです。

一口に言うと、虚空蔵菩薩様の真言を唱え続けるようなんですが、
回数がハンパない。

まずは「オン・バザラ・アラタンノウ・オン・タラク・ソワカ 」と1回唱える。
その後で「ノウボウ・アキャシャ・ギャラバヤ・オン・アリ・キャマリ・ボリ・ソワカ」
という真言を 100万回 唱える。
1日に、ですよ。
さらにこれを100日続けることにより、抜群の記憶力の獲得のみならず、
経典の理解もでき、仏の智恵をがっつりゲットできるという
トンデモな秘法だそうなんです。

ですが、ネットで見た中でこれを現実的に計算した方がおられて、
それによると1日に100万回唱えるには1秒間に11.57回真言を唱えなければ
ならない計算なんだそうな。



1日7時間続行する計算だと1日1万回ぐらいは行くそうですが、フツーの人にはまず無理。
実際、その方も実行してみたそうですが、やってるうちに
「ムダなことをしてるんじゃなかろーか」という疑念がまず浮かんだそうです。

じゃあ、比蘇寺で頑張ったという修行僧たちは無駄なことをやっていたのかというと、
あながちそういう訳でもないらしいんだな。

ヨガなどではチャクラがどーのと言いますが、真言によってチャクラを刺激して
気の流れによって活性化する、というような現実的な効果もあるにはあるようです。

ので、無理のない範囲で1日に少しずつ、継続して行う分には
それなりの効果も得られるようですが、ただひたすら膨大な真言を唱えたからといって
誰しもが空海のようになれる訳じゃないみたいです。
そもそも物理的に無理だし。


比蘇寺には最澄の師の師である道センが晩年こもったと何度か書いてますね。
比蘇寺に入ったあとで道センは願文を書いているらしいので、
叡山にこもった最澄が願文を書いたことは道センの影響を受けている可能性もある、
とこれは佐伯氏のお説ですが、最澄が比蘇寺に行ったことがあるかどうかはわからない。
ところが、上のウィキペディアの空海の文章の続きには

 【求聞持法を空海に伝えた一沙門とは、旧来の通説では勤操とされていたが、現在では
  大安寺の戒明ではないかといわれている。戒明は空海と同じ讃岐の出身で、その後
  空海が重要視した『釈摩訶衍論』の請来者である。】

とある。

ほほう~、大安寺の僧とな?
それなら最澄とも現実的な接点が出てくるよな。

最澄が虚空蔵求聞持法を活用したかはわかりませんが、
大安寺にも伝わってたのなら、あるいは最澄もトライしたかもしれない。
なんにせよ、当時の修行僧の涙ぐましい努力がちょっと微笑ましく感じられる
エピソードでした。

あ、虚空蔵求聞持法の実際は上のように真言を唱え続けるという単純なもので
やろうと思えばこの瞬間からでもできますが、
シロートがやみくもにやると危険な場合もあるようですので、
やってみたい方はご自分できちんと調べてからトライしてくださいね。
わたくしは忙しいので、求聞持法の実践までとても手が回りませんが。


ええと、文字数が残り少なくなっちゃったな。
延暦8年の流れは次回に回すとして、ついでにもひとつ『朝日百科 日本の歴史3』から
当時の背景に関するお説を紹介しましょう。

しつこいようですが、最澄だって時代の子。
当時の状況を理解することは、最澄を理解するのに必要なことだと思うからです。
奈良時代以前の仏教の実際については詳しいことはわかってないようで、
色々な解釈もあるようですが、少しでも紹介することで皆様が通説だけを
うのみにするんじゃなく、自由に時代のイメージを描いていただきたいと
わたくしは考えます。

 【仏教が、色も鮮やかに荘厳された金色の仏像、高く聳える瓦葺きの堂塔に象徴される
  先進文化として受容された時代には、僧たちも新しい知識や技術を身につけることに
  専念し、専門家として活動したが、最初の伝来から二世紀が過ぎ、仏教に対する
  理解が深まると、仏教本来の教えに目覚めて、世俗の権力に仕えて祈祷に明け暮れる
  大寺院の仏教に疑問を抱き、世俗を超えた価値を求めて、山林修行に憧れる僧が
  増加しはじめたのは自然の成り行きであった。(中略)

  仏教が山岳信仰と深い関係を持つようになるのは、仏教が外来文化としてではなく、
  信仰の面で日本人の生活と結び付くようになったことのあらわれである。】

ふうん、なるほどね・・・

ただ、中国においてインドなどのガイジンの僧が訳経に大きな役割を果たしたように、
伝来からの時間の経過によって自然発生的に本来の教えに目覚めたというよりは、
渡来僧の果たした役割というのが実はものすごく大きいんじゃないかと
個人的には思うんだよなあ。

研究の分野ではもちろん渡来僧についても色々議論されてますが、
一般的な説明でガイジンが顔を出すのはせいぜい鑑真が戒壇を造ったということぐらいで
ちょっとお気の毒な扱い。

でも最澄1人を取ってみても、鑑真や法進が天台経疏を持ちこまなかったら
最澄は日本天台宗の祖にはならなかったかもしれないし、
日本天台宗の幕開けの時期はもっと遅かったか、ヘタしたら誕生すらしなかったかもしれない。
天台宗がなかったら、いわゆる鎌倉新仏教もどういう発展をしたかわからない。

そう考えると、広く知られてはいなくても渡来僧の存在というのは
日本仏教の発展に欠かせないものであったと言えると思う。

最後の一文は興味深いですね。
日本人は古来から外来の文化を取り入れてはそれを造り変えて
自分達のものにしてきたけど、土着の山岳信仰とミックスすることで
仏教を日本ナイズしてきたってカンジなのかな。

詳しくわかってないことは歯がゆい面もありますが、
あれこれと想像するのは楽しい作業でもあります。


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最終更新日  2014年10月12日 23時22分40秒


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