戦国ジジイ・りりのブログ

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2014年10月13日
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カテゴリ: 旅日記(近畿)
え~、台風の動きが気になるところですが、
少し雨風が強くなってきたものの、今のところこちらはさほどではありません。

成田が近いのでうちの上空はよくヒコーキが飛んでますが、
こんな中でも轟音を立てながらヒコーキ飛んでます。
機内はさぞ揺れておることじゃろう・・・
さぞ怖かろう・・・ふふふ・・・(わたくしの恐怖体験は こちら )

台風の時に気になるのが、動物園の動物さんたち。
細かくケージで仕切られてる鳥さんなんかはがっしりした建物はないと思うんだけど、


動物園といえば、先日マツキヨでこんな商品を見つけました↓。


ゴリララーメン


「京都市動物園ラーメン醤油」。
そういえば、こんなの前にTVで見たことがあるような・・・

商品棚にはたしかに「上野動物園ラーメン」のタグが付いてたのに、
並んでたのはすべて京都市動物園のだった。
パッケージの裏に【この商品の売り上げの一部は京都市動物園のえさ代として寄付されます】
とあるので、仕方なくこれだけゲットしてきたけど、
首都圏なら上野動物園のをちゃんと置くべきじゃ・・・

て、今気が付いたんだけど、もう賞味期限切れとるし
生タイプ麺じゃなさそうだけど、市販のラーメンより賞味期限が短いようなので




●延暦8年(789)


2月27日、新内裏が完成し、この日天皇は西宮から東宮に移った。
3月9日、陸奥・多賀城に兵が集結し、作戦開始。
3月10日、蝦夷征討の報告に伊勢神宮へ幣帛を捧げる。

4月、伊賀で飢饉。
4月13日、鈴鹿・不破などの関ではこれまで重要な事件の報告の文書を関の役人が
見る慣例があったが、今後はたやすく箱を開けさせないようにする。
4月14日、美濃・尾張・三河などでは昨年の不作で飢える者が多かったので、
米倉を開かせ安い時の値段で分け与える措置を取る。

5月、安房・紀伊などで飢饉。
5月12日、征討軍へ向けて勅。先月初めの奏上では、3月末に衣川を渡って陣を置いたと
あったが、いまだ衣川付近から前進していないのはどういう訳か。行軍には機敏さが
重要であり、ぐずぐずしていると6・7月の最も暑い時期を迎えて機会を逸してしまう。
あとから悔いても何も始まらないので、臨機応変に対応するように。
また、1ヶ月も同じところに留まって兵糧を食い潰すのには疑問があるので、留まる理由と
賊軍の様子を詳しく文書で報告せよとの指示を出す。

5月15日、貢納の使者として国司が入京した際、貢納品に不備があれば給与を没収する
という取り決めを怖れ、国司が入京を嫌がる事態が起きている。今後、こうした者の
処罰についても厳しく対処するとの勅を出す。
5月18日、本来、令では良民と賎民の結婚は禁じられているが、近年ではこれを犯す者が
多く、良民と賎民の間に生まれた子は賎民とされたり、公民の子であるのに奴婢とされたり
してあえいでいる者が多い。よって今後は良民の子は良民とするよう定める。

5月26日、征東副将軍・佐伯葛城が遠征の途中で死んだので、正五位下を追贈する。
6月3日、 征東将軍・紀古佐美から大敗の知らせが届く。 官軍側での戦死者:25名、
矢傷を負った者:245名、川に飛び込んで溺死した者:1036名、裸で泳ぎ着いた者:
1257名。
6月9日、紀古佐美から、補給線が伸びてヤバイので現地で討議の結果、軍を解散させると
報告あり。桓武激怒。

7月、伊勢・志摩・下野・美作・備後で飢饉。
7月7日、美作女王と藤原春蓮が死去。
7月14日、鈴鹿・不破・愛発(あらち)の三国の関を廃止。 
7月17日、陸奥からの書状による報告と現状の矛盾がありすぎるので、報告は虚飾だとし、
戦勝報告をするなら賊を平定し功を遂げたあとに報告すべきだとして紀古佐美らに
激怒の勅を送る。
7月25日、命婦・藤原教貴が死去。

8月1日、長岡京の工事に携わる者に功と地位にしたがって位階・物を授ける。
8月30日、征夷に従軍した陸奥国の人民の今年の田租を免除し、向こう2年間
租税の負担を免除する。
9月8日、紀古佐美が帰京。節刀を返上する。
9月19日、敗戦の責任問題を追及。
右大臣・藤原是公(南家)が死去。 享年62歳。

10月17日、帰化人の子孫の高倉福信が死去。
10月29日、命婦・大原室子が死去。
12月22日、参議・多治比長野が死去。

12月23日、「思うところあって」来年の新年の祝賀を取りやめる。
また、皇太后・高野新笠が病気になって10日経つが、治療の効果が現われない。このため、
畿内と七道諸国の寺に7日間「大般若経」を読むよう勅を出す。
12月28日、 高野新笠死去。 享年は70歳ぐらい。
12月29日、皇太后の葬儀や埋葬の任にあたる者を選出。左右京と畿内5ヶ国および
近江・丹波など周辺諸国から人夫を徴発。



最澄の記事の雰囲気とは実に対照的な俗世間の流れです。
この年、最澄に関する特段のニュースはありませんが、
叡山で感涙の涙なぞ流しながら天台経疏を読みふけっていたかもしれません。

俗世の動きを見るに、偶然にせよ最澄があのタイミングで山ごもりしたことは

とはいっても、蝦夷征伐に東山道から兵が徴発されているので、
近江の兵が戦傷者に混ざっていた可能性もあり、

 【後年、最澄はしきりに「東夷北首(降服)し、帰徳を先年に知れり」とか、
  「両蕃、化に帰す」とか述べて蝦夷の帰伏したことの「慶び」を強調している。
  それは、延暦八年次の敗北によって受けた衝撃の裏返しの気持ちの表現であったで
  あろう。】
  (『若き日の最澄とその時代』より。「」内の出典は割愛)

と佐伯氏は語る。
大ニュースぐらいは叡山にも届いて最澄も心を痛めたかもしれない。

空海はこの年、桓武の息子・伊予親王の家庭教師を務めた叔父の阿刀大足
(あとのおおたり)に付いて引き続き勉強中です。


藤原氏系図



でその蝦夷征伐ですが、や~見事な惨敗ッス。
一時は首領・アテルイの近くまで行って合戦になったらしいんだけど挟撃されて、
戦死者より溺死者の方が圧倒的に多いあたり、ほうほうの体で逃げ帰ってきた様子が
うかがわれます。

さらに桓武を激怒させたのが6月9日の報告で、
現地サイドとしては長岡からの指示を待ってるといたずらに出費を増やすだけなので
現地の判断で軍を解散させたようなんだけど、桓武としては
それまでの威勢のいい報告とあまりに違いすぎるので怒りは募る一方・・・

まあ、地の利は当然相手側にある訳だし、補給線も伸びきっていたようなので
しょうがないっちゃ~しょうがないよな。
アテルイ、頑張れ


前年はギリ田植えに間に合ったものの、結局この年は飢饉が起きてますね。
ここ数年、なかったんだけどね。

訃報については、これまでも官人や皇族などの記事もあるにはあったんだけど、
この年後半部はとりあえず全部ここに載せました。

まずは9月19日、南家の藤原是公ですが、この人は早良親王とともに
長岡で留守居をしてたんだよね。
もし早良親王が直接種継事件に関与しておらず、留守居の責任を問われたんだとしたら、
是公にも処分を下すべきでした。
が、是公の責任は問われず、事件から4年後のこの年、死亡。

その他の宮廷人にも訃報が相次ぎ、年末には桓武の母が病に倒れる。
「大般若経」の霊験を頼みとするも、7日間の読経が終わらぬうちに
新笠も死亡。

是公も新笠もそれなりのお年ではあるけど、桓武にとっては悲しい出来事だった。

12月23日に翌年の祝賀を取りやめるとしたのは、
新笠がすでに闘病中だったことが大きいとは思うけど、
ここまでのところで「思うことあって」何かを決める時ってのは
たいてい「後ろめたい何か」を思わせることが多かったので、
桓武が新笠の病気の裏に「なにか」を感じていた可能性もある。


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最終更新日  2014年10月22日 23時38分04秒


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