戦国ジジイ・りりのブログ

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2014年11月25日
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カテゴリ: 江戸めぐり
公園の中に入ってみると、意外に広い。

入ってすぐの場所からぐるりと回転して動画に収めました。



現在はジョギングルートもある庶民が憩う場所なので、
妙な遊具などが置かれてるのは致し方ありません。
動画の中頃で奥の方に小高くなってる場所がありますが、思わず

「土塁・・・」

とこみ上げる笑いをこらえながら360°回りました。
それじゃ、奥へ進みましょう。


高野山出稼ぎ・長門毛利下屋敷跡10



庭園の雰囲気を遺すいい造り。
少し進むとこんなのもあります↓。


高野山出稼ぎ・長門毛利下屋敷跡11



高野山出稼ぎ・長門毛利下屋敷跡13


アラアラ、なかなかいいじゃないの~!
正直言ってここはそんなに期待してなかったんだ。
けど、繁華街がすぐ近くにあるとは思えない別空間。

結構気に入ったので、小滝の付近でもう1本動画を撮りました。
昔のままじゃなく、再現されたものだとは思いますが、
往時の大名庭園の雰囲気を味わってみてください。




ここにはこんな妙な形の灯篭もあります↓。


高野山出稼ぎ・長門毛利下屋敷跡14


紋っぽいものが見えたので、(つい)いつものクセで銘を覗きましたが、
摩耗してて読めなかった。
そこそこ古そうではあるけど、形がヘンだよな

さて、滝の先の小道を進みます。


高野山出稼ぎ・長門毛利下屋敷跡15


高野山出稼ぎ・長門毛利下屋敷跡16


寝てる人がいたので、建物の方は撮ってません。
園内はベンチが多くてゆったり休憩できるようになってますが、
ここの建物は池に向いているので、座って池を鑑賞できる造りになってます。

でまあ、これまたクセで池を覗きこんだのですが、
水深数センチの幼児が入ってもくるぶしぐらいにしかならないだろうというぐらいの
人工の池でした。
まあ、仕方ないよな。
それでも、大名庭園をしのばせるよい公園です。


高野山出稼ぎ・長門毛利下屋敷跡17


ミッドタウン、邪魔


さてね、江戸に本格的に目覚めたのは寛永寺の時ですので、
それまでも江戸の史跡は少し紹介してきたものの、
大名屋敷(跡)を歩くのは今回が初めてかな。

江戸についても少しずつ勉強していかねばなりませんので、
今回はまず『大名屋敷の謎』を参考に「おのぼりさん」達の実生活を
少し紹介したいと思います。


江戸の町は男が多かったことは有名な話ですが、
『よみがえる日本の城2 江戸城』(歴史群像シリーズ/学研)によると、
江戸中期の人口は武家が50万、町方が50万で、約7割が男だそうな。 

20万石の土佐山内家の場合、5代将軍綱吉の時代の上中下の江戸藩邸に住む
家臣の数は3,195人。
そのうち女性の数は146人というからすごい。

ただ、この146人はあくまで奥に勤める女中の数。
家臣の中には江戸住まい(定府)の者と参勤交代で殿様と一緒にやって来る
一時住まい(勤番)の者がおり、定府の者は家族とともに江戸に住んでいて、
身分の高い家臣になると藩邸内の自分の家に家族と共に住んでいたそうな。
こういう奥様連と藩主夫人は146人の中にはカウントされていないので、
藩邸内の女性の比率も少し高くはなるんだろうけど、
どっちにしても男が圧倒的に多いことに変わりはない。

勤番の侍は単身赴任。
そして、江戸の大名家勤めの武士の多くは勤番だったろうという。

よく時代劇で岡っ引きがアヤシイ現場に遭遇しても、
相手が大名に仕える侍だったりすると

「町方は手出し無用」

とかって言われて悔しさに歯がみしながらすごすご引き下がるシーンがあるけど、
藩邸の内部は治外法権。
閉鎖的な藩邸の内部で実際下級武士たちがどういう暮らしをしていたのかなどの
詳しいことはあまりわかっていないらしい。

それでも現在に残るわずかな史料からその生活ぶりを垣間見ることはできるそうで、
まず藩士は藩邸に住んでいた。
ここはいいよね。

国元では藩主の住む城があり、城下の自分の家に藩士たちは住んでいる。
藩邸というのはその「かたち」をそっくりそのまま限られたスペースへ
持ちこんだようなもので、藩邸にはまず御殿がある。

御殿は当然殿様専用のスペースで、ゆったりとした造りで
藩邸のかなりの部分を占める。
一部の上級家臣は藩邸内に独立した自分の家を持てたけど、
それ以外の下っぱはあまったスペースに住む。

万延元年(1860)に来日したプロイセン公使のオイレンブルグは
川越藩下屋敷の内部の様子をスケッチしており、それを見ると
藩邸内に細かく仕切られた長屋がびっしりと建っている。

時代劇によく映る、町人の住む長屋を思い浮かべてください。
あんなのが藩邸内にずらっと並んでるんです。
いやあ~、大名家の塀の中にまさか長屋があったとはね

上屋敷ぐらいになるとさすがに長屋率は落ちるだろうけど、
上屋敷にも御殿の余ったスペースに住む家臣はいた。
敷地の多くを御殿が占めてしまうので、下っぱたちは残ったわずかなスペースに
きゅうきゅうとして暮らしていた。

「藩邸」という同じ敷地に住んではいても、殿様と家臣たちの生活は
ぱっきりと隔絶されており、藩邸の中にプチ城下があったようなカンジ?


前回、内藤鳴雪の談を紹介してますが、鳴雪は『勤番者は大概一つ小屋に一緒に居た』
と語っているので、勤番侍は単身赴任で長屋暮らし、しかも場合によっては
1人1部屋ではなく数人が同居していたということらしい。

長屋とはいえ江戸での住まいは藩から提供されてはいたが、
食事は自炊、または外食。
長屋用の共同の風呂場はあったが、外の銭湯に行くこともあった。

どういう身分であろうと、全国から人が集まってくる江戸では
藩士はみな「○○藩」という企業の看板を背負っている。
当然、藩の名に傷を付けぬようにいろいろな規則が決められていた。

『大名屋敷の謎』では鳥取の池田さんちの藩法集を例に挙げており、
まず高い声を出すのはダメ、歌ったり三味線などの鳴り物もダメ。
ま、この辺はいいよね。
高い塀に遮られてはいても、通りを歩いてて塀の中からギャースカ聞こえてきたら
品位も何もあったもんじゃないしね。

勤番侍たちなどの住む長屋はそれ自体が壁のような役割を果たしていたようで、
塀の中に長屋があるというよりも長屋がそのまま塀の場合もあったらしい。
ということは勤番侍たちの生活の場が通りに面してたってことで、
長屋の窓から外の行商人たちを呼び止めて買い物をしたり、水を外に捨てたり、
窓から洗濯物を干す者がおったらしく、こういう行為もすべて禁止されている。
アハハ、大名屋敷からふんどしがぶら下がってたとか考えるだけで
大笑いなんだけど~!

江戸の勤番たちにはわりあいヒマな時もあったらしい。
しかし、ヒマだからといって酒を飲んでドンチャンする訳にもいかず、
長屋での暇つぶしは囲碁や将棋、それから読書。
なんと藩邸には貸本屋が出入りしており、結構ジャンルは広かったらしい。
八犬伝や水滸伝などの小説やら人情本、洒落本、それから春画などもあった。
御家騒動については版本は禁じられていたので、手書きの本が出回っていたらしい。
ふん、「忠臣蔵」なんかも読んでたんだろうな。

当時の本は買うと高いけど、貸本だとそば一杯分、新刊だともうちょっと
高いくらいの値段だったので、人気が高かったそうな。


ただ、勤番侍は狭い長屋でただじっとしていた訳でもない。
外の自由な空気に触れるお楽しみの時間もあった。
また内藤鳴雪の自叙伝から紹介しましょう。

 【常府の者の家族の外出は比較的自由であったが、勤番者は、田舎侍が都会の悪風に
  染まぬよう、また少い手当であるから無闇に使わせぬようとの意もあって、毎月
  四回より上は邸外へ出ることは許されなかった。その中二回は朝から暮六時まで、
  二回は昼八時から六時までであった。勤番者はこれを楽しみにした。彼らはその
  日になると目付役より鑑札を貰って出で、帰るとそれを返付した。】

4回の外出日のうち2回は朝から夕方6時まで。
他の2回は午後2時から午後6時まで。
みんな江戸に来ると一度は芝居と吉原へ見物に出かけたそうだけど、
大の男にこの門限は厳しいよな。

ま、それでも限られた時間を最大限有効に使おうとしてみんなギリギリまで
粘ってここぞとばかりに遊んでくる。
ゆえに、暮れ六ツ(午後6時)の拍子木が鳴る時分にはどこの大名家の屋敷の門前でも、
門限に遅れてなるまじと血相変えて爆走する勤番者の姿が見られたらしい。

なんでも、【刀の大小を肩に担ぎ、袴の腿立ちを腰に挟んで、裸足で駆け付ける姿】
(『大名屋敷の謎』より)だったというから、どんだけ・・・

そうか、脇差を腰に差したままだと走りにくいんだな。
時代劇で侍が追いかけっこしてるシーンではたいてい刀を手で押さえて
上品に走ってるけど、あれは必死こいてる姿じゃないんだな。

藩邸では、時間の管理は厳しかった。
万一門限に遅れた場合は国元に強制送還されて長く謹慎させられたそうな。
ただ、実際そこまでいくケースはそうそうなかったようだけど。

遊びに行った仲間の帰りを待つ居残り組も、
ギリギリまで遊んでいたい仲間の気持ちはよくわかる。
そこで、「遅刻」を生じさせないための涙ぐましい努力も行われた。

時刻を知らせる拍子木を打つ当番も、同じ藩士。
お出かけ組がまだ帰ってこない時には、当番の侍は拍子木をゆっくりと打って
その後で門番に知らせた。

他の仲間も心配して、拍子木が聞こえてもまだ帰る姿が見えない時には
拍子木当番へ少し金を握らせてもっと遅く回るようにと頼んだ。
それでもまだ帰ってこないで拍子木が門へ近づいていく段になると、
今度は拍子木当番を抱きとめて門を閉めるのを遅らせたという

こんな話を読むと、何百年たとうがどんな身分・時代であろうが、
みんな私達と変わりない同じニンゲンなんだな~っていとおしく思えますね。



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最終更新日  2014年11月26日 00時04分19秒


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